第8話
驚いたことにお昼ご飯を食べようと訪れた場所は誰もが知っている庶民御用達のファストフード店、マックだった。
「……」
あまりの衝撃に俺は店の前で立ち尽くしていた。そんな俺を不思議に思ったのか、数歩先を歩いていた笹原さんはてててとこちらに駆け寄ってくる。
そして、
「どうしました?」
と、俺の顔を覗き込んでくる。
すべての仕草が様になっている。一般人には決して真似のできない可愛さに俺は我に返った。
「あ、いや」
なんと言うべきか悩んでいると先に笹原さんがハッとして気づく。
「もしかしてマックは嫌でした!? ごめんなさい、ついいつもの癖で!」
取り乱す笹原さん。
その姿は可愛いけれども。
「いや、違くて。その、アイドルもマックとか来るんだなって驚いてさ」
しかも、彼女のさっきの言い方的によく来るっぽいし。芸能人だし、てっきり高級料理店ばかりに行っているのだと勝手に決めつけていた。
「やだなあ、マックは庶民の味方じゃないですか」
「括り的に笹原さんは庶民の枠にいないんだよ」
「え、じゃあなんですか? 貴族?」
「……ではないだろうけど」
言葉を探していると、先に笹原さんが耐えきれずにくすりと笑う。
「別にアイドルだってマックくらい来ますよ。美味しいじゃないですか、てりやきバーガー」
「美味しいけど」
「ささ、入りましょ。ナゲットがわたし達を待ってますよ!」
この子、ポテトじゃなくてナゲット派なのか。
そんなどうでもいいことを思いながら俺は先に行く笹原さんについて行く。
お昼の時間には少し早かったからか、店内はそこまで混んでいなかった。レジに至っては並んでさえいなかった。
俺はチーズバーガーのセット、笹原さんはてりやきバーガーのセットを注文する。
俺はセットにポテトを選んだが、笹原さんはナゲットを選択。何となくセットにはポテトというイメージがついていたので珍しいと思ってしまった。
「あ、バニラシェイクも一緒にお願いします」
「……」
まだ食うのか。
「どうしました? いります?」
「いや、結構食べるんだなと」
「も、もも、もしかして幻滅しました!? 食が細い方がタイプでしたか!? あ、あああの、やっぱり今のキャンセルでセットもなしで……」
「思ってない思ってない! なんならちょっと食べるくらいの方が健康的でいいと思うよ!」
あわあわしながら予想外のことを言うものだから俺も慌てて訂正する。そうすることで、笹原さんも安心したようで落ち着きを取り戻した。
トレイに乗ったバーガーセットを受け取り、俺たちは空いている席に座る。
受付でも、歩いているときも、座って話す今でさえ、意外と周りは気づかないものだ。
確かに帽子は被っているしメガネも掛けているが、それでも声はそのままだしよく見れば顔も普通に笹原詩乃だ。
「どうしました? あんまり見られると恥ずかしいんですが」
バーガーにかぶりつこうとしていた笹原さんが口を開けたまま顔を赤くする。
「あ、ごめん」
そりゃ口を開けてバーガーにかぶりつく姿は見られたくないか。俺は視線を逸らす。
そして、周りの何も気づかない客を見ながら言う。
「案外、誰も気づかないんだなって思って」
「みんなそれだけ周りに関心がないってことですよ」
「でも明らかにあの笹原詩乃だぞ?」
「ハル様は知っているからそう見えるだけです。きっと、電車で隣に有名人が座っていても存外気づきませんよ。そんなはずないっていう気持ちが勝つんです」
「そんなもんかな」
まあ。
普通に考えたら大人気アイドルの笹原詩乃がこんな時間のこんなお店にいるとは思わないか。
もし違和感を抱いたとしても、その固定観念が邪魔をして自分の思考を否定する。
そんなものか。
下手にこそこそしない方が気づかれないものなんだな。
「そう思うとどうですか? テレビで観るアイドルとデートしている気分は。背徳感凄いですか?」
「……そう言われると急に冷める」
「ええー」
ぶー、と頬を膨らませる。
とはいえ、そんなこと言われなくても嫌でも思ってしまう。今目の前にいるのが大人気アイドルで、本来俺の前にいるはずのない人物だということを。
「ところでハル様」
「ん?」
バーガーを食べ終え、ナゲットをつまむ笹原さんが改めて俺の名前を呼ぶ。
この感じは雑談を始める雰囲気とは違う。
「これはデートですよね?」
「……みたいだね」
あんまり意識はしないようにしているが、そもそもそういうお誘いで今日がある。
周りから見てもこれは間違いなくデートだろう。
「わたし思うんですよ。デートって仲のいい男女が行うものだって」
「まあ、そうなのかな」
それが俺たちに当てはまるかと言われると少し違和感が残るが。確かに一緒にいて落ち着くし楽しい。けれど仲良しという言葉を使うにはまだ関係が曖昧だ。
「あるいは、これから仲良くなろうとしている男女が行うものです」
「そうだね」
そう言われるとしっくりくる。
俺たちの関係はゲーム配信のコラボによって繋がった。その一つの目標のために一緒にゲームもした。
先日、そのコラボ配信を済ませた俺たちは現在、その契約を終わらせた状態だ。
もちろんお互いが望めば二度目のコラボもあるだろう。けれど、今のところそういう話は決まっていない。
であれば、今のこの時間はなんだ?
