第17話別れ
一 夜の森
長老とのお茶会を終えた頃、月明りが森全体を照らしていた。
すると、意外にもエルフ側から泊まっていかれては?との話が切り出され部屋へと案内された。
エルフが用意した寝床は、当然のように木の中にあった。
部屋は思いのほか広く、植物が放つ光のお陰で会話もできる。
椅子を逆向きに座り、背もたれに腕をおきながら愉快に話し始めるアルベール。
「にしても頑固な爺さんだったな。
条件が自分達の存在を忘れろなんて、
そんなに嫌かね誰かの力を借りるのが」
ベッドへと腰を掛けたレナは一息つき、一つしかないベッドの寝心地を確かめるように触る。
「まあ、仕方ないでしょうね。
いくら自分達が追い込まれていようと、彼らには彼らの生き方があるのだから」
レナはエルフには意外にも寛容であった。
人の業と幼いときから触れてきたレナからすれば、エルフと人間の本質がさほど変わらない現実にホットしていたためだ。
「そんなものかねー。
私はもっと自由な生き方を見てみたいけどな」
「別に、あなたに見せるために彼らは生きていないわ」
エルフが気高く気品ある一族であるために、彼らが独自に作り出した風習や価値観。アルベールには到底理解できなかったが、貴族達ならば理解はできたのだろうか。
生まれ持つ才能が高品質であったならば、アルベールにも多少なりとも歩み寄るのだろうが、凡人中の凡人には程遠いものでしかない。
「確かにそうだ。
さてと、そろそろ次の作戦を練るとしよう」
そう言って何故か発光している椅子から立ち上がり、大量の荷物が入っているバックへと手をのばす。
「作戦?あなたにそんなものがあったの?」
本心から言ったわけではなかった。
レナ自身、アルベールが目的のために行動していたことは理解していた。
だがアルベールのとる行動の一つ一つは、一歩間違えれば命さえ危うい行動ばかりである。
だからこそ、レナにはアルベールが読めていなかった。
思想家ならば命あってこそと考え、どんな手を使ってでも生き伸びるために臆病になる。
臆病であることは間違いないアルベールだったが、節々で見せる大胆さにはレナでさえ肝を冷やしていた。
「ハハハハハハハハハハハハ、これは手厳しい。
私にもありますとも、飛びきりの作戦が。まずは二人でここを抜け出して先程の見つけた湖を見に行きましょう。それから二人でディナーをしてから、美しい美少女エルフが寝ていたかもしれないベットで二人で愛を誓うというのはいかがですか?」
「お断りよ。だいたい、ディナーは誰が用意してくれるのよ」
「それは知りません。
そんなことより早く行きましょう。
そして、私を抱きしめてあれやこれやでいい夢を見ましょう。
個人的には責められる方が好きですが、レナさんはどっちが好きですか!」
「だからお断りよ、あなたとなんて」
「いいですねー。その罵声が私を新たな境地へと誘う。
もっとなじって縛って苦しめてー一一一一ッ!!」
「はぁ。貴方といると本当に疲れるわ、もう寝ましょう」
もはや恒例にもなってきたアルベールとレナの言い争い、最初と比べれば良くなった関係性。何より、レナの顔つきが柔らかになってきていた。
「おっと。それはできない相談のようだ」
微かではあるが、外から気配を感じた。それも一人ではなく、数十人からとただ事ではない人数の気配。
「何人?」
レナはアルベールの表情が数段階引き締まった事を確認し、ベッドから立ち上がる。
「さあ、何人でしょう。
少なくとも美少女エルフがいることは確かなようだが、さすがの私も手に余る」
