◇


 カゲリが迷惑を掛けたため家まで送ると言うと、憂は全力で遠慮したが最後には折れて「……じゃあ、お願いします」と頭を下げた。

 先程彼女を襲った靄は、祟り神の残滓だろう。祠を含め祓い回ったはずだが、憂の体質が引き寄せたのか。

「木下さん、さっきの話だけどさ。くれぐれも、他の奴らには言うなよ」

 別れ際、釘を刺すと憂は「大丈夫だよ」と笑った。

「わたしも今まで周りに言えなかったから。本当はね、御門くんが普通じゃないことも勘づいてたの。だから……仲間だね、わたし達」

 答えず、霞は彼女が住むマンションを後にした。


 先程の木下憂の身の上話だが、霞には引っ掛かっていることがあった。

 鵺退治で知られる源頼政の子孫に、木下姓がいた話は耳にしたことがない。では、何故木下の人々は頼政の子孫を名乗るのか? それには、木下と呼ばれる馬が関係するのではないか――?

 平家物語によると、頼政の挙兵の理由として平清盛の息子、宗盛むねもりとの確執がある。曰く、頼政の嫡男仲綱なかつなが木下という名馬を譲るようねだられたが、宗盛は仲綱がすぐに返答しなかったことに腹を立て、木下の名を『仲綱』と改め侮辱した。これをきっかけに頼政親子は積年の平家の横暴についに怒り、挙兵したが宇治の地に散った。この頼政らの挙兵が後の源平合戦の序章となり、平家追討の令旨を源頼朝らが利用し源氏と平家の戦いになっていくのだが――話の本筋からはズレるため、今は割愛させていただく。

 挙兵のきっかけとなった木下という馬だが、頼政に退治された鵺が生まれ変わった姿だという説もある。つまり、鵺は頼政に復讐を果たしたことになる。

 そして憂の体質から鑑みるに、木下の一族とは、怨霊となった鵺を祀り鎮めるための生贄の一族なのではないか――?

 勿論、これはただの仮説であり、確証はない。霧雨篠に訊ねてもよいが、下手に勘繰られるのは面倒だ。だから、霞もこれ以上の詮索を控えることにした。ただ一つ、彼女について判ったことがある。

 木下憂を例えるならば、あらゆるものを受け止める水だ。故に、陰法師といった陰日向のモノすら受容する。器によって変幻自在にカタチを変える水は、相手によって如何様にも姿を変える。それこそが木下憂の本質。だからこそ自身に頓着がなく、迫る死すらも瞬時に受け容れる。一見人当りの良い彼女の中身はからだ。

 対する霞はブラックホール。あらゆるものを呑み込み、跡には何も残らない、深い深い底なしの闇。一辺の光さえ届かない、見えない奈落の底。霞は自ら奈落に落ちた。その結果が――


「仲間だね、わたし達」


 憂の言葉が脳裏を過る。違う、そんなんじゃない。俺は、アンタみたいに清廉潔白じゃあない。オレは――

「勘違いするなよ、霞。あの娘の思うような奴じゃねェだろう? は」

 呟いて、黒のフードを目深に被り直す。チェシャ猫の笑みだけを残し、影はそのまま夜闇に溶けた。

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