第15話 昼時

「ごめんなさい…本当にもう無理です…」

 青い顔で口元を押さえて言う虎千代。

 母、寅華が存在する時、食事でさえ気を抜けないのだったと、虎千代は思い出すのであった。



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 いろいろと悩み、考えていた虎千代であったが、食卓に着くと、そんな悩みなど全て消し飛ぶ。

 虎千代にとって、あらゆる悩みなど些細なものに感じられる程の恐怖と向かい合うことになるのだから。

「…。」

 何も言わず、黙々と食事をする母、寅華。

 そんな姿に萎縮しながら座る虎千代の前に、父が昼食を並べてくれる。

「いただきます…」

「いただきます。」

 並べられた膳に両手を合わせ、そう言った虎千代を見て、父も同じ様にして言う。

 レバニラ炒めとしじみの味噌汁、山盛りの白米。

 食欲を唆る香りが鼻を突くのに、箸が中々進まない。

「虎千代?具合でも悪いのかい?」

 心配そうに聞く父。

「いや…そういうことはないんだけど…」

 産まれてこの方、風邪一つひいたことのない虎千代。

 そんな彼の体調が悪くなるのは、決まって母が目の前にいる時だった。


「ならば食え。具合が悪くとも食え。食は人の生業、食は血となり肉となる。食わねば弱者、食えば強者だ…おかわり。」

 そう言って空になった茶碗と皿を潤三に差し出す寅華。

 そんな皿と茶碗を嬉々として受け取り、台所に向かう父と対称的に、虎千代は脂汗をかいていた。

「あまりにも惨めな醜態であったぞ…バカ息子。改めて鍛え直す必要を痛感した。先ずは食からだ。」

 食え。そう目で訴える大魔王に、虎千代は震える手で箸を握り、行儀悪く掻っ込む。

 入学式で阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出した張本人と、そんな閻魔大王も裸足で逃げ出す様な大魔王に為す術もなくサンドバッグと化した虎千代。

 それは寅華に余計な火を点けたらしい。

 虎千代は涙と共に飯を飲み込む。

 ただ、生きる為に…


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「ごめんなさい…本当にもう無理です…」

 今にも吐きそうな虎千代は、青い顔でそう言う。

「もう…もう食べられません…」

「情けない…潤三、おかわりだ。私と虎千代、二人分だ。」

 母の容赦ない言葉に、虎千代は、今にも戻しそうになる。

「すみません、寅華さん。もう無いです…寅華さんが二升半食べたので、炊飯器が空っぽです。」

 申し訳なさそうに言う父の声が、虎千代には救いの言葉だった。

 四人(つい最近まで、母不在の為三人だった)家族なのに、業務用炊飯器を使っているのだが、母が帰って来て以来、毎食、それでも足りないのが現状だ。

「むう…」

 物足りなさそうに椀を下げる寅華。

「炊飯器、もっと大きいのに買い替えないとですね。」

 そんな母の顔を見て、父はとんでもない提案をしていたが、グロッキーな虎千代の耳に、その言葉は届いていなかった。


「ただいま。」

 食卓に伏したままの虎千代に届いたのは、妹の帰宅を告げる声であった。


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「雑魚ばっかり…つまんない…」

 山積みとなった人の山の上に腰掛け、頬杖を付いて溜息を吐く少女。

 母が家を出た時から、少女は解放された様に暴れ回った。

 最初は自宅近辺から始まり、徐々に活動範囲を広げていった。

 気が付けば一都四県で暴れ回り、最早彼女に敵はいなかった。

「赤い悪魔…」

 一度彼女に伸されながらも、再度立ち向かう猛者がいた。

「キモい…寝てろ雑魚。」

 一瞬だった。

 ナイフを握った男の顔を、少女の小さな足が踏み付けていた。

「もうランドセルは卒業してんだよ、雑魚。」

 うつ伏せに倒れた男の後頭部を踏みながら、そう言う少女。


 晴れて中学生となった虎春であった。


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「つまんない…」

 アウトロー数十人を無傷で半殺し以上の傷を負わせ、その山を築いた虎春は退屈そうにその場を後にする。

 地域一帯を支配するアウトローたちも、史上最強の生物と畏れられる母の血を受け継ぐ少女にとって、児戯に等しい相手でしかなかった。

 彼女にとって、治安最悪のスラムも、平和な遊び場でしかなかった。

 

