第5話 数度目の冬

 曰く、ゲシュテンフェルトの森では神隠しに会う。人だけでなく、木や動物までもがたった瞬きの間に消えてしまう。


 だから森へと近づいてはいけないよ。


 幼い頃から聞かされてきた逸話。神隠しでも事故でもなんでもいい。もし私を消せるものなら消して欲しいと、イレイズのいる森に1人足を踏み入れた。


「さむ……」


 何度目の冬だろうか。白髪は伸びた髪を適当に消し無造作に整えている。体も大きくなり、今ではすっかり青年だ。痩せこけた体は森で栄養が足りていないからか、年相応とはとても呼べない。


 飛ばされた冬には寒さで震えながら体をさすっていた。しかし年を経るごとにラディーレンの刻印の使い方を覚えてくる。

 同じさするでも寒さを感じる冷点を消す。当然寒さを感じなければ体調はすぐに崩れる。人の身を守るための機能を消すのだから当然ツケは来る。


 風邪を引けば消し、熱が出れば消し、肺がやられれば消し、皮膚が凍傷になれば消しながら歩いた。

 空腹も消せば何も食わずに何日か動ける。命が危ういと体から発せられた信号を受けた時だけ何かを口に入れる。


 死ぬ勇気はなく、罪を背負う覚悟もなく、ただただ7歳から何年も森をさまよい続けた亡者の姿がそこにはあった。


(ぎゅるるるるるる)

「またか……」


 3日ぶりに体に傾きを感じた。低栄養で体が悲鳴をあげている。これを消してしまうと苦しくて仕方が無くなる。1度目の冬に体験済みだ。それからは苦しいのも嫌で食べないのもやめた。


「今回は何を食うか」


 何年もこの森にいるイレイズはカバンもポーチも持ち合わせていない。服だけは着ないとさすがに気持ちが悪く、定期的に行商の馬車から拝借している。

 気配を消せば誰にも気取られない。五指に触れるイメージさえ強く持てれば大抵のものが消せる。自分を消すのは刻印本体を消す事になるので消せなかった。ただ自分に関係する何かまでなら消せる。気配を消失し動く。これで足跡を必死に探したり咳でもしない限り誰にも見つからない。

 はずだった。


「見つけた!」


 見つかった。人に見られたというイメージが自分の体を認識できるようになった。

 刻印持ちに万が一にも見つからないようにしていた。もし憲兵なら何が起きるか分からない。

 

 余計な戦闘は苦しくなるだけ、罪を重ねる必要は無い。人を消した罪はあの1度だけですら背負いきれない。


 それにもかかわらず呑気な顔をして俺の方を指さす金髪の女はなんだ。背格好は少し僕より小さいくらいだろうか。飲まず食わずの僕よりは肉付きがいいがスタイルは良い。丸い目には刻印があり、恐らくそれで見つけたのだろうか。

 服装は森に散歩にでも来たのか軽装で「見つけた」というセリフの理由がよく分からない。なにか目的をもって僕を探していたのだろうがこの人は何をしに来たのだろう。


 7歳で時が止まっているイレイズは、街で自分がどういう存在になっているか知らない。森に来た子供達のために危険な動物や落石、倒木を消した。足跡から僕を見つけた好奇心旺盛な森の探索家は記憶を消して家に帰らせた。

 人が消えたのだけはイレイズのせいではなく、ただ噂に乗じて自殺者が増えただけだ。


 とにかくこの森は神隠しの起きる森として街で噂されている。それを聞きつけてやってくる女の目的などひとつしかないがイレイズはそんな事も知る由もなく、自分を見た不安分子の記憶を消そうと手を伸ばしかけた。


「その気配の消し方……貴方を探していたの」


 イレイズは触れる直前に女の声で手を止める。


「私のことを、消して?」


 消えたがる女はイレイズの手を握りしめながらそういった。記憶を消そうとのばした手は何も消さずに初めてただただ握られた。

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