第63話
だいたい、貴族が貴族を殺すのは重罪だ。
リーチェは男爵令嬢。公爵であるキールにとっては、下の下にあたる私の身分など、庶民と変わらないのでしょうね。
どこまでも人の人権を小馬鹿にするゲスだ。そんな人間に、私も人権を尊重してあげる気はさらさらない。
「……う」
私はキールに肩を押されて、仰向けになる。そんな私に馬乗りになるキールに向けて、ボソリとつぶやいた。
「なんだ? なんて言ったんだ?」
「とうとう……」
ムカつくキールの顔を避けるようにして、顔を背ける。私の顔には乱れた髪がパサリと覆う。
「おい、言いたいことがあるのなら、はっきりと言え。俺は気が短いんだ」
キールは私の顔に掛かった乱れた髪を払い除け、私の顎をクイっと掴んで正面を向かせる。無理矢理向けさせられた視線の先には、眉間に皺を寄せたキールの顔がある。
はっきり言えというのなら、言ってやろうじゃない。そう思って私は、鋭い視線をキールに向けた。
「とうとうクズを極めやがったなこのクソ野郎、って言ったのよ!」
前世でよく観ていた海外映画やドラマであるように、ぺッて唾を吐いて、その端正な顔を
思い切り顔を上げて、ペッて吐き出したにもかかわらず、私の唾はキールの顔までは届かなかった。
くそぅ……! そう思いつつも、キールには一泡を吹かせることができたみたい。
こいつの驚いた顔が見ものだった。
私の言葉と行動に驚き、こめかみをひくつかせているキール。彼が私から距離を取ろうとする前に、もう一度唾を吐いてやった。
今度はペッではなく、ブーッの方だ。
一点集中ではなく、スプレー状に分散して吹き出した私の唾は、見事にキールの顔に飛び散った。
その瞬間キールは怒りに駆られた顔を見せて、私の頭を床に叩きつけた。
チカチカとしたプリズムな星々が目の前に広がった。けれどそれでも、私はまだ恐怖よりも怒りの感情が優っていた。
「……はっ。お前、自分の置かれている状況が理解できないほど、馬鹿な女だったか」
顔にかかった私の唾を服の袖で拭う。笑い声を上げたが、本当に笑っているわけではないことは、その表情を見れば明らかだ。
キールの背後にいるフードの男達が、剣の柄に手を添えた。それを目の端で捉えた瞬間ドキリとしたけれど、それも一瞬のこと。
私はどう足掻いたって死ぬ。
どんなに運命を変えようと努力したって、結局は分岐した別のルートを辿っただけで、同じゴールに辿り着いてしまう。
ここにキールがいて、私がこうして命の危険にさらされているのが全ての答えだ。
同じ死ぬのなら、悔いなく死にたい。いいや、悔いはたくさんあるけど、それを最小限にして死にたい。
言いたいことも言えないまま、成す術も無いと涙を流し、こんなゲスに懇願して結局殺されるような運命を辿るくらいなら、今までの鬱憤を全て晴らして死んだ方がマシだ。
もちろん私だって、死ぬのが怖くないわけじゃない。
死ぬのは怖い。私は令嬢で、常に死と隣り合わせである騎士とは違う。
そもそも死を恐れるのは人間の本能だ。
死が怖なくないなんていう人は、精神が病んているか、神経に何かしらの問題がある。もしくは死が常に隣り合わせにあり、それをすでに受けていれている人。もしくは生きながら悟の境地に及んでいる人だと思う。
私は精神も神経も正常で、死だって受け入れきれないでいる。
だけどーー。
「馬鹿にしないでよ! 私はあんたと違って恵まれた運命を持ってないし、どんなに足掻いても結局はバッドエンドを迎えるような人間だし、何一つ自分で選べない人生だけどーー」
はぁ? とキールは表情を歪める。
「何を言っている……気が狂ったか」
キールは狂った人間を蔑むような、冷めた目を私に向けながらナイフを持ち上げた。
だけど私は、それでも叫び続ける。
「だからって、死に方まで勝手に決めないでよ……!」
どうせ生きられないのなら。
死ぬのが運命なのであれば。
死への痛みを受け入れなければならないのならば。
……どういう形で最後を遂げるのかは、私が決めたっていいじゃない。
足をバタバタと動かして、首をブンブンと振る。キールにもう一度唾をはきかけてやりたい。コイツの背中に足蹴りを食らわせてやりたい。
後ろ手に組まれたロープを解きたい。
血が出たっていい。痣が残ってもいい。ロープを解いたところで、結局逃げられなくたっていい。
私はーー。
「全くお前は、俺の興をそぐのに長けているな。もういい、さっさと死ね」
そう言って、今はもう何の感情もないような表情で、キールはナイフを振り下ろした。
ムカつく。悔しい。怖い。痛い。死にたくない。
そんな感情が私の胸の奥で暴れ出す。けれど私はそれらを全て飲み込み、瞼をぎゅっと閉じ、唇を噛み締めた。
ーーレオン。
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