第3話
「どうして別アカウントでメールしてきたんですか? CutieKissの笹原詩乃のアカウントは別にありますよね?」
彼女が俺にダイレクトメールを送るために使用したのは『ささ』というアカウントだ。
しかし、彼女は別に『笹原詩乃』という公式マークまでついているアカウントを持っている。
わざわざ別アカウントを使ってきたのは何か理由があるのだろうけど、それが俺には分からなかった。
本アカを使ってくれれば俺はあそこまで恐怖することはなかっただろうに。
まあその代わりに凄まじい緊張を味わっていただろうが。
「それはですね、アイドルという立場を利用する卑しい女だと思われたくなかったんです。ちゃんと一人のゲーマーとして判断してほしかった」
「な、なるほど」
そもそも言っていることの意味がよく分からない。
「というのは半分の理由で」
確かにユーチューブの方のアカウントは実際に顔合わせをしたときに教えると言われていた。
「本アカを使うとマネージャーに見られるので。それとは別で、密かにアカウントを持ってるんです。いわゆる裏アカってやつです」
「う、裏アカ……」
何となく卑猥な響きだ。
そういうイメージが先行しているだけで、裏アカというのは別にそういうものでもないのに。
「え、てことは今日のことも?」
「もちろん」
屈託ない笑みを浮かべる笹原さん。
マネージャーにも内緒でここに来ているというのか? これバレたらマズイのでは?
そりゃひと目気にするわけだよ。
俺は痛くなったこめかみを抑える。
「……言わなくていいんですか?」
「いいんです。プライベートですから」
そうだけど。
あんたアイドルなんだぞ、とは言えなかった。
「そもそも、どうしてアイドルのあなたが俺みたいな奴にコラボ依頼を?」
「俺みたいな奴だなんてとんでもない! ハル様は神ですよ!?」
「は、ハル様……」
そういえばさっきも呼ばれていたな。他の衝撃が強くて流してしまっていた。
「わたし、ハル様の配信一番最初からずっと観てました」
「え、そうなんですか?」
俺がユーチューブ配信を始めたのはちょうど一年ほど前のこと。最初は自己満足だったのでチャンネル登録数や視聴回数もそこまで気にしていなかった。
けど。
確かに必ずコメントをくれる人がいたな、とぼんやり当時のことを思い出す。
めちゃくちゃ褒めてくれたんだよなあ。
「はい。わたし、子供の頃からゲームが好きで。仕事の合間にゲーム実況の配信を観たりしてたんです。そのとき、たまたまハル様の配信を観て、一目惚れしました」
「それは光栄なことですけど」
俺はスマホからユーチューブのマイページへと飛ぶ。最初の方の過去動画を適当に漁り、コメント欄を見る。そこには『ささ』というアカウントのコメントがあった。
こんなところにヒントがあったとは。
「わたしがユーチューブ配信を始めたのもハル様の配信を観てなんですよ。いつか一緒にゲームがしたいなと思いまして」
「はあ」
「自分の中で条件を決めていたんです。それを達成したらコラボを依頼しようって」
その条件とやらが何かは分からないけど、つい最近なのか、ようやくその条件を達成したということか。
「なので、ハル様からコラボを受けていただけると返事があったときは人生最大の喜びを味わいました」
「人生最大の!?」
「ええ!」
俺の驚きに笹原さんは即答する。
「他にもっとなかった? アイドルとして売れたこととか、高校受験に合格したとか」
「いえ、一番でした。嬉しさのあまり、抑えきれず控室にも関わらず拳を掲げました。かろうじて声は抑えたことは褒めてほしいです。まあ、他のメンバーには不審がられましたが問題なしです」
問題なしではないだろ。
音もなく突然拳を掲げてガッツポーズされたら誰でも驚くよ。
「ぶっちゃけこうして対面して話しているだけでもぜっちょ……じゃなかった、昇天しそうです」
「そこまでいくともう怖いよ」
この部屋に入ったとき、相手が女の子だったことに驚き、その上あの笹原詩乃だというのだから緊張は最高地点に到達していた。
しかし、彼女のイメージと違いすぎる本性にいつの間にか俺は普通に話すことができていた。
そういえば、トーク番組とかでも流暢に話していたな。もしかしたら俺の緊張を察して和ませてくれたのかも。
「うふふ」
いや、それはないか。
多分。いや、絶対に素だな。
やっぱりテレビではアイドルとしての一面を作っているんだなと、芸能界の裏側を垣間見てしまった。
「えっと、まあいろいろあったけどとりあえずコラボについて話し合っていきましょうか」
「あ、はい。でもその前に一つだけいいですか?」
これ以上驚かされるのはしんどいので本題に入ろうとしたのだが、笹原さんがおずおずと本日最高の遠慮がちな姿勢を見せて言ってきた。
「なんですか?」
「敬語を止めていただけると嬉しいです」
「……なんで?」
「ハル様に敬語を使われるとむずむずするんです」
「笹原さんがアイドルであることを抜きにしても、確か俺の方が歳が下だったような」
「わたしは十九です」
「俺は十六なんで」
今年十七歳になるが、誕生日がまだなのだ。笹原さんは確か四月に誕生日があったんだよな。
そこまで詳しくはないけどクラスメイトが騒いでいたので記憶に残っている。
つまり、年齢が二つ離れている。
「でもそんなの関係なくないですか?」
「なくないことはないと思います」
ただでさえ相手が芸能人ということで萎縮してしまうというのに、その上敬語を抜けと言われても困る。
しかし、そんな俺がさらに困る状況がこのあとすぐに襲いかかってきた。
端的に言うと、国民的アイドルが土下座してきた。
「お願いします! ハル様に敬語なんて使われたくないんです!」
「分かったから! 土下座はマジで良くないよ!?」
さすがに了承せざるを得なかった。
あんな絵面これ以上見てられないよ。
「ありがとうございますッ!!!」
ファンがアイドルにサイン貰ったときの熱量でお礼を言われてしまった。
何もかも普通ならば立場が逆なんだよ。なんで俺が人気者みたいな扱いを受けてんだよ。
「けど、あんまり慣れてないからそうできるように努力しま……するよ。これで許してもらえる?」
「はい!」
目の前にいる笹原詩乃が抱いていたイメージ通りの人ならば難しかっただろうけど、悪い意味でイメージとはかけ離れているのでもしかしたら遠慮とか緊張はなくなるかもしれないな。
「あと、やっぱりできれば詩乃と……」
「それはまだちょっと」
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