第65話
「嫌な予感がしていた。お前のようなクズが黙って退くとは思えなかったからな。それに、お前がリーチェの決闘の返事を保留にした地点で、お前が俺と剣を交える気がないことはわかっていた。決闘をしなくて済むような方法を考えるだろうとも、安易に予測はつくとは思わないか?」
それは私も思っていたけれど。でもまさか、いくらクズなキールでも、こんな手を使うなんて思っても見なかった。それが私の敗因だ。
「だからさっき、念には念を入れて、リーチェのドレスに追跡の香りをつけておいて正解だった」
追跡の香り?
初めて聞く単語に、私はレオンの顔をマジマジと見つめた後、汚れきったドレスに視線を落とした。
埃や砂、そして血がついたドレスからは、それら以外の香りはしない。一体追跡の香りとはなんなのだろうか。レオンはそれを、いつふりかけたのだろうか。
馬車の中にいた時、馬車の中という個室で狭い空間にも関わらず、特別な香りはしなかったけど。
でもあの時は、香りすら感じないほど気分が落ち込んでいたのかもしれない。
そんな結論に至った時、レオンはさらにこう言った。
「うちの錬金術師は見た目と話し方が軽い男だが、お前とは違い、ただ軽いだけではなく腕が確かでな。そのおかげでこうして、リーチェの危険に気づくことができた」
そう言った後、チラリと私に視線を向けて「間に合ってよかった」と、安堵の息を漏らし、再び鋭い視線をキールに向けた。
「……バービリオン、今なら譲歩してやる。さっさとその汚い足をどけろ」
どけろと言われたのに、レオンはキールの肩をさらに踏みつけた。キールが顔を醜く歪ませながら、叫ぶ声が聞こえる。
「公爵、お前は理解が足りないようだな。俺がなんの考えもなしに、お前に攻撃をすると思ったか?」
レオンの凄みと言葉に気圧されたキールは、ギリリッと奥歯を鳴らした。
「皇帝陛下が黙っていないぞ……たかが侯爵風情が帝国で数少ない公爵を攻撃したとなればな」
「安心しろ、黙らせることなど容易だ。バービリオン家は元々帝国ができる前からある、由緒正しい家柄だからな。お前が俺の婚約者を殺そうとしたのだ、戦争になってもおかしくない状況で、どう考えてもお前に非があるこの現状を見て、陛下がなんと言うか想像できるか?」
正確には、私とレオンは婚約していないけれど。けれど今のキールにとって私がレオンと正式に婚約しているのか、していないのかはもう問題ではないだろう。
「お前はこの帝国において、目の上のコブなんだよ。お前がリーチェにしようとしていた手を使い、族に襲われて死んだとすればいいだろう。ここには族役になってくれる者もいるからな」
床に転がったまま動かない、フードを被った男達。レオンはきっと彼らのことを指したのだろう。
「俺が族を捉え、奴らを抹殺したとすれば事件は丸く収まる。そうは思わないか?」
「ふざけるなっ!」
「ふざけたのはお前の方だろう。お前はリーチェに手を出すべきではなかった。そのことをあの世で後悔するんだな」
レオンが剣を持ち上げ、キールの心臓に向けて狙いを定めた、ちょうどその時だった。
「帝国一と謳われた男も、女のことになると腕が鈍る者だな」
相変わらず顔を歪めているキールだが、その表情には勝ち誇ったような笑みが見えた。
「奥の手というのは、最後の最後までとっておくものだろう?」
床に伏せっていたはずのフードの男が立ち上がり、腰に刺していた剣を抜いてレオンに切りかかる。
完全に意表をつかれたレオンは、脇が隙だらけだ。
キールが勝ち誇ったように笑みを浮かべる。私は慌てて立ち上がり、レオンの元へと駆け出すが間に合わない。
「レオン様!」
レオンは間一髪のところで身を捻り、致命傷を避ける。その体を捻った状態からフードの男に切り掛かり、首をはねた。
切り付けられたレオンの横腹から血が滲んでいる。すると今度はもう一人の男がレオンの背後から切り掛かった。
さっきレオンに切られて身動き一つしなかったはずなのに、なんで急に……? そんな私の疑問に答えをくれたのは、レオンだった。
「アンデッドか」
そう言って二人目の男の首をはねた、と同時だった。
「さすがは帝国の騎士。よく知ってるじゃないか」
キールは懐に隠していたナイフを取り出し、痛手を負ったレオンの背後から心臓目掛けて飛びかかった。
けれどーー。
「ぐぅっ……!」
レオンはアンデッドの二人に気を取られていたが、私はことの一部始終を捉えていた。
キールが立ち上がる瞬間と、ナイフを取り出す瞬間。
さっきまで痛みに歪んでいた表情を見せていたが、どうやらあれは演技だったのだろう。そう思わせるほど素早い動きを見せたキール。
そして私はそれを見た瞬間、レオンに向かって身を投げるようにしてキールとレオンの間に飛び込んだ。
「リーチェッ!」
そうして私は、レオンを庇うようにして、キールのナイフをこの身に受けた。
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