Voice 〜才能〜

 正直、むかつく。

何がって、彼女の声だ。耳障りで、小鳥みたいにキンキンと、私の脳内を駆け巡る。一度聴いたらもう離れてはくれない、彼女の。

 彼女が、夢破れてを歌っている。屋上に吹く風は厳しく私たちを包んでいる。だけど、私と彼女は別の世界にいる。隣にいるのにあまりにも遠い。

彼女の口が開く、ピンクの舌が見える。言葉の一つ一つをやわらかく抱きしめるように、放つ。それは空に浮かび上がる。丁寧に背負っていく。夢はかえらない。

音楽は終わる。神はまた、彼女の体から去っていった。

 そうしてやっと私は、彼女に声をかけることができるのだ。

「10点」

そういうと彼女は、頬を膨らませて私に文句を言う。

「えええ、うまく歌えたと思ったのに」

「残念でした、はい。もう一回」

冷たさを装って私は胸の奥の熱を必死に押さえつける。早く、と言ってしまいそうになる。

彼女は眉を顰め、何かを考え込む。どうせ、この曲をどのように歌えばいいのかを考えているのだ。こいつは考えればそれで済むと思っている。わかりさえすれば形にできると思っている。誰でも、私でも、できると思っているところが腹立つ。

「早く歌いなよ。もう暗くなってきたし」

意地悪く催促すると、彼女は一度息を吐いて大きく吸う。ざわざわと肌が波打つ。くる。

ラッパのような、オーボエのような、ソプラノ。

それは一瞬で私を天国へと舞い上がらせるのだ。毎日毎日、晴れでも嵐でも、どんな日でも私は彼女の音楽の隣にい続ける。

せめてこの場所は、私のものであって欲しいのだ。彼女のようには歌えない。

彼女の短い黒髪とプリーツスカートは風に靡いて、それはまるで私を誘っているかのよう。悪魔のよう。

彼女が綺麗で、いっそのこと私丸ごとを彼女の前に投げ出してしまいたいのだ。

そんな馬鹿げた考えにさせるだけの力が、この声にはあった。


私が今まで彼女の音楽に100点をつけたことがないのは。

彼女がここからいなくなって、大きな舞台へとウキウキしながら行ってしまうのが、怖いから。

彼女が、私からいなくなってしまうのが、耐えられない。



 そして最後の一音が終わった時、私の心は熱を流されたようになっていた。



 屋上のベンチに座る。夕焼けがゆっくりと眠り始めて、黒がやって来る。彼女といるだけで夜がこんなにも頼もしい。

「そろそろ、帰らなきゃね」

「あのね、あっちゃん。私さ」

彼女が、きずきが小さく言ったのは、その時だった。

「私、ずっと悩んでたことがあるの」

きずきの声は私に衝撃を与えた。息が、できなくなるほどに。

「私ね、実はあっちゃんに憧れてるの。ずっと。あっちゃんは背も高くて、美人だし頭もいいし、みんなに好かれてる。なんで私なんかと一緒にいてくれるのか、わからないほどだよ」

きずきの表情が見えない。彼女の瞳を隠している髪を、指でどかしたくなる。

「私には、なんにもない。コンプレックスばっかりなんだ」

きずきは、「へへ」と笑った。それがわざとらしくて虚しさがしんと残る。

わざとらしいきずきは、悲しかった。


静寂が当たりを包んだ。きずきを抱きしめてあげたいと思う反面、私は人の悪いことに、この状況に喜んでもいた。彼女が、私に悩みを相談しているのだ。神を呼べる声を持つ、彼女が。私だけに、弱みを曝け出して。それがなんだかどうしようもなく、気持ちがよかった。

「ばかじゃないの」

きずきの手を握った。

「ばか。ばかばか、ばーか」

「あ、あっちゃん?」

自分のことなんてどうでもいい。きずきの隣にいられたらいい。

そんなふうに考え出したのがいつからだったのか、なんてもう、どうだってよかった。


「あんたは自分がどれだけすごいのか、全然わかってない」

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