第16話 蛇女
「それにしても…」
黒塗りの高級車、その後部座席に座る虎春と巳香。
巳香は隣り合わせに座る虎春を、舐め回す様に見て、巳香はうっとりとした表情で呟く。
「なんですか?」
貼り付けた笑顔で聞く虎春だが、警戒を怠ることはない。
「素敵になられました。…ふふ、やはり虎春お嬢様は、寅華様の娘です。」
蛇を思わせる、先が二つに割れた、細く長い舌をチロッと出し、舌舐めずりする巳香。
そんな巳香の言葉と姿に、虎春の背中に悪寒が走る。
だから苦手なのだ。
昔からこの女はそうだった。
巳香は経津主の中では珍しい、知力と武力を兼ね備えた人物だった。
権謀策略に長け、十分以上の力があるにも関わらず、正面から正々堂々戦うということは皆無で、不意打ちや暗殺を好む。
世間一般では卑怯、卑劣と呼ばれる生き様だが、勝利至上主義たる経津主の中では、負けた方が悪いという考えの元、それ程敵視されてはいない。
虎春も、別に彼女の戦い方に対して思うことはない。勝てば良いのだから。
虎春が彼女に苦手意識を持つ理由は二つあった。
一つは、狂気にも似た母、寅華に対する忠誠心と信仰心。
彼女が口を開けば出てくる言葉は決まっている。
「寅華様。」「寅華様。」
そう言わなければ話せないのか?と思う程母の名を言う事が嫌いだった。
そして、もう一つの理由が最大の理由だろう。
巳香は虎春に優しい、優しいどころか、軽い信仰心を持っている。
しかし、その感情の元にあるのは、虎春に母、寅華の血が濃く流れているからであり、巳香の目に、本当の虎春は映っていない。
寅華の娘であり、その面影があるから特別扱いするだけ。現に同じ母の血が流れる兄、虎千代に対しては辛辣であったし、会っても、ゴミを見る様な目で彼を見る。
虎春は、母と似ていると言われることを嫌う。
大嫌いなその言葉の上位互換とも思える言葉を言う巳香。
巳香にとって、虎春は母の代用品。
それが虎春には分かっていた。
だから嫌いだった。
「あぁ…到着ですね。非情に残念です。もっと寅華様…虎春お嬢様と二人だけでお話したかったのですが…続きは食後ですね。」
車が止まり、名残惜しそうに開いたドアから降りる巳香。
「食事は黙して喰らえ。経津主の教えですからね…」
内心、助かったと思っている虎春は、そう返事をして車を降りた。
食事中は、余程の場合でない限り会話をしない。
それが経津主一族の教え。
現当主である寅華があんまりその辺の教えを疎かにしているが、一応そういうことになっているからだ。
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「美味しかった…」
けぷっ、と満足そうな表情で呟く虎春。
「良い食べっぷりで御座いました、虎春お嬢様。まるで、幼き日の寅華様の様で…」
うっとりとした表情で支払いを済ませた巳香。
ホルモンを筆頭に、内蔵系を中心とした高級焼肉店で、たらふく喰らい尽くす虎春の姿に寅華を重ね、歓喜に震える巳香。
寅華と虎春、この
「寅華様は虎春お嬢様の数倍は食べておられました…食は血であり、力。ふふっ、強者の証しです。私も精進が足りませんね。」
虚空を望み、笑みを浮かべる巳香。
彼女の目には、ここにはいない寅華の姿しか映っていなかった。
散々に食い荒らし、多額の食費を奢らせている虎春は、
「高価な昼食に加えて、わざわざ送って頂くなんて…流石に気が退けます。」
さっさと解放しろ。
そんな心の内を隠しながら虎春は巳香に礼を述べる。
「いえ、こちらこそ、寧ろありがとうございます。まるで幼い寅華様と食事をしている様で…ふふふ…」
トロンとして目と紅潮した頬、恍惚とした表情でそう返す巳香は、
「本当に素晴らしい一時で御座いました。」
蛇の様な舌で舌舐めずりした。
「母様に巳香さんにお世話になったと感謝を伝えておきます。」
虎春の言葉に、巳香は狂った笑みを浮かべる。
「虎春お嬢様、何かありましたら、私に何なりとお申し付けを…」
巳香の言葉と、虎春の先にいる寅華を見る瞳。
やっぱりコイツ嫌い。
虎春は作った笑みを貼り付けながら、自宅迄巳香の舐め回す視線に耐えた。
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「ただいま。」
疲れ切った妹の声と、
「お邪魔します。」
嬉々とした女の声が玄関から聞こえた。
「虎春ちゃんと…」
「あの人だね…」
息子と父は苦い顔をする。
「巳香か。」
気にせず茶を啜る母。
「ごめん、虎春ちゃん。ご飯だけど…」
「食べて来たから大丈夫。」
もう無いよ。そう言おうとした潤三の言葉よりも早く、虎春が答え、
「か、母様、巳香さんに御馳走になりました。」
食卓の入口前から顔を覗かせ、プレッシャーをかける巳香に押され、怯えの滲む言葉で母にそう伝えた。
「そうか…娘が世話になったな、巳香。礼をせねばならんな。」
寅華の言葉に、至福の表情を浮かべた巳香。
そんな巳香の姿を見て、
「「嫌な人が来たなぁ…」」
そう内心で呟く男性陣二人であった。
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