第16話 10年
「これが、ゲシュテンフェルト?」
ありえない速度で疾走したイレイズは日が傾きかけた程度の時間でゲシュテンフェルトに着く。
10年で街も様変わりした。流行りものは変わったのか知らない愉快なキャラクターの着ぐるみが風船を配っている。焼き菓子も香りが高くなり森から降りたばかりのイレイズの鼻にやけに刺さる。
食べ物も服装も文化もたった10年で大きく変わったようだ。
「これがヘルティのおかげなのかな」
8年間戦闘に身を置き続けた女の子を想う。小さな都市同士少し領土の話になればどこでもこの辺りは揉め事に発展する。
森の中を何度も兵士が通るところを見るに相当ゲシュテンフェルトや近隣の都市は領地拡大に苦戦しているようだ。
森、水辺、山……。どれにも刻印を体に宿した獣が住み着いているこの時代に、人間が安定して使える土地は限られてくる。
そうなれば領地争いが起きるのも致し方ないのかもしれない。
森の中ですら刻印によって力を得た獣は多くいた。力の刻印をされた大型獣に速さの小型獣。一癖も二癖もある毒や知識を得た中型獣。気配を消して動かなければ10年も森を彷徨えなかっただろう。
ゲシュテンフェルトの繁栄に対して考えをめぐらせながら大通りを歩いていると、足元にゴツンと障害物を感じた。
「ひっぐ……うぅ」
(やば……)
足元にはまだ刻印も持たないだろう子供が尻もちを着いていた。目尻に涙を貯めてこちらを見上げる男の子は今にもこの通りの人たちの目を集めるだろう。
(まずい、目立つわけにいかないのに!)
今から気配を消すか……いや、もう何人かがこっちを見ている。間に合わない。
数秒のうちに慰める方法が出てくる訳もなく、男の子は大粒の涙を流し始める。
「びぇええええ!」
「おわった……」
消えてしまいたいが消えれない。左手で顔を覆って泣く子供の前に立ち尽くす。
「はーい、痛くないですよー。男の子だもん、泣かないで立てたら格好いいなー」
「ん?」
「……っぐ。ぐすん」
「すごいすごい! そのまま立ち上がってみよっか」
「……っん!」
「えらいねー。はい、飴あげる。あ、あっちで子供を探しているの君のお母さんじゃないかな」
「ママだ! ありがとおねーちゃん!」
「前見てー!」
僕の髪とは違い綺麗な銀髪を後ろで結った女性が現れて男の子を瞬く間に慰めてしまった。
「災難だったね。この辺りは人が多いからぶつからないように気をつけた方がいいですよ」
「……ありがとう。子供と関わることがなくてどうしたらいいか分からなかった」
「店先で泣いている子供を放っておけないだけです」
ちらりと女性の来た方を見やると銀の雪原亭という看板の奥は昼過ぎだと言うのに酒盛りと遅めの昼食で店内はとても盛りあがっていた。
「ご飯屋さんか。すごい賑わっているね」
「私のお母さんが作るご飯は美味しいからね。君も食べていかない? えーっと……」
「イレイズ」
「イレイズさん。私はミル・ファべーラっていいます。お母さんの料理はどれも自慢ですから、街に来たのならぜひ食べていってください」
看板娘につられてはいった男は何人いるのだろう。それこそ雪原のように綺麗な銀の髪に、薄い赤を帯びた吸い込まれそうな瞳。愛嬌のある顔立ちは呼子に向いているだろう。
「……あまりお金は持っていないから1番安いご飯を頼もうかな」
「やっぱりフリーの冒険者さんなんですか? ボロボロだしお金も持っていない割には体つきがしっかりしていますし……」
「冒険者……?」
10年前には聞き覚えのない単語だ。刻印を帯びた獣を討伐するのは王国軍や小さな村の自治体。冒険者なんて大層な名前を付けて獣を狩る職業は少なくとも7歳の頃には無かった。
「フリーだと報酬は低くなりがちですしなにより安定して依頼を受けられませんからね。少なくないんです、フリーでその日暮らしの人って」
「ち、近い……」
顔をずいっと寄せて手を口元にあてながら呟く。あまりフリーの冒険者の話をするのは宜しくないのかコソコソと聞こえる距離まで近づかれ、ミルのお日様のような香りがふわりとくすぐる。
10年獣と向き合って生きてきたイレイズには女性のこの距離は相当な破壊力だ。ミルは【魅了】の刻印でも持っているかと錯覚してしまうほどイレイズはぶっきらぼうに赤くなる。
「は、離れて……分かったから」
「そんな訳で、銀の雪原亭では冒険者さん達に頑張って貰えるように破格でご飯を提供していますよ。なんとツケもききます!」
「刻印持ち相手にツケはさすがに……」
「ふふふ、そこは私の刻印におまかせあれ。なんと私とした約束は絶対に守られる力を持っているのです!」
小指を立てて見せてくるミル。小指の背には広く綺麗なタトゥーのような刻印が施されている。自分の刻印は記号のような形なので少し羨ましい。
「それで収入があればツケを払うってことか」
「このおかげでこのお店は成り立つんですよ。刻印様々ですね」
「それじゃあお言葉に甘えてご飯食べさせてもらおうかな」
「1名様ごあんなーい!」
ミルの策略にまんまと乗った形になりながらカウンターの端の席に案内される。
メニューを開いたのにパタパタとホールを横断していくミルを少しだけ目で追ってしまった。何だか恥ずかしくなり抱え込むようにメニューを凝視した。
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