歴戦の戦士でも戦闘となれば口数が減るものだが、いつもと変わらず愚者のままでいることに不思議と安心させられる。
しかしレナとアルベールの短い旅の中で、今が一番危険であることは変わりなかった。
相手は知性のある敵。
レナとアルベールが過去に遭遇したモンスターとは明らかに違う。
数人連れで出発した旅も、ここに着くときにはレナとアルベールの二人だけになっていた。
おまけに、ここには退路がない。
「どうするつもり?」
「さて、どうしたものか。少々挑発しすぎたようだが」
一切困った素振りを見せることなく、ポケットから小包を取り出した。
「何それ?」
「弱い私には必需品のアイテムさ」
アルベールが言葉を言い切る寸前で、ぞろぞろとエルフ達が部屋に突入する。
そして、弓矢を構えるエルフ達の真ん中から姿を現した長老が。
「どうでしたかな、久々の布団の寝心地は。我々エルフは人間とは違い、布団で眠る習慣がありませんのでよくわかりませんが」
っと、この場においてアルベールとのしばしの対話を求めた。
おそらく、先程の舌戦に思うところあったのだろう。
アルベールの中で長老の評価ががっつり低下しながら、長老が求めたであろう絶望の表情を浮かべることなく極めて愉しそうに会話を続けた。
「そうだな。なかなか悪くなかったが、こうむさい男がぞろぞろと来られると居心地は悪いな」
「ハッハッ!それはすまない事をしましたな。では、寝床を少々変えさせていただきますかな。地面の中にでも」
「クソジジイ。出会ったときから顔にそう書いてあったぞ」
「ならば引くべきでしたな。のこのここんなところに来た自分を恨んで死んでいきなさい!」
長老の後ろで、弓を番えた者達が一斉に放った瞬間。
アルベールは小包を地面に叩きつけ、煙ですべての視界を奪う。
「小賢しい!入口さえ塞いでおれば奴らは逃げられない。皆の者、動くなよ」
視界を奪われた長老が指示を出し待機している中、アルベールは真っ先にある場所に向かった。
「ひゃっ!」
「なんだ、奴は何をしている!」
数センチ先すら見えない煙幕の中で動き回るアルベールと、そこから聞こえたレナの悲鳴。
下手に腕が立つ人間よりも、小賢しくあれやこれやで生き延びている人間の方が、相手取ると面倒くさいことを理解していたエルフは、レナの悲鳴により気配を研ぎ澄ます。
「ちょっ!ちょっと!どこ触っているのよ!」
そんな中で聞こえてきたレナの声。
アルベールは視界が悪い中一切迷うことなくレナへと詰め寄り、嫌らしい手付きでレナの臀部と胸部をひととおり弄り抱き上げる。
「気にすることはない!私はこれぐらいのサイズがちょうどいい!」
「誰が感想を言えと言ったッ!!」
悪びれもせず、誤魔化す素振りもないこの男。
それに、憐れとでも感じたかのようにフォローするこの男は、未だに片手で乳を揉みしだく。
「んーん。それにしてもなんだろう、この気持ちは。どこまでも柔らかく、しかしハリがあるこの感覚は。いつまで浸っていたい。もしかすると、おっぱいは人類を救える可能性を秘めていたと言うのか!?ムブッ!」
お姫様抱っこされているレナから痛烈な一撃をもらう。
「次触ったら殺すわ」
「はっ、はい!すみませんでした!ちょっと調子乗りすぎました!ごめんなさい!」
「くそッ!視界がッ!奴らはどこだッ!」
アルベールがレナの魅力をまた一つ学習している間に、エルフはそこまで来ていた。
「あっ!こんなことをしている場合ではなかった!じゃっ!これにて失礼」
煙はますます濃くなり、それに乗じてアルベールも姿を眩ます。
「逃げられるぞ!入り口を固めろ!」
「し、しかし、視界が悪くて」
「煙玉の効果はそんなに長くない!
