第10話 変な家族

「全く、いつまで泣いておる。」

 大人数人は入れる檜の浴槽の手前で、虎春はグスグスと泣きじゃくりながら、彼女にとって最も恐ろしい人物と共に身を清めていた。

 失禁し、色々と出てしまった虎春は、自身の失態への羞恥と悔しさ、何より恐ろしい母への恐怖で涙と嗚咽が止まらなかった。

「ひっ!…も、申し訳御座いません、母様。」

 そんな恐怖の対象から注意され、溢れる涙が引っ込む程慌て、嗚咽混じりに頭を下げながら謝る。

 そんな虎春を悲しそうに見下ろしながら、寅華はどうすればよいのか分からず、暫く黙っていた。

「さっさと身体を洗え。」

 ぶっきらぼうにそう言って、湯船に浸かる寅華。

 分からないことを考えるくらいなら、分かることをする。

 それが寅華の生き方だった。

 そんな生き方のせいで、思いつきと直感、本能だけで生きる怪物になってしまったのだが、この怪物を止める手段を誰も持っていない。


「小さいな…虎春は。」

 湯に浸かりながら、丁寧に身体を洗う娘を見て寅華は言う。

「ま、まだ成長期が来てませんので…」

 虎春は、サッ、と胸を隠しながら、恐れながらも悔しさを滲ませた声で寅華を見て言った。

 自分が娘と同じ歳の頃、もう少し背が高かった。

 そう思いながら言ったのだが、寅華は違う捉え方をしたらしい。

 虎春の視線は、プカァ、と湯船に浮かぶ寅華の豊かな胸に向けられていた。


「か、母様、ドライヤーは…?」

 濡れた髪をバサバサとタオルで擦り、肌着と丈の短いパンツ姿で脱衣場を出ていこうとする母に思わず声をかける虎春。

「放っておけば乾く。」

 無造作に跳ねた焦茶色の長髪をそのままに去っていく母に、虎春は呆れを込めた溜息を漏らした。



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「ここは…天国?」

 ぼんやりとした意識でうっすらと目を開け、光の眩さで目が眩みながら虎千代は呟く。

「起きたか、バカ息子。」

 そんな虎千代を覗き込む様に見る大魔王の姿に、ああ、地獄か。それもとびっきりの大地獄。

 そんなことを思いながら、虎千代は起き上がろうとするが、身体が動かない。

「あれ?おかしいな…身体が全然動かない…」

 ピクリとも動こうとしない自分の身体に、若干の焦りを感じる虎千代。

「全身の骨が粒子みたいになってるんだから当たり前でしょ。寧ろ、何でアンタが生きてんのか分かんないわよ…」

 呆れた様に言う虎春の言葉で、虎千代は、大魔王に全身の骨を一撃で粉砕されたことを思い出す。

「大袈裟だな、一晩寝れば治る程度の怪我だ。」

 虎千代の顔を見ながら、ビールを大瓶で煽る寅華は湯上がりなのか、少し火照っている。

「さて、バカ息子。大切な話だが…」

 そう言うと、行儀悪く大瓶を直接煽り、一息吐く母。

 それどころじゃない気がするが、身動きがとれない虎千代は、黙って聞くしかなかった。


「貴様、高校に行くそうだな。」

 そう言って、ドン!と床に置いた大瓶が粉々に砕け散る。

 あ、ヤバい。なんか知らないけど怒ってる。

 大魔王寅華の怒気を感じた虎千代は、己の命が残り少ないと悟る。

「い、一族と自分、両方にとって良い判断だったと思うんですが…大爺ちゃん筆頭に、皆んな賛成でしたし…」

 ここで反論しても無意味だと思い、正直に言う虎千代。

「私は賛同しておらん。」

 そう言って、ズォ!と、寅華から溢れる殺気。

「で、でも…いえ、なんでもないです。すみません…」

 色んな言い訳が頭に出てきたが、どれを言っても無駄だと、己の死を悟り、虎千代は謝るだけにした。


「爺様にせよ、父様、母様…他の一族にせよ、当主の私を差し置いて、私の息子の進路を決めるなど許されぬ!!」

 寅華はドカッと床に座り、怒り心頭とばかりに怒気を吐く。

「だが安心しろ。貴様は我が一族の学園に行く。これは決定事項だ。」

 一番望んでいなかった言葉が母の口から出てきた。

「い、いや!!でも、母さん!!」

 僕の意識は!?

 そう言う前に、母は頼もしい笑みで言った。


「お前は何も気にしなくてよい。全員既に黙らせて来た。何より、来年度から学園の理事長は私だ。」

 そう言って拳を見せる母。最悪の条件での入学じゃないか…


 大爺ちゃん、爺ちゃん…その他一族の方々…

 虎千代は我が身に起こった不幸と、親族に起こった惨劇に涙が止まらなかった。



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「相変わらずキモい身体ね…」

 虎千代が絶望の涙を流した翌朝、一晩寝たことですっかり骨が再生し、当たり前の様に歩く兄を見て、気味悪そうに虎春が言う。

「酷いなぁ、虎春ちゃん…僕はどっちかといえば貧弱の部類なのに。」

 妹の言葉にしょぼくれる兄。

「アンタも大概ヤバいわよ…」

 呆れた様に牛乳の入ったマグカップを傾ける虎春。

「あはは、まさか…僕がヤバかったら、あの大魔王はどうなるのさ。現にですまだ肋は戻ってないからね。…あ、口の周り汚れてるよ。」

 有り得ない、と笑いながら妹の口を拭く虎千代。

「こら、虎千代。寅華さんを悪く言ったら怒るよ。あんな素敵な女性、寅華さん以外いないよ。」

 そんな虎千代を優しく叱る父。

「父様もおかしい…」

 口を拭ってもらいながら、ムスッとしてそう言う虎春。

「もういい、私先行くから!!」

 不機嫌そうにランドセルを背負う虎春。

「あ、待ってよ、虎春ちゃん!!」

 慌てて追いかける虎千代。

「虎千代、気を付けてね。虎春ちゃん、ヤンチャも程々にね!!」

 そんな二人を見送る父。

 母、寅華はまだ寝ている。


 その日、虎千代は通学と帰宅途中、合計三回トラックに撥ねられた挙句、武装したその筋の人たちの抗争の真っ只中に巻き込まれ、数十発の弾丸を浴びたが、無傷で帰宅した。

 虎春は学校には行かず、周辺のアウトロー集団を壊滅させ、ストレス発散と小遣い稼ぎをし、潤三は夕食の買い物を済ませた後、目覚めた寅華に搾り取られていた。

 そして、潤三との夫婦の営みを終えた寅華は、干乾びた潤三をほったらかし、居間で酒を飲んでいた。


 






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