弐
「聞、い、た、よ、
体操着の袋に手を掛けたところで、あたしは絵里に突撃された。
中休み。三時間目と四時間目がC組との合同体育だから更衣室に行かなきゃいけない。二年の教室と更衣室は距離がある。何より更衣室は狭くてロッカーが少ない。早く行かないと良い場所が取られちゃう。
ということで二時間目の英語を片付けて移動の準備にとりかかったら。
さっきの言葉と一緒に、ニヤニヤ顔の絵里が来たというわけだ。
「聞いたって。何のこと」
「とぼけないのぉ。察しはついてるんでしょ、美、緒、さぁん」
自分のスマホを両手で挟んで、絵里は
歩き出せば、やっぱり絵里も後ろからひっついてきた。
絵里とあたしはそのまま話を続ける。
「いーえ全く。予想つかないですけど」
「えぇ、嘘ぉ」
といっても教室は狭い。すぐに廊下に出ることができた。
二人は廊下の壁際にいた。遅れてごめん。その意味を込めて片手を上げれば、二人も手をひらひらしてくれる。
横の絵里も同じように手を振った。かと思えば。
よろよろと絵里は伊都と仁美の前まで
「聞いてよぉ、美緒がつれないの」
「はいはい、どうしたの」
ぽんぽん。伊都が絵里の背中を叩いた。
うわ、またやってるよ。あたしは絵里から距離を取るために、仁美の近くへ行った。伊都に抱きつく絵里。ぱっと見れば慰めているようにも見える。けど伊都は懲りないなって感じの顔をしている。ついでに仁美もやれやれって顔をしていた。
つまり今、ここは絵里のひとり舞台なんだ。
しかもノンストップ。放っておけば更衣室の場所がなくなる。断言できる。
隣を見れば仁美が頷いて、二人に言った。
「みんな揃ったんだし早く行こう。場所なくなっちゃうよ」
「えぇ、仁美まで。私の話聞いてよー」
「そうだね。早く行こっか」
「そんなぁ、伊都ぉ」
伊都は笑うと、あっさりと絵里を引きはがした。
悲痛な声を無視してあたしは仁美と先頭に立った。
中休みの校舎を縫って歩く。後ろでは未だに絵里が伊都に絡んでいた。でも話題がさっきと違う。伊都が何とかしてくれたんだろう。ほっとしたら息が溢れた。
すると仁美がこっちを向いた。
「どうしたの美緒」
「え、何でもない」
頭をぶんぶん振って否定する。仁美はぎょっとした顔をしたけど、それ以上は聞いてこなかった。良かった。今度こそ心の中だけで息を吐く。
絵里が聞きたいのは今朝のことだろう。
あの後、遅刻ギリギリにあたしは学校へ来た。一応間に合ったから凪丘には何も言われてない。
だけど、いつも早めに来ているあたしが遅刻寸前。4人のグループラインにも連絡してなかったから、余計に気になったんだろう。あぁ、ライン。うっかりしてたかも。遅刻するって言っておけば良かった。折角話が逸れたのに戻されちゃたまんないよ。聞かれたら困るし。
銀杏の匂いが強くなった。見れば廊下の窓が空いている。
外からの日差しが、くっきりとタイルに落ちていた。
結局あの後は深入りもなく授業も終わって、昼休みになった。
更衣室から帰ってきたあたしたちはいつも通り机を囲む。絵里がフットサルでゴールが決まっただの、今日はファールが少なかっただの言っている横で、あたしは上の空だった。
「
「聞いてる聞いてる。ボール蹴ったら後ろ行った話でしょ」
「それあたしじゃなくて仁美だよ。ちゃんと聞けぇいッ」
つんっ。
おでこを絵里に突かれる。一寸痛い。あたしはおでこを撫でる。
あれ。撫でていれば疑問が浮かんだ。でこぴん並の強さだった。ということは絵里も指、相当衝撃あったんじゃ。
あたしはちらっと絵里を見る。
目元が薄ぅく潤んでいるように思えた。やっぱりね。