入り口さえ固めていればよい!」
入り口にさらなる増援がまし、ガッツリと固め、虫一匹入れない鉄壁の守りを固めるエルフ達。
そんな中、煙の中から異臭と光が見えた。
光る植物とは違った。赤く、メラメラとした光。
うねるようであり、焦げるような異臭。
「ん?なんだこの匂いは」
「ま、まさか!あの男!」
赤くうねる光は次第に大きくなり、熱を感じさせた。
エルフの中で最も嫌な想像が駆け巡った。
そして、忌々しい記憶がフラッシュバックさせ、エルフ達の怒りを煽る。
「正気かアイツ!自分達も死ぬかもしれんのにッ!」
遁逃するエルフ。
自然を重んずる彼らにたいする侮辱ともおもえる行動。
一人でも多く道連れにする。
なんて考えもあったのかもしれない。
しかし、炎によって時より覗かされる爛々としたアルベールの目は、卑屈さよりも別のところからきているようだった。
「いやー、よく燃えてますねー。
キャンプファイヤーでもしますか」
そう嘯くアルベールは再び、あのおぞましい笑みを披露する。
長老との会話で見せたあの笑みを。
「家畜がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」
長老の咆哮すら嘲笑いながら、満悦げな表情を浮かべるアルベール。
「あなた本当にイカれてるわ!」
まったくもってそのとおりである。
火を放ったからといって状況が好転したわけではない。
むしろ悪化していた。
この場にいる者すべてが、アルベールへと人間が抱く最上級の感情を抱かせた。
「そんなことないですよ、ほら」
アルベールが指した方向には、
木を切り抜いてできた脱出路があった。
「さすが私、完璧な作戦。あれ?」
アルベールが抱きかかえていたはずのレナはいつの間にかおらず、胸を揉みしだいていた手は名残惜しそうに今だに宙を撫で回す。
「あれ?私の愛する人は何処に!?」
アルベールが脱出路を見ると、誰よりも早くレナが脱出をしていた。
「レナさん!?それはさすがにひどいのでは?」
「あなたも逃げなさい!」
「は、はい!」
一一
脱出路から外を出たアルベール達は、森の外へと目指す。
鎮火に人手を取られたエルフ達の追手の人数こそ減ったものの、歩き慣れていない樹海が体力を奪い続ける。
「このままだと逃げられないわ」
アルベールは迫るエルフの距離を確認し、森を抜けるまでの距離まで逃げ続けるのは不可能と判断した。
「仕方がない。私が囮になる」
アルベールは踵を返し、レナを背に丸腰で向かい打つ決心を固めた。
「あなた、何を言っているかわかっているの!?ここであなたが残っても時間稼ぎにすらならないわ!わかったら、早く逃げましょ!」
いつになく真剣な面持ちで、真摯的な口調で言った。
そのあり方は、アルベールには恐怖に震える少女に見える。
だが、その恐怖の意味合いは多少異なる。
そこに、アルベールは優しく自信アリげに答える。
愚者として、人々の恐怖を取り除かんとした意思を感じるほどに。
「私だって少しは戦える。
まあ信じろ。これでも一一」
「やめない!!
お願いだから…………………やめて……………………。
私はもう、誰かが死ぬ姿なんて……見たくないわ!!!」
レナを蝕む恐怖、単純な状況下で湧き上がる恐怖ではなく、失う恐怖がそうさせる。
切り捨てて、振り払って、見捨ててきたレナに、不遜にも居座るアルベールから告げられた唐突な別れ。
別に必要としていたわけではない。
むしろ拒んでいた。
それでも、いつの間にか心の中に存在したアルベールを今失えば、再び冷徹な少女へと戻らねばならない。
たった数日の間に巣くった人間を取り除くために、一体どれだけの年月を一人で生きねばならないのか?
心臓をキュッと締められる痛みと、その反動で大きく脈動をする全身を巡らせる絶望的未来が、ただの少女を完全に支配した。
「お願い……。もう……私を一人にしないで……!」
力強く握られたアルベールの袖を通し、か細い細腕をつたった顔にガラス玉のように美しい瞳を滲ませる。
その時ばかりはアルベールも口籠る。
しかし、すぐそこまで来ているエルフ達が迫る葉音を前に決断した。
笑顔で、堂々と、最後まで愚者らしく。
「……………………。
心配することはない。
私は臆病なんだ。
命をかけて戦う度胸も、好きな人に格好つけて死ぬ生き方も私にはできない。
だから私は、きっと彼らからも逃げてしまうだろう。
それに、
少し用事を思い出しただけだ。
すぐに追いつく。だから……………先に行っててくれ」
アルベールはレナの紅涙を拭き取り、震える手でレナを優しく抱き寄せる。
「………………。」
レナとアルベールが抱き合っている間に、エルフ達に追いつかれ、アルベールはゆっくりとレナを解放し出口へと向かわせる。
「感動のシーンでしたかな?」
数人の若いエルフを引き連れた長老は、レナを追おうとした者たち引き止め話しかけてきた。
「そうだな。
相変わらず空気が読めないおじいちゃんには困ったものだよ。
そんなに若い子達をはべらして何か?俺への当てつけか?やめといたほうがいいぞ、介護だと思われるから」
「格好つけて死ぬのも結構ですが、少しは立場を理解してから死んではいかがですかな?」
「冗談キツイな爺さん。
いい歳して、女のケツ追っかけ回してる男に言われたくないな」
「バカはどこまでいっても馬鹿なままのようで。もういい、やれ!」
その一言を皮切りに、アルベールとエルフは激突した。
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