 寅華の血は天下無双の血、それを受け継ぐ虎春は、経津主期待の逸材であった。

 寅華の血の表れという様に、物心ついた頃には、百戦錬磨の武闘家を圧倒する力を発揮していた。

 次代の当主。そう目される虎春であったが、彼女には決定的な欠点があった。

 それは、寅華という絶対的強者である母から指導を受けてきた弊害であった。

 本来、経津主の者たちは血の気盛んで、強者との戦いを求め、強者との戦いである程、血肉を湧き立たせ、相手が強者である程、更に力を引き出す狂戦士集団であるのだが、産まれた時から、絶対に勝てないと分かる最強の存在が母として、師としていた虎春は、彼我の戦力の見極めに長け過ぎていた。

「自分よりも強い奴と戦うなんて無意味。」

 経津主の血とは真逆の信条が彼女の中で出来上がっていた。

 

 虎春は物心がついた時点で既に悟っていた。

 如何に努力と鍛錬を積もうと、母は越えられないと。

 そう悟った時点で努力する気は無くなっていた。無くなっていたが、母の前では努力した。

 叱られる方が怖かったから。

 しかし、母が姿を消した二年と少しの間、虎春は鍛錬も努力もしなかった。

 それでも十分以上に強かったし、最強と呼ばれる経津主一族の中でも、上位十数人に入る程度には強かった。

 故に気ままに暴れていたのだが、状況は一変した。

 母が帰ってきたのだ。


 怖かった。

 再開した母の姿を見て、恐怖という感情しか無かった。

 あれからほとんど強くなっていない自身と、二年前に感じていた以上の力の差。

 それを咎められるのが怖かった。


 虎春は兄、虎千代とは違った。

 母を恐れる心は同じだが、虎春は兄とは違い、弱者に対する情けは無いし、己の力は最大限活用する積りだった。

 母の様になりたくない。

 そう思いながらも、母の力を羨み、それを望む自分がいる。

 武、つまり力を第一とする経津主の血が、虎春には確かに流れていた。


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「お腹空いた…」

 薄暗いスラムから出た虎春の嗅覚を、美味しそうな匂いが襲う。

 世間は丁度昼飯時、スーツや作業服姿の人々が、吸い込まれる様に格安を謳う飲食店に入って行く。

「帰ってもアイツがいるし…」

 周囲から浮いたセーラー服姿の虎春は、財布を開き、中を確認する。

 満腹は無理か…

 母譲りの無尽蔵な食欲を持つ虎春は、残金を確認にして溜息を漏らすが、家には帰りたくなかった。

 ご飯おかわり無料という言葉に惹かれ、寂れた定食屋に入ろうとした。


「まあ!!虎春お嬢様では御座いませんか!!」

 定食屋の引き戸に手を掛けた虎春の背後から、芝居がかった声が聞こえる。

「巳香さん…お久しぶりです。」

 作った笑顔で虎春は振り向いて言う。

 経津主巳香、母の従妹であり、母の熱狂的狂信者。

 彼女に対し、そう虎春は思っている。

「虎春お嬢様、ちょうど私も食事を取ろうと思っていたのです!!ご迷惑でなければ、ご一緒させて頂けませんか?勿論、私の奢りです。」

 へりくだって言う巳香に、跡を付けていた癖によく言う…

 大方、複数人の隠密を配備し、私の動向を探っていて、ちょうどいいタイミングで出て来たってところね…

 母が理事長として出席したであろう、経津主学園の入学、そこで秘書官として業務を行っていたであろうスーツ姿のまま現れた巳香に、そう思いながらも、

「本当?ありがとう、巳香さん。」

 無邪気な笑みで答える虎春。

 虎春の信条は一つ、己よりも強い者には刃向かわない。

 強者の求める自分を演じる。

 

 そんな虎春を車に誘導する巳香。

 狂気の宿る巳香の瞳を、虎春は笑顔の仮面を被り見ていた。





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