第43話何か頭痛い
☆☆☆
「はぁ。」と細身の男はため息を漏らす。
応接室を出てしばらく経ったというのに、未だに執事の後方を歩きどこかへと案内されていた。
それプラスで、細身の男を囲むすべての空間がそのため息を吐き出させた。
男は、貴族が暮らす高級感ある屋敷が苦手だった。
わけもわからない美術品が転がる広大な屋敷の全てに頭痛すら覚えるほどに。
特に、謎の絵画が細身の男を不快させていた。
「ん?どうした、体調でも悪いのか?」
アルベールの後ろを、テレっと付いてくる細身の男から発せられた不快音に反応する。
「ちげぇよ。何か嫌な予感がするだけだ」
細身の男の精神状態的に限界が来ていた。
それでも細身の男がここを離れず屋敷に残ったのは、アルベールを見届けるためだ。
辺境伯から頼まれた依頼とでも言おうか、同行人の説得という面倒をどう片付けるかを。
加えて、辺境伯の言によると。
アルベールほどの強者の足手まといにならないほどの者で、エルフが潜伏する森に案内できる人間がその者しかいないとのことだった。
となれば、細身の男としてもその者を直接確認したかった。
「そうか」
「それにしても、レイモンドはここの領主か何かなのだろう?わざわざ儂らが向かわんでも、あやつが一言呼び出せば済む話ではないか?それとも、書庫から抜け出せん理由でもあるのか?」
「……。ミラ様は心に大きな傷を抱えておりまして、それを立ち向かうために書庫に入り浸っているとお聞きしております。」
「ほう。となれば、やはりミラとは魔術師の類いか?」
「はい。あらゆる魔術に通じ、レイモンド家が誇る傭兵達の中でも頂点に立っておられるお方です」
「それは楽しみだ」
「アルベール様。そちら書庫がになります」
執事がそう言って扉を開くと、大図書館に負けず劣らずの面積を誇る書庫への道が開かれた。
アルベールと細身の男から思わず「おお」と言葉が漏れ、書庫へ侵入する。
「おお!立派立派!これだけあれば、お主とてそうは読みほせんだろ?」
「まぁな」
アルベールが大声でそう言った時には細身の男はいくつか本を抱え、今にも読み出しそうだった。
「ん?何やら先客がいるようだな?あやつがそうなのか?」
アルベールがさらに周囲を見渡すと、一角だけえらく豪華な空間が出来上がっていた。
ベットにテーブル、茶菓子に紅茶まである。
その周りに本棚が囲むような形で配置されており、他の本棚と比べるとまた一段と違った特別な物に見えた。
「はい。あちらの方がミラ様でございます」
「そうか。」
アルベールはまるで臣下の進言を受けたかのようなに男らしく言い切り、今回の同行者である少女の元へ向かう。
「よぉちっこいの。ここで何をしとるんだ?まさか迷子ってわけではあるまい?」
アルベールが少女に向けて発した『ちっこいの』という言葉。それは、アルベールほどの巨躯の男から見下ろした矮小なサイズというわけではなく、紛れもなく正真正銘の年端も行かない可愛らしいサイズから発せられた言葉だった。
「そうか。お前がかの噂人か。」
それとあまり私の邪魔はする―――――な。」
外見年齢的には五、六歳といった感じだったが、幼女とは思えないほど落ち着いた雰囲気と佇まいをしていた。
アルベールは面白味のないその言い方をしてきた少女の後ろに周り、書物を覗き込む。
「何やら小難しく書かれているようだが、これは何だ?」
アルベールの目には何が何だか分からなかった。
誰かの書き留めた研究日誌的な物に見えたが、それ以上の事は分からなかった。
「これは魔導書。」
少女は少し楽しそうに小さな声でそう言った。
「魔導書?これがか?」
アルベールはその名には聞き覚えがあった。
だが、アルベールとしてはそれは眉唾物の話であった。
たいていその名を耳にすると同時に、変人エピソードが決まり事のようにセットであったからだ。
「そう。でも、魔導書なんて大層なものじゃなかった。ただの憐れな人間の憐れな遺産だった。」
少女は相変わらず小さい声でそう言いながらも、英雄譚や自分が主人公の童話を聞かされているように見えた。
そして、それを大切そうに胸で抱きかかえた。
「ほう、そうか。ん?ちと思ったのだが、魔術と魔法は何が違うんだ。」
アルベールには魔法が扱えなかった。
それ故、彼には魔法についての知識が乏しい。
せいぜいあるとすれば、人間には扱えず主にエルフなどが行使するものという認識があるだけだった。
たまに噂程度には魔法が扱える人間がいるという話は耳にしたが、この当時は今ほど傭兵というものが浸透していなかった。
だからこそ、魔法の探求をする変わり者ぐらいの認識で、特別傭兵が忌み嫌われていたわけではなかった。
「正式な違いはない。魔法を人類が扱えると認識していない時点で、正式もないからな。それでも差別化をするのなら、魔法は自分自身の力を使うもの。魔術師はある魔法を使うものだと思う………多分」
「なるほど。まだその辺は未開拓と言ったところか。ならば、少しは最先端の知識でも取り入れるとしよう。ほれ、ちと見せてみろ」
アルベールはそう言って魔導書を取り上げる。
すると―――
「な、何をする!今ミラが見てたでしょ!なぜに奪い取る!返せ!返せぇーーッ!」
と、何やら先程の知的な幼女とは対象的に、玩具を取られた子供のように喚き出す。
