第12話 邪魔(1)

 直江は短時間で勝負を掛けてくる。

 そのことを真壁はわかっていた。


 妙な呼吸をしていた。その直江の妙な呼吸の理由。それは、鼻が潰れているためだった。

 先ほどの頭突きで直江の鼻は完全に潰れていた。

 呼吸が上手くできていない。

 そのため、直江は短時間で勝負を掛けるしかなかった。


 小刻みにジャブを打って距離を詰めてくる。

 しかし、真壁はその攻撃に付き合わず、距離を取る。

 入ってこようとすれば、前蹴りのフェイントでその動きを止め、こちらからは攻める振りをするだけ。

 そういった真壁の動きに直江は苛立ちを感じていた。

 だが、直江もプロである。その辺の試合運びはわかっている。感情を剥き出しにして戦ったところで真壁が勝てる相手ではないということくらいはわかっている。だから、耐える。いまは耐える時間なのだ。


 誰かがジムに入ってきた。それが視界の隅に見えた。はっきりと顔は見えない。いまは目の前の相手に集中する必要があった。

 沖がその入ってきた人物と何やら話をしている。


 完全に直江の集中は切れていた。

 それに気づいた時、視界の隅には黒い大きな塊があった。

 避けるのは、間に合わない。

 ガード。腕を上げるのも間に合わないだろう。

 今できることは体中の筋肉を硬直させて、これから来る衝撃に備えるだけだ。


 人間はこの動作を本能的にやることがある。

 人から急に声を掛けられた時、一瞬ではあるがビクっとして身体が硬直したことは無いだろうか。簡単にいえば、その状態である。

 武術では、これを利用して『不動金縛りの術』などといったり、『たい』などといったりする。

 これは人間の本能的な行動を逆手に取った技(術)だった。


 真壁は武術を使うというわけではない。ただ、それを本能的に使っているだけなのだ。


 殴られる。そう本能的に察知した直江の身体は硬直をした。

 しかし、拳は直江の顔ギリギリのところで止まっていた。

 罠。

 そうわかった時、直江の全身の毛が逆立った。

 硬直のあとにあるもの、それは脱力である。

 力を入れなければ、力を抜くことは出来ない。当たり前のことではあるが、それは本能的にやっていることなので、わざわざ意識したりすることはない。

 一番攻撃を喰らいたくない時、それは脱力している時である。脱力した状態でパンチなどの打撃を顔などに貰えば一撃でリングに沈んでしまう。ボディーだとしても、それはかなりのダメージを負うことになる。それだけ、脱力している時というのは危険なのだ。


 衝撃が来る。

 それは予想していたものとは違っていた。

 体が後ろに引っ張られるように、吹き飛ばされた。

 いままで経験したことのない衝撃だった。

 何が起きた。

 おそらく0コンマ何秒の世界だが、直江はそれを冷静に感じ取っていた。

 背中がコーナーに巻いてあるマットにぶつかった。

 一瞬、呼吸が止まったが、咳をすると同時に呼吸は復活した。


 真壁の姿が見えた。

 唖然とした顔をしている。

 何が起きた。


 直江が視線を下にずらすと、自分の体にしがみついている大きな背中があるということに気づいた。その大きな背中はひと目で鍛えているということがわかる背中だった。


「どういうことだ」

 一番最初に口を開いたのはリング下にいる沖だった。沖は驚きと怒りを混じりあわせたような口調になっている。


「すまない」

 聞き覚えのある声。顔を見なくても、それが誰であるかはわかった。

「どうして……」

「目の前で友だちがやれるのは見たくなかったんだ」

 男は直江から身体を離すと、そういった。 


「真壁さん、俺とってもらえますか?」

「てめえ、大輔。何の真似だ」

 怒り。それはストレートな怒りだった。邪魔をされた。よりによって、この男に邪魔をされるとは。真壁の怒りは沸点に達していた。


 大柄な真壁に比べると目の前に立っている男の身長は低かった。おそらく170センチもないだろう。ただ横には大きい。太っているわけではない。分厚い胸板と鍛え抜かれた大きな背中。レスラー特有の潰れた耳と節くれだった指、そして、ごつごつとした手。

 真壁はこの男のことを昔から知っていた。生まれる前から知っているのだ。


 坂田大輔。真壁は大輔の母親を知っている。ただ知っているというだけであって、大輔の母親がどんな人間であったかまでは知らない。真壁が知っているのは、大輔を妊娠中に海で入水自殺をしようとして助けられたことと、その数年後に助けた人間の自宅を訪ねて行き、その場で飛び降り自殺をしたということだけだった。

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