第64話

 目を閉じた瞼の裏に映るのは、私の推しであり、私が胸を焦がした相手。

 ああ、今世でもまた私は、中途半端な状況で死んでしまうんだ。

 前世で頑張った漫画が認められ、売れ行きが好調という報告と、アニメ化のオファー。

 結局死んだことでアニメとなった『青愛』を見ることも、物語を完結まで描き切ることもできなかった。


 今世はレオンとビジネスパートナーとなり、自分なりに頑張ろうと思っていた香水事業を立ち上げたばかりで、これからという時だったのに。

 それに六ヶ月後には、レオンとは正式に別れるつもりだったのに。

 きちんと別れられなかったことで、レオンとマリーゴールドの関係に溝ができなければいいけど……。


 きっとレオンなら、きちんと別れることができなかった私を気にして、誰とも付き合おうとしないかもしれない。

 マリーゴールドもレオンの気持ちを汲んで、距離を置くかもしれない。

 ……けれど運命が二人をくっつけるだろうから、結局のところ全ては杞憂に終わるはずだ。

 とはいえ、結局私は自分が作り出した推しキャラ達を不幸のルートへと誘ってしまったことに、変わりないのだけど。


 全ての出来事が走馬灯のように駆け巡り、止まらない思考もやがて、痛みと共に止まる時がやってくる。

 それはもうすぐそこだ、と私は瞼を閉じたまま思っていた時だった。


「ぐぅぁ……っ!」


 私の頭上で悲痛な呻き声と共に、私の胸にナイフが落ちる衝撃。

 さらに複数の呻き声と共に、ドサリと何かが崩れ落ちるような音も聞こえて、巡っていた思考がピタリと止まる。

 ナイフは刺さったというよりも、落ちてきたとい感覚で、痛みはない。

 訳のわからない状況から、私は今の現状を確かめるべくソロリと瞼を押し開けた。


 ーーぽたり。


 瞼を開いた瞬間、私の胸元に落ちてきたのは真っ赤な血。

 キールが痛みを堪えきれず苦しみ悶える表情と共に、さっきナイフを握りしめていた手から血が流れ出ていた。

 一体何で? 何が起きたの?

 胸の上にはキールが持っていたナイフが落ちている。手を痛めたせいで、落としたんだと理解できるけど、そもそもなんで怪我を……?

 私のそばを見ると、そこには拳サイズくらいの石が落ちている。

 そしてそこから少し先にいた、フードを被った男たちは血を流して倒れている。

 さらに先へと視線を投げると、そこにはーー。


「リーチェ!」


 闇に溶け込むような、漆黒の髪。冷気をはらんだ青い瞳。その瞳の奥に宿る確かな熱気。私を捉える瞳は、静かな怒りに揺れていた。


「レオン様……」


 さすがは男主人公。なんてタイミングで助けに来てくれるのか。

 例え私はあなたの相手役ではないというのに、ピンチには飛んできてくれる。しかも絶体絶命のタイミングで。


 ……ああ、どうすれば私は彼を好きにならずにいられるのだろう。

 強がって、怒りに任せて恐怖と恐れを意識の外に追いやった。けれど今目の前にレオンが現れたことで、私の中の張り詰めていた何かがプツリと切れた。

 その瞬間、私の瞳からポロリと一筋の涙が頬を伝って落ちた。


 それを見たレオンは、切れ長な瞳を大きく見開いた後、勢いよくキールとの距離を詰める。

 さすがは帝国一の騎士、速さも力強さも、その威圧も尋常じゃない。キールが身構える隙を与えず、レオンはキールの首根っこを掴み、片手でそのまま壁に向けて投げ捨てた。


 ーードガァンッ! と音を立てて、キールは壁にぶち当たる。ぶち当たった壁は木造だ。キールの背後からハラハラと木片が落ちて、彼の顔に降りかかる。


「クソッ、バービリオンンンン……ッ!」


 キールは怒りながらも手と後頭部の痛みに悶えながら、転げ回っている。

 そんな彼に見向きもせず、レオンは私を抱き起こす。


「……リーチェ、遅くなってすみませんでした」


 心から心配し、悔いている表情を見せるこの男の優しい声色に、思わず私の瞳はもう一筋の涙をこぼす。

 拭うことすらできないでいる私を抱き締め、レオンは手に握り締めていた剣で私の手を縛り上げていたロープを切った。

 そして剣を置き、もう一度ぎゅっと私を抱きしめた後、流れた涙の跡を拭ってくれている。


「もう少しだけ待っていてください。すぐに終わらせますから」


 眉尻を落とし、着ていた上着を私の肩にかけた後、再び剣を握った。

 痛みに悶え、転げていたキールに向かって歩き出したレオン。そしてそんなキールの腹を踏みつける。


「バービリオン! 貴様ッ! この俺にこんなことをしてタダで……ギャアアッ!」


 レオンはキールの肩を剣で突き刺した。キールの瞳と同じ赤い血が、そこからドクドクと流れ出す。


「お前こそ、こんなことをしてタダで済むとでも思ったのか?」


 レオンはキールの肩から剣を抜き、そこを踏みつける。キールはその痛みに再び悲鳴をあげ、身をよじる。けれどもレオンはキールを逃さない。踏みつけるレオンの足の方が、その足から抜け出そうとするキールの力よりも強い。


「……どうやって、ここがわかった?」


 苦しそうに息を吐くキールに、レオンはニヤリと笑みを浮かべた。

 普段は能面で表情という表情を表に出さないレオンが、ゾクリと背筋が凍えるほど冷たい笑みを見せている。

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