「そう喚くでない。別に、奪っていくとは言っとらんだろうが。」
そうなだめるアルベールだが、涙ぐみながら必死に腕を掲げる少女の愛らしさに、ため息を漏らし少女をつまみ上げる。
その間少女は「な、何をする!離せー!」など相変わらず喚き散らしたが、アルベールがそのまま膝の上に乗せ。
「これでいいであろ?それで、この書物には何が記されておるのだ」
と、どこか父親のような空気感で問う。
それに反し、少女は暫しアルベールを睨みつけた後プイッと顔を反らす。
「やだ!お前は失礼なやつだ。
失礼な奴とは会話してやらない。」
と、またしても子供特有の会話が飛んできた。
しかし、少女はアルベールの膝上から脱出しようとはせず、そのまま我が物顔でアルベールと共に本を読み始めた。
その様子を見て、
「何してんだあいつら?」
と細身の男が溢し、その隣で執事も「さあ、あれは親子でしょうか?」などという会話が行われた。
「カンカンカン!!!」
唐突に響いたけたたましい鐘の音が領内に響き、その異常な警戒アラートが緊急性を証明していた。
「何が起こったのでしょうか!?まさか、領内に侵入者が?」
その数秒後、アルベール達を案内したメイドが勢いよく扉を開ける。
ここは書庫、本来であるならば相応しくない行為だ。
いや、たとえ書庫でなくても貴族階級に仕える者の所作ではない。
「失礼いたします!皆様、急ぎ避難してください!ここは危険です!リザードマンです!リザードマンが来ました!」
と、大声で叫ぶ。
その瞬間、アルベールの上で本を眺めていた少女が唐突に震えだし嘔吐した。
「いつもの発作です。ミラ様は昔、リザードマンに遭遇したことがあるそうなのですが……その日以来」
リザードマン。彼女にとって、リザードマンとはそれほどの相手であった。
あらゆる古今東西の魔法という魔法を理解し、ベルモンド領にいる傭兵達の頂点に立つ少女が払拭すべく積み重ねた知識と技量ではあったが、少女の中では明確に勝利のビジョンが相変わらずわかなかった。
「……。」
アルベールは黙って膝から転げ落ちた少女を眺め終えると、彼女を囲むように配置された本棚を漁る。
その様子を不思議そうに執事が問う
「何をなされているのですか?」
「ん?ちと探しものをな」
そう言って漁り続けると、本棚の一つにある違和感があることに気がついた。
それは分厚い本が並ぶ本棚の中に、不自然な奥行きが隠されていたからだ。
アルベールは本を片っ端から抜き取り、隠された本を抜き出した。
「おい、お主。お主は一体何を恐れておる?」
そう言ってアルベールは引っ張り出した本を少女の前へと投げ出した。
「見よ、お主がこれから立ち向かうであろう敵を。 その目で、しかと見よ。」
アルベールが差し出した本をミラが見ると、そこに描かれていたのはリザードマンだった。
それを見てもう一度ミラは吐き出した。
先程より鮮明に過去のトラウマが蘇ったかなように、
「アルベール様!一体何を!?」
執事が慌ててアルベールにそう言うと。
アルベールは少女に近づき、
「お主が恐れた相手は、その本に書かれている程度のやつか?」
と問う。
「そうか。ならばなぜお主はそれほどまでに恐れる?お主が立ち向かう輩は、たったその程度の書籍に埋まる程度の奴らなのだぞ?
それに引き換えお主はどうだ?お主は、ここにあるあらゆる魔術を得たのだろ?
お主がここで身につけたあらゆる戦技は、この程度の輩を前にしただけで霞むほどのものなのか?」
アルベールはそう言いながら倒れ込むミラを抱き上げる。
「結論などここに居てはでなかろう?
なら、一層のことぶつかってみる気はないか?
お前の知識と技術で、一体どこまでのことができるのかを」
アルベールが少し優しくミラにそう言うと、アルベールが本を抜き取った本棚と隣接している本棚をなぎ倒した。
すると、そこにあったのは冷凍保存されたリザードマンだった。
アルベールはふっと笑う。
なるほど、レイモンド候が同行しなかったのも頷ける。
しかし、リザードマンをトラウマにしているものが、リザードマンが保存された部屋に入り浸るとはどういうことだ?
常人には到底理解できないことだった。
だが、アルベールが先程発掘した本に記された魔導書憐れな遺産を目にしていなければ、納得もできなかっただろう。
5歳かそこらの少女が書き留めた執念は、リザードマンを討つためにトラウマとともに生活しそれを打ち破るべく、あらゆる書物を読み尽くし研究した少女の魔導書。
「お前の知識と技術で、一体どこまでのことができるのかを」
そう言うと、アルベールはリザードマンの冷凍保存を解く。
シューッと音がしながらリザードマンが解凍されると、氷漬けになったリザードマンの目がギロリと開かける。
そして、パキッと音がしたと同時にリザードマンは解き放たれた。
存在するだけで威圧するかのような巨体を前に、ミラは震えながら魔導書に記した魔法を捲る。
そんな少女の前に立ちはだかり、テーブルに立てかけた剣を握り一言。
「何、心配など不要。もしお主の手で余るほどの輩なら―――――」
アルベールはその言葉を放つと同時に、ズバッ!という好感音とともにリザードマンを薙ぎ払う。
「―――――儂が消す!」
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