× × ×


「お母さん、私だよ、華だよ! 思い出してよ!」

「やめて!」母は悲鳴に似た叫び声をあげ、子供のように耳を塞いだ。「私は純潔なの、子供なんていない!」

「いるよ、あなたの目の前に! こっちを見て、私とちゃんと話して、お願い!」

「いや、いやぁ!」

 母は幼子に返ったようにいやいやを繰り返す。どうにか聞かせないと……! 何か、一目で納得できるものはないか。視線を彷徨わせた時、

「小山華!」

 誰かが私の名前を呼んだ。御門くんだ。やっと名前を覚えてくれたようだ。同時に投げて寄越したのは、スマートフォン。液晶画面には、私と父と、それから母――加賀美瑛里が映っていた。まだ離れ離れになる前、三人で撮った家族写真だ。

 どうして御門くんがこの写真を持っているのか、疑問は浮かんだけれどこの際関係ない。眼前に突きつけた。

「これを見て、あなただよ。一緒にいるのはあなたの別れた旦那さんと、離れ離れになったあなたの娘。よく見て、今あなたの目の前にいるのは、あなたの娘なの。辛いだろうけど、いつまでも夢に逃げちゃダメ。ちゃんと現実を見て!」

「あ、ああ……あぁあああああああ…………!!」

 液晶画面を目の当たりにした母は、大きく目を見開き、叫んだ。耳を劈く断末魔が響き渡る。それから、力なく項垂れた。

 美しく手入れされた髪の毛は、幽鬼の如くボサボサになっていた。その隙間から覗く瞳が、ゆっくりと瞬いた。その眼差しに、先の狂気の色は見られない。

「――華?」

 母は口の中で小さく、確認するように呟いた。

「そうだよ、華だよ。お母さん、ごめん、ごめんね」

「華、華。ああ、私の可愛い華ちゃん。どうして泣いているの?」

 母は優しい手つきで私の目尻を拭った。そうか、私は泣いているのか。

「だって、お母さんに酷いこと言っちゃったから。ずっと謝りたかったの」

 伝えたかった言葉を、音に乗せて届ける。


「ごめんね。お母さんは、この世で一番綺麗な人だよ」


「ほんとう? 私、きれいなの? 誰よりも」

「うん」

「そっか……よかった」

 私達は顔を見合わせ、微笑んだ。これで、思い残すことはない。ああ、でも。最後に一つだけ。

「御門くん、憂ちゃん、ありがとう。それから――お父さんにも伝えてほしい。私を守ってくれてありがとう。最期まで親不孝な娘でごめんなさい、って」

 憂ちゃんが頷いたのを確認すると、私の意識は夜の空気に溶けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る