第一章 旅立ち

旅立ちの日

「ルシフル起きて!」


 魔女狩り事件から十年ほど経った。かつてルシフルに拾われたエリスももう既に14歳、後一年もすれば成人となる。


「んぅー……後五分だけぇ……」


 だらしない声で、そしてだらしない姿勢で、眠気に耐えられず、さらに惰眠をむさぼろうとするルシフルの布団を、エリスはいきおいよく引っぺがした。


「いいから早く起きる! ご飯できてるよ!」


 その言葉を受けたルシフルは凄い勢いで起き上がり、目を輝かせてエリスを見据える。


「んー……このまま食べさせて……」


 そう言って無様に口を開けるルシフルに、アリスはついに呆れ返り、極大魔術の準備をする。


「そのまま寝てると焔巨神スルトぶちこむよ?」


「っはい起きたっ! だからその物騒な魔術の準備はやめて! 私の家が! 私の家そのものが!」


 ルシフルを起こすには、過去のトラウマを抉るのが最も楽だ。

 ちなみに、過去には同じ十域魔術である雷神トーラーをぶち込んだりしたことはある。本人には効かなかったものの、彼女のベッドは無事に破壊されたため、トラウマになっていると言う話らしい。


「……あの? ご飯は?」


「今日はルシフルが当番でしょ」


 寝起きのルシフルに、エリスは無情にも「お前が作れ」と伝える。


「そんなぁ! 寝起きの私に作れって言うの!? この魔女め!」


「それ魔女の貴女は絶対言っちゃいけない気がするの」


 おおよそ魔女が言ってはいけない罵倒に、エリスは思わず困惑する。

 もっとも、それが出てくるのは仕方がないのかもしれない。この世界で魔女というのは恐怖の象徴、そして軽蔑の対象なのだから。


「……エリスさん……? その……今日だけ、今日だけ作ってもらえませんか!?」


 捨てられて、雨に打たれ弱った子犬かのような視線を向けられ、エリスは少し悩む素振りを見せる。そして……


「いやだ」


 ルシフルの頼みをバッサリと断った。


「そんなっ!」


「ーーなんて、そういうと思ってもう用意してあるよ」


「エリス様! 愛してるっ!」


「それなら早く布団から出てきて。じゃないと全部食べちゃうよ」


「はいっ!」


 すると先ほどの怠惰はどこへ行ったのか、すぐさま負担を跳ね除けて、エリスの前に直立する。


「それじゃご飯食べよ」


 それを見たエリスは満足げに笑ってリビングに向かっていった。



「そういえばさ、私そろそろここ出てこうと思うんだけど」


 エリスがそう言った瞬間、ルシフルは驚きのあまり口から食べ物を吹き出してエリスに吹きかける。


「……汚いんだけど」


「あ、ごめん。ってそうじゃなくて! 出ていくってどう言うこと!?」


「どう言うことってそのまんまだけど。旅に出ようかなって思って」


 エリスは見てみたかった。かつて姉が、母が語ってくれた美しい世界を。話の中でしか知らない、姉たちの見た世界をエリスも見たかったのだ。そのためにはいつまでも森にこもってるわけにはいかない。

 一方、そんな事情など知る由もないルシフルは世界が終わったのか、とでも言うかのように酷い表情を浮かべていた。

 彼女の生活は基本的に終わっているのだ。料理は下手、朝も起きれない、服も畳めない、風呂も炊けない、そして洗濯もできない。そんな彼女が一人暮らしになってしまったらどうなるのかなど、目に見えている。エリスを拾う前はどうやって暮らしていたのだろう。


「私、何かしちゃった!? 気に入らないところがあるなら私なおすから! ね、出ていくなんて言わないで!?」


「ごめん、ルシフルがどうとかじゃないんだ。まあ……毎朝起きれないくせに朝早くから魔術で目覚まし鳴らしたり、毎回ご飯の当番忘れたり、掃除洗濯全部私に押し付けたり……あれ? 私出て行った方が楽かな?」


 普段の自堕落な生活がここで裏目に出たか、ルシフルは、エリスが一言一言発するごとに尻すぼみになっていき、やがては完全に丸くなってしまった。


「……ぐうの音も出ません……生きててごめんなさい、首括ってきますぅ……」


「なーんて、冗談だよ。まあ確かにルシフルは自堕落だし、無責任だし、そのくせ風呂は毎回一番掠め取ってくけど、ルシフルといた十年はなんだかんだ楽しかったよ。でもこれはもう決めたことなの。私はお姉ちゃんとお母さんが語ってくれた世界を実際にこの目で見たいんだ! きっと非魔術師モランの人達だって悪い人ばっかじゃない。とにかく私は自分で世界を旅したいの。だからごめんね?」


 エリスは偽り一つもない、正直な心のうちを語る。決してルシフルが嫌になったわけではない。むしろ拾ってもらって育ててもらった恩もあるし、好きである。


「そ……っか、でもでも、たまには帰ってきてよ? 私も一人は寂しいからさ。それに、エリスがみた世界を私に教えて欲しい」


「分かった、それじゃもう行くね、準備はしてあるから」


「待って早くない!? せめてあと一週間は待って! 私が一人で生活できるようになるまで!」


「それ何百年後?」


「それはひどくない!?」


 思わぬ罵倒に、ルシフルは思わず声を上げる。いつもと変わらないそのやりとりに、思わず二人揃ってクスクスと笑ってしまった。


「とりあえずもう行くから。お昼と夕飯は作ってあるけど……それ以降は自分でどうにかしてね」


「うぅ……このままじゃ私死んじゃう……」


「別に食べなくても死なないでしょ、ルシフルは」


「そういう問題じゃないの! ……まあいいや、とりあえず気を付けてね? もし死んだら許さないから。特に国を裏切った6人には気をつけてね」


「大丈夫、それじゃ行ってくるね!」


 ルシフルと一通り話したエリスは、耳でしか知らない世界を見るための一歩を踏み出した。


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