でもさぁ。そう言って、じっとり絵里を見ていた仁美があたしへ向く。
「今日の美緒ってかなり様子、変じゃん。何か悩んでるの」
「悩み、ねぇ」
確かに悩んではいる。種は勿論、朝の駅のこと。
あたしは弁当の卵焼きを口に入れた。
ラインを交換したのはすごく良かったと思う。問題はその後。どうやって近づけば良いのかわかんないんだ。
実は一時間目の物理のとき。
荻野が黒板を書いているのをチャンスに、あたしはラインを見た。
あの男子は
ぶっちゃけ女友だち、いなさそうなんだよね金剛くん。
女の影が無いのは最高。そこそこイケメンで性格良さそうだから、彼女持ちだったらどうしようかと思ったけど。杞憂みたい。善意につけ込んで、好きなものを聞き出して仲良くなれば大丈夫だろう。
だけどラインのやり取りだけじゃフェードアウトしそう。
正直、お礼するって言われたときはなんだこいつって思った。お礼するレベルの話じゃないでしょ。だって拾ったのはハンカチだし。
そりゃあラインは交換できたよ。でも金剛くんにとって、交換はお礼するために必要だっただけ。要はお礼すれば関係が終わるものだと思っている。
勿論それはそれで正しい。財布を交番に届けた例とか聞いたことあるから。
でも、あたしは嫌。終わるなんて
あたしは金剛くんを彼氏にしたいんだ。顔が良いだけでも最高なのに、中身も良いなら言うことないじゃん。絶対困らないでしょ。
だから繋ぐ方法を朝からずっと考えているのに思いつかない。
ボディタッチとかしたら逆に離れちゃいそう。ハンカチ届けた程度でお礼って言う程ピュアだし。押せばライン交換しちゃうから、ちょろそうなんだけどねぇ。
ため息をついて、あたしは三人を見た。
何故なら絶対、このメンバーが恋愛相談に向かないから。
あたしを含めて、この四人グループはみんな独り身だ。そもそもあたし以外、恋愛に興味無いのかもしれない。なんて思うくらい彼氏の話を聞かないのだ。
だっているなら言ってそうじゃない、絵里とか絵里とか。
それに結構な優良物件なんだ、金剛くんは。
もし紹介して恋しちゃったらどうするの。応援してって言われて応援するの、しないでしょ。したくないよ。絶対にバトルするしかないじゃん。
このメンバーで奪い合うなんて嫌だ。負けるのはもっと嫌だ。
ぷち。あたしは口に入れたミニトマトを思い切り噛んだ。
彼女として隣にいるためにも、金剛くんは秘密にしなきゃ。せめてもうすぐ彼女になれそうなくらい親しくなってからでないと。
でもそうだよね。
ご飯を口に入れてあたしは考える。
さっき濁しちゃったから、変に話を変えると疑われちゃう。かといって適当なこと言っても深入りされそう。そんなのでバレたら最悪だ。
でも適当な悩みって何。無いんだけど。もう進路のことで良いかな。
箸を進めながら投げられる三つの視線へ、あたしは目を向けた。
「あぁ、ほら。昨日凪丘に呼ばれて再提出の紙もらったじゃん。まだ白紙でさぁ。さっさと提出して消えて欲しいのに」
「あーなるほど。美緒だけらしいもんねぇ再提出」
「やりたいこと探せだっけ。大変だよね、無いものを作れなんて」
あたしの言葉に絵里は何度も頷いた。続けて仁美も同情した表情で笑う。
本当だよねぇ。あたしは相槌を打ちながら心の中でガッツポーズした。良い感じだ。進路については、最初に提出するときも話をしたからわかるんだろう。多分これで深く突っ込まれることはないはず。
「まー凪丘ちゃんの言いたいこともわかるんだけどね」
そう言った伊都はぴりぴりとジャムパンの包みを開ける。
一口大に千切ると、自分の口へ放り込んだ。
