総合格闘家の朝倉海がわざとオタクの恰好をして繁華街に現われ、通りすがりの強面に煙草のポイ捨てを注意するという番組を数年前にみていた。
ゴミ袋を手にしたダサい恰好のオタクに注意された強面は相手が朝倉海とも知らずに、凄んでみせる。
なんだお前。
来い。
物陰でヤキを入れるつもりでオタクを取り囲み男たちはオラつく。しかし朝倉海がその場でシャド―ボクシングを始めた途端、
お……
強面は顔を見合わせて身を屈め、路上に棄てた煙草を拾い出すのだ。
また別の場面でも、絡まれた朝倉がオタク仕様のダサい上着を脱ぎすてて鍛え上げられた肉体を見せた途端に、
お……
やはりチンピラはそれまでの態度を引っ込めて、お世辞まで口にしながら朝倉の足許でいそいそと煙草を拾っていた。
これほどに分かりやすい雄の世界はないなぁと感心して観ていた。
(youtubeで観れる)
近年、少年誌での女性漫画家の活躍が目覚ましい。
中性的なペンネームだと性別が分からないまま読んでいる作品も沢山ありそうだ。
少年誌に掲載されてアニメ化し、世界的大ヒットを飛ばした幾つかの漫画の作者も女性だ。
その逆はあまり聞かないので、女性のほうが少年誌のテイストに寄せていきやすいのかもしれない。
そんな中でも、やはり女性からみて「これは男性にしか書けない」と想わせる作品がある。「拳王伝 KENOHDEN」もその一つだ。
書けるか書けないか以前に、そもそも女性はこれを書きたいとは想わない。
テレビで格闘技が流れていたらちらっと観たり、教養程度にさらっと記事に眼を通しはするが、熱心になるほどではない。
拳法映画のバイブル「燃えよドラゴン」ですら、午後のテレビでやっているのを予備知識なしで観てしまい、呼吸困難になるほど友だちと笑い続けたくらいなのだ。
セリフがおかしい。
決め顔がおかしい。
顔が担任に似ている。
ブルース・リーが出た瞬間から笑っていた。
瞬間最大風速はリーが蹴りとばした相手が椅子を崩しながら飛んでいった場面で、みんな床に倒れた。
箸が転がっても笑う年頃だったとはいえ、あれは笑う映画ではない。
「これ有名な俳優なんだってー!」
故人だがワールドワイドで有名な人だった。
あれほど笑ったことをこの場を借りて陳謝したい。
「燃えよドラゴン」ですらその調子なのだ。格闘技全般になんの興味もない。
一般的にも眼を輝かせながら格闘技観戦を趣味とする女性はきわめて少数だ。
タイトル戦だの防衛戦だのいわれても、出る人たちの名前が辛うじて分かるくらいで、どれだけ凄いのかは分からない。
そんなわたしだが、この作品を追いかけている。
第一話から数話にかけて三回くらい読み直した。
読み直したのは格闘技に馴染みがなかったわたしの側の問題で、内容のせいではない。
男の人が書く漢の世界。
無駄のない文章に痺れてしまった。
主人公は漢。
漢には夜の匂いしかしない。
飯屋に入ったらビール瓶が割れるのだ。おちおち食事も出来ない。
殺伐にしてストイック。
作者は愕くほど多作だが、硬派な男の世界を書かせると天下一品だ。
女は去れ。
拳と拳で男たちが対話する。
普段は優しい男性たちも、その本性ではこの作品の漢たちのように筋力を持て余して野蛮を底に秘めているのだろう。
だからこそ男と男が身ひとつで闘う格闘技はあれほど男性から人気があるのだ。
闇の底でただ身体を鍛え上げている雄に対して、同じ雄ならば畏怖をもち、そして憧憬する。女たちから「これの何がおもしろいの。他の番組に変えて」と云われながらも、男たちは血と汗が飛び散る格闘技に魅せられる。
雄と雄がぶつかり、より強い雄が勝つ。
勝つのは漢。
原始的で、シンプルだ。
男の価値を想い出せ
男の価値?
さあ、なんだろう。
格闘技を観戦する時、男性は自分も闘っている気分になってアドレナリンでも出るのだろうか。女にはさっぱり分からない。
朝倉海は素人には手を出さない。にこにこと立っていた。
いつでも殺れる強さを持つものは優しくみえる。
少なくとも男性ならば、「燃えよドラゴン」を観て笑い転げることはないだろう。