親友 〜不安〜

 りかは私の親友だ。

と、私は勝手に思っている。本人がどう思っているかはわからないし聞くのも怖いので聞かない。ともあれ、私は今まで、彼女がこの世界で生きているということに救われてきた。この世界も捨てたものじゃないなと思えていた。

 そんな私だが、ひとつだけ隠してきたことがある。一生隠すつもりでいたことだ。

それはーー。

『どうしたの?こんな時間にメールって珍しいじゃん』

りかからのメールが返ってきた。

うつ伏せで毛布を被ったまま、叫び出したい衝動をなんとか抑えながら、震える手でメールの返信を打つ。一瞬で既読がついた。待ってくれていたのだろうか。

『ずっとりかに隠してたことがある。深夜にごめん、今時間大丈夫?』

歯ががちがち鳴り始めた。暗い部屋には私一人しかいない。スマホの電子の光が私の顔を青白く照らすだけだ。俯く。

どこでもいい、逃げ出したい。この部屋から、救われたい。

バイブ音が鳴って、私は一瞬の隙もなく画面を見た。

『いーよ』

ごめんね、絶対怒ってるよね。

こんな深夜にメールして何考えてんだって。ただでさえりかは家が遠くて早起きなのに、ほんとにごめんね。

頭の中で繰り返される不安に、更に不安が重なっていく。こうなったらもう悪循環の始まりだ。何を見ても不安が蓄積されていく。

『わたしね』

そこまで打って、とうとう指が震えて打てなくなる。

息ができなくなる。りかが待ってくれている気配がする。ごめんなさい。


 こわい、という感覚を抱くようになったのは、いつからだっただろう。もう2、3年は前になるだろうか。なんだか、世界が終わってしまうような絶望と、どうにかなってしまいそうな不安が私の心に居座るようになった。

それも、夜だけ。

この散らかった部屋で、一人ぼっちで震える夜が私の毎日になった。昼はりかや他の友達と、ごく普通の女子高生のふりをして、夜は得体の知れない化け物に怯え続ける。私の日常だ。


もちろん、絶対に家族には言えない。母さんも父さんも、優しい。優しいけれど、頭がおかしくなったと思われる。だって私自身、そうなんじゃないかって考えているから。頭がおかしくなったんじゃないかって。

母さんの冷たい目が頭の中に浮かんできて、私から声を奪ってしまうのだ。

 私は、ぎゅっと目を瞑る。こうしていれば何かを視界に入れなくて済む。もうこれ以上新しい不安に押しつぶされるのは、だめだ。壊れてしまうと思った。

『どした?』

またバイブ音が鳴って、はっとする。りかを待たせたままだった。また、恐怖に囚われてしまっていた。

時刻を見ると、5分が経っていた。

私はメールの文章を打った。吐き出したい気持ちと、これを伝えて、りかにきっと引かれるであろう恐怖を同時に抱いた。

この文章を送ったら、私とりかは終わるんだろう。


そう思うと、涙が滲んだ。

もう、これでバイバイだ。もう、この感情を一人で抱えているのには耐えられなかった。

『私ね、実は』


『うん』


『不安障害なんだ』


返事が返ってこない。

終わった、そう思った。

 その時、電話が鳴る。りかだった。


咄嗟にスマホを耳に当てた。

「あー、もしもーし。あいり〜?やほー、げんき〜?」

いつものりかだった。

私は、呆気に取られて、思わず「うん、元気・・・」と返していた。

「で?それで、どしたの?続きを聞こうか」

「え・・・」

私は、目を見開いていた。

「あの、だから私、不安障害なの・・・」

「ほ〜、何それ?」

「え、えっと。特に理由もないのにずっと不安で、夜とか、すごく不安で、眠れなくて、それで」

りかの優しい相槌が聞こえてくる。

「それで、頭がおかしくなっちゃったんじゃないかって。もう私はこのまま、不安と付き合っていくしかないって、思って・・・」

何を言いたいんだろう、私は。取り止めもない言葉がするする口から出ていってしまう。きっと困らせている。

「り、りかのこと、私、親友だって勝手に思ってて・・・りかになら私、嫌われるかもしれないけど、聞いて欲しかったんだ」

いつの間にか、私は泣いていた。

りかは、何も言わない。

「ごめんね、急にこんな話して、こ、困るよね・・・っぅ・・・」

ティッシュを探すけれどどこにもなくて、涙を袖で拭った。すぐにびちゃびちゃになった。

ああ、でもよかったのかもしれない。りかはこれで私みたいな奴と別れられる。そして、幸せに暮らすんだ。彼女には私はいなくても、他にいくらでも友達がいる。一人になる私の分まで、幸せになってくれたらいい。私は自分を納得させられる。自分の人生を諦められる。彼女さえ幸せになってくれたなら。


「ばかなこと考えてるでしょ」

その時声が聞こえる。

「あいり、今、私に嫌われて逆によかったとか思ったでしょ〜。やっぱあんたって、おばかだよね〜」

苛立ちのようなものがりかの声から少しだけ感じ取れた気がした。

「あのね〜、あいり、聞いてくれる?」

私はなんとか鼻水を抑えて、小さくうんと言った。

「私がこの先あいりのことを嫌うことは絶対にないよ。何があっても。犯罪者になってもね。あいりは今、私のことを親友って言ってくれたけど、私だって同じ気持ちだから。勝手に一人にならないでよ、寂しいじゃん」

え、と言葉が漏れた。いつも緩い感じで喋るりかが、真剣な声をしていた。

「あいりが私のこと大事に思ってくれてるのと同じぐらいには、私もあいりを大事に思ってるってことだよ。でなきゃ、一緒にいないよ。あんたは私に愛されてるんだから、絶対大丈夫」

すっと、何かが晴れたような気がした。

絶対、大丈夫。その声が私の中から離れなくなって、膜になって私を夜から、守ろうとしているみたいだった。私はそれにしがみついた。りかの笑顔が目に浮かんできて、涙がボロボロ落ちる。

「ほ、ほんと・・・?」

「何回でも言うよ。絶対だいじょぶ!」

明るく、りかは言った。


 その夜は一晩中、りかと電話で繋がっていた。不思議と、いつもより怖くなかった。

それから。

りかは、家族や先生に打ち明ける手伝いをしてくれた。ずっと隣にいてくれた。

そしてりかは、ほとんどの夜を私の部屋で過ごすことになった。互いの家族も了承してくれた。

不安になってりかを見るたびに、彼女はいつものような緩い笑顔で、

「だいじょぶ」

と囁いた。


夜の中にりかが入り込んだ。怖いときは手を繋いだ。

私は一人ぼっちじゃなかった。

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