第2話 ラディーレン

 異常にいち早く気づけたのは僕だ。抱きしめた母親がそこに居なかったように消える。神隠しが存在するのならまさしくこんな感じだろう。

 僕は母の存在が完全に目の前から消えたことに気づいても、頭で理解が追いつかず呆然としていた。


「人がき、消えた……?」


 観覧席の1人が声を出す。何が起きたか分からずただ見たままの漏れ出た言葉だが、静寂を破るには充分すぎる一言だった。


「「「うわわわぁ!!!」」」

「呪印だ! 暴走してるぞ!」

「右手だ、あの指に触れるなよ!」

「おかあさん……?」


 刻印の暴走、呪印の付与によって暴走した刻印持ちを捕獲するために待機していた教会の刻印持ちの憲兵が流れ込んでくる。僕を囲むように陣形を取る。

 僕はそんな状況になってもたった一つのことしか頭になかった。


「おかあさん……?」

「捕らえろ!」


 司祭の号令で周りを囲む数人が飛びかかってくる。呆然としている僕はものの数秒で呆気もなく囚われてしまう。


「ねぇ、おかあさんはどこ?」


 頭を押さえつけられ右腕は2人がかりで地面に押し付けられる。他にも完全に動けないように脚も身体も押さえつけられる。

 

 体がギリギリと悲鳴をあげながらも気になるのは母の存在のみ。


「おかあさんは……」

「黙れ呪印! 貴様の刻印であの女性は!」

「やめろ煽るな!」


 僕を押え付ける中でも一際若い黒髪の少年が感情を露わにする。長く教会に務めている老兵はそんな少年を窘めるが、もう遅い。

 母が僕のせいで何かが起きた。刻印の能力も判明していない僕には、ただただ僕のせいという事実しか分からなかった。

 しかし、その事実は愛情を注がれて育てられたイレイズには致命的だった。


「そんなわけない……。僕は立派な刻印を貰って、おかあさんに楽をさせるんだ……」


 立派な刻印を貰えて喜ぶ母の顔が浮かぶ。抱きしめた途端消えた母の姿が浮かぶ。どこを探してももう何も見つからない孤独な今後が浮かぶ。

 母はまだ生きている。そう思い込まなければ意識が途切れそうだった。


 教会の少年はうわ言のようにつぶやく僕に対して怒りを隠せないのか、少し起き上がろうとした僕の頭をたたきつけて言い放つ。


「黙れ黙れ黙れ! 呪印持ちなだけでなく親殺しの大罪人め!」

「ばか! おいこいつを引き離せ! これ以上煽られちゃたまらん!」


 この少年も母親に愛情を注がれたのだろう。若くして教会の憲兵に所属し刻印の儀に携わっているのだから才能もあったのだろう。いい刻印を受け取り母には抱きしめられてその日には7歳のお祝いをしたのだろう。


 イレイズは何不自由なく育った憲兵の少年に対して行き場のない悲しい怒りの矛先を向けた。


 不運なのは教会の先輩が少年を引き離したこと。7歳を拘束していた2人の手がなくなり嫌でも拘束は軽くなる。しかし未だ4人の大人が僕の体を押さえつけている。どう力を加えたところで7歳の膂力で立ち上がるのは不可能だ。


 ただの純粋な力のみなら。


 イレイズは五指を床に向ける。手に触れない事を条件に押さえつけられていたため、手のひらは動かせた。床に五指が触れた途端、押さえつけていた刻印の台座が削れる。


 まだ力を使いこなせていないからか、母を消した時とは違って不格好にえぐりとるような形になった。だがそれが逆にイレイズにとっては吉と出た。


 右半身側の床がえぐれ、右半身を抑える2人が落ちた。僕の体も右に少し傾き、左半身を押えていた2人は何が起きたのか分からず、はたまた恐れたからか力が弱まった。


 僕はやりばのない怒りに任せて体を抜き、少年と老兵に照準を合わせる。

 床が抉れ、水晶が傾き、台座がくずれおちる。その騒ぎの中でも自分がもう受け取れない母の愛を受けたであろう少年が許せなかった。


「こんな力、使いたくて使ったわけじゃない!」


 手を振りかぶり思いっきり突き出す。拳は握らず、刻印を少年の顔面に叩きつけようとした。


 少年も大混乱に対して何が起きたのか理解出来ず、五指が体に吸い込まれそうになる。

 しかし、黒髪の少年が消える前に老兵が体を割り込ませ、黒髪の少年を突き飛ばした。老兵もなにか刻印の力を使おうとしたのか手を少年に向けていたが、少年の手が近づいた途端、何事も無かったかのように貫かれた。


 老兵の腰から腹にかけて右半分が抉り取られ、思い出したかのように血がドバドバと溢れ出てくる。

 黒髪の少年は突き飛ばされた拍子に刻印の能力範囲外に出れたのか、老兵の体を貫いた五指にかするだけで済んだ。

 黒髪の少年の左前頭部が浅く削られている。恐るべきは齢10歳前後にしてその精神力だろう。前頭部がえぐれ突き飛ばされたにも関わらず、虚ろな目をしながらも2本の足で立っている。


「はぁ……はぁ……」

「ふーっ……ふーっ……」


 現実を受け止められない白髪の少年と命からがらも悪を許せない黒髪の少年はどちらが風前の灯の命か分からない。

 白髪の少年はギリギリ浅く呼吸をし、どうしたらいいのか分からず老兵を貫いた手を眺めている。

 黒髪の少年は大量出血、重要器官の損傷にも関わらず深く、強く呼吸をし、虚ろな目で呪印の少年を見据えている。


 1歩ずつ足を引きずるように黒髪の少年が近づき、両の手の平にある刻印を紅く染める。


「吹き飛べ! 呪印!」


 血なのか刻印の色なのか分からない両の手はイレイズを捉え、爆ぜた。

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