「特にやりたいこともなく進学した人って、大学辞めやすいって聞くからさ。めっちゃお節介なのはホントだけど、凪丘ちゃんなりの親切心なんじゃないの」
「そう、なのかな」
未来の自分が後悔しないように。
伊都に言われてあたしは昨日の凪丘を思い出す。するとあの言葉がじわりと浮かんできて、もやっとした。後悔しないようにとか何様って感じ。そんなのあたしの勝手なのに。まぁ、その。後悔とか知らない、とまでは言えないけど。
でもみんなそんなものでしょ。違うのかな。
「けどさぁ、本当に親切心なのかなぁ」
悶々とした気持ちを絵里が切った。見れば弁当箱が綺麗に片付いている。昼ご飯の量は一番大きいはずなのに、いつの間に完食したのやら。
ぱきっ。絵里は開けたばかりのプリッツを半分咥えて、歯で折った。
「良い大学行けば教師の内申上がる、ただし中退すると下がるって話も聞いたよ。つまり凪丘もそういうことでしょ」
「まーたそういう身も蓋もないことを。凪丘ちゃんなら信用しても良くね」
「あたしも凪丘は良いセンセーかなぁ、って思うけどこんな話もあるんだしわかんないよ。ねー、仁美」
「え、うん、そうね」
いきなり話を振られて困っている仁美に、絵里は嬉しそうに絡んだ。呆れた視線を送る伊都のことなんて全く気にしてない。馬鹿なのか剛胆なのか。あたしもため息をついて、最後の金平
ただやっぱり解決しないものは解決しない。将来の夢も人間関係も。
六時間目の前の休み時間の今、あたしはスマホをいじっていた。画面に映るのはエンスタでも大学のホームページでもなく、ライン。金剛くんのユーザーページだ。
本当はタイムラインをチェックしたかったけど。見たら何も無くてやめた。
どうやって誘おうかな。
ぴこん。不意にラインの通知が入った。なんだろう。
あたしはトーク欄を見る。通知元はカフェの公式アカウントだった。
この九瀬高校の最寄り駅から二駅。快速停車駅の艶間駅にあるチェーン店で、エンスタ映えするスイーツを出すところだ。開店したときに四人で行ったけど、シフォンケーキが美味しかったな。あれからもう半年も経ったんだ。
懐かしさで公式のトーク画面を開く。
届いた内容は新作メニューのとそのチケットの話だった。
新メニューはラテとプチタルトだった。ラテは抹茶と
この新作メニューを制覇したい、でも一人じゃ無理。手伝って。
あ、これ、使える。すごく良いじゃん。
早速連絡しなきゃ。あたしは金剛くんのトーク画面を開いて打ち込む。すぐに連絡は来ないかもしれないけどそれは平気。
お礼、思いついたよ。一番最初にそう書いたから見ないわけがない。
最後のメッセージを送ってあたしはロックをかける。そのまま机に突っ伏した。
ほーんと丁度良いタイミングで来てくれたよね。口の端っこが上がっているのは、自分でもよくわかった。会って話ができれば後は大丈夫。次の約束を結んで段々と距離を詰めれば良いんだから。そこで告白しちゃえば一発じゃない。きっとそう。
早く彼氏にして連れ歩きたいな。みんなどんなリアクションするんだろう。羨ましがるのかな、それともずるいって言ってくれるのかな。
あたしは隠した顔で笑った。
見られていた。
昼休みからずっと、ずっと見られていた。じっくりと、じっとりと。
誰かから絶え間なく視線が注がれていた。あたしへ。
でも気がつかなかった。わかっていても気にならなかった。
それくらい、あたしは浮かれていたから。
六時間目の鐘が鳴った。
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