俺が言ったお礼の一環ではあるが、その裏には目的があるはずだ。無意味に会うほどこっちはともかくアイドルは暇ではない。
そこを突き詰めていくと、辿り着く答えは仲良くなろう、ということになる。
俺だってそうだ。
せっかくできたゲーム仲間。大切にしたいと思うし、もっと仲良くなろうとも思う。
そういう意味では笹原さんの言うところのデートの定義に当てはまるのかもしれないけど、デートという行為の上での仲良くなるって少し意味が違うんだよな。
端的に言うならば、恋人同士になることを前提に行うものだ。
ならば、俺と笹原さんはそうなのか?
俺は別にそんなこと考えていなかった。ただただゲーム仲間と仲良くなりたいというだけ。
多分、笹原さんもゲーム配信者としての俺と仲良くなりたいというだけだ。
だとするならば、デートとは少し違うような気もするが……。
ここで否定するのも違うんだろうけど。
「デートをするのにお互いを名字で呼ぶのっておかしいと思いません?」
「思いませんが」
そっちの方向に持ってきたか。
なるほどね、そのためのこの切り口か。このあとの笹原さんのセリフはだいたい予想できる。
「デートをするのに、女の子のことを……わたしのことを名字で呼ぶのはおかしいと思います。なので、わたしのことを名前で呼ぶことをここで提案します」
「却下で。別にデートの最中に名字で呼び合う男女もいる」
知らんけど。
「それに、呼び方にそこまでこだわる必要もないよ」
「こだわる必要がないなら呼び方変えてもよくないですか? 具体的に言うならば詩乃ちゃんでもよくないですか?」
小さく挙手しながら言ってくる。しまったな、挙げ足を取られてしまった。
「だとしても、詩乃ちゃんとは呼べない。あなたは一応歳上なんだから。百歩譲って呼ぶとしても詩乃さんだ」
「わたしはそもそもハル様からのさん付けに納得していません!」
「そもそもの話をするなら、そっちのハル様もデートに似つかわしくないと思うんだけど?」
「ではどうすれば?」
「……いや、それは知らんけど」
なんでこっちから呼び方を提案するシステムなんだ。ちょっと考えてから恥ずかしくなってしまった。
「ハル様は神様のことを神と呼びますか?」
「神様を呼ぶ機会があまりないから想像できないかな。けど、神とは言わないかもしれない」
「それと一緒です。わたしはハル様を崇拝しているので、その呼び方以外は考えられないのです」
「……屁理屈にもなってなくない?」
けれど。
考えてみると、アイドルから「春吉くん」とか「ハルくん」とか呼ばれると普通に照れるな。
もはや勘違いしてしまうまである。
逆に言えば、彼女が俺を「ハル様」と呼んでいる限りは俺たちの関係はこのままを維持できている証拠になる。
ならそれでいいか。
「じゃあハル様でいいよ」
「はい。それじゃあハル様もわたしのことは詩乃ちゃんと――」
「それとこれとは話が別だよ」
「がーん」
分かりやすくショックを受けた笹原さん。けれど全然諦めたようには見えなかった。
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