第59話

 そういう意味では、気を抜けない相手だな……なんて思っていたら、オットーは得意げに私を見ていた。


「当たり前ですよ。だから俺を選んだんでしょ? 俺出来るヤツっしょ? ね? 惚れてしまいそうになるっしょ?」


 惚れてしまいそうになる……そうやって惚れられたことが何度もあったのだろうか。

 まぁ、チャラそうだけど顔が良くて人当たりがいい。錬金術師として技術もある。なにせレオンが選んだくらいだ、実力もあるのだろう。

 そうなると確かに、モテてもおかしくないわね。だから初見では顔を醜くしていたのも納得できる。


 しかし、自慢げに胸を張るオットーを見ていると、私に弟がいたらこんな感じなのかな、なんて想像させてくれる。

 いや前世含め、私は一人っ子だけど。もしもの話としては想像できなくもないというだけの話なんだけど。


「ええ、出来るヤツのようね。残念だけど惚れるかどうかはわかんないし、そもそもあなたを選んだのは私じゃなくレオン様よ」


 錬金術師を雇うことを依頼したのは私だけど、選任はレオンに任せてあったのだから。


「残念ですね、オットー。リーチェ様が惚れるのはバービリオン侯爵様だけですよ」


 マリーゴールドはオットーに、耳打ちをするようにそう言った。けれど耳打ちの意味がないほど、言葉はダダ漏れだ。

 けれど私が気になるのは、’マリーゴールドはそれをどういう気持ちで言ったのか。気丈に振る舞っているだけなのか、それとも本当はレオンのことを好きではないのか……昨日見たあの光景は、私の見間違いだったのだろうか……。


 マリーゴールドを見つめながら、私は彼女がレオンを見ていた表情を思い返す。すると胸の奥がチクリと痛んだ。

 間違いなく、彼女は恋に落ちた目をしていた。それは間違いない。私が描いたイラストと同じ表情を見せていたのだから、マリーゴールドがレオンに惚れたのは間違いない。

 だったら、レオンは……? そう思って、相変わらず私の隣りに立っているレオンに視線を向ける。すると彼は、オットーと楽しそうに耳打ちをするマリーゴールドを見つめていた。


「リーチェさん、早速抽出しますね。いいっすか?」

「おい」


 ずっと静寂を貫いていたレオンが突然、私の前に立ってオットーを見下ろす。

 いつもの表情なのに、背後からブラックなオーラを感じるのは、私だけ……?


「誰がリーチェと呼んでいいと、許可をした?」


 あっ、そこ?


「だったらなんて呼べばいいんっすか?」

「トリニダード男爵令嬢だな」

「なっが!」


 オットーは背中をくの字に曲げてのけぞった。

 なんとなく省エネ男子なのかと思ってたけど、リアクションは意外とでかいんだな、なんて思っている私を他所にレオンはさらに話を続ける。


「ならばトリニダード嬢だ。それ以上の譲歩はない」

「なんでバービリオン卿が決めるんっすか? リーチェさんはどう思います? この呼び方嫌っすか? なんならトリちゃんとか? トリ嬢?」


 誰だよ、トリ嬢って。そんな風に呼ばれる方が嫌なんだけど。


「私のことはファーストネームで読んでくれて構わないわ」

「リーチェ……私達は彼の雇い主ですよ」


 いつも淡々とした表情と、何を考えてるのか分かりにくい彼の細めた瞳が、私を非難している。その声がそう私に伝えてくる。


「そうですが、レオン様はご存知でしょう。オットーは魔塔の人間、私達の持つルールとは違ったルール観の中にいるのです。ですから彼の言う呼び方でも気分は害しません」


 語尾を少し強く言うと、レオンは不満そうだが何も言わない。そんな様子を見て、私はふとある考えが浮かんだ。

 レオンを振り切るには、レオンのクソ真面目ともいえる考えを断ち切り、私がレオンに向ける思いも無かったことにする最短の方法……それは、私がレオンに嫌れればいいのではないか。


 右を向けと言われれば左を向くように、神経を逆撫でする。こいつに何を言っても無駄だと思わせれば、彼は自ずと私から離れようとするだろう。

 そして私は彼に嫌われたのだから仕方がない。そんなふうに思えるかもしれない。

 無理に義務を遂行し、彼の心を砕かせるよりは、彼に嫌われてしまった方が幾分か私の気持ちも楽というもの。

 罪悪感は前者の半分だ。


 それに、そんな私達の様子を見れば、マリーゴールドだって気づくはず。二人の関係はもう、ビジネス上のもの以外にあり得ないと。

 そうなれば、自分の気持ちを押し殺さなくてもいいのかもしれないと……。


「ならリーチェさんでいいっすね! なら早速取り掛かります」


 極まりの悪さ、居心地の悪さを感じているとレオンに悟られないよう、私はオットーの錬金術を見ようと彼に近づく。

 オットーは私が依頼した草花と果実の山の前に再び立ち、その前に三つの小さな遮光瓶を並べる。精油を入れる、見慣れた瓶だ。

 その蓋を開けた状態で並べ置き、オットーは自分の右手首を掴んでその右手を広げ、草花にかざした。


「ーー抽出」


 カッと目を見開いた彼の瞳ーー漆黒の丸い瞳の中に、陣が描かれる。それはさっき彼が地面に描いていたものとは違う円陣だった。

 彼の瞳に陣が浮かび上がったと同時に、巻き起こる竜巻。三つのとぐろを巻いたような風が空に向けて噴き上がり、やがて細く、そして長く伸びていく。まるで蚕の糸を紡いでいくように。

 その細い糸が今度はオットーの目の前に置かれた瓶に、それぞれ吸収されるように飛び込んだ。

 魔法のランプに閉じ込められる魔神を見ているような気持ちになっていた私の興奮を嘲笑うかのように、辺りは一気に静まり返った。

 その糸も、風も、まるで元々無かったかのように、この場所には小鳥の囀る音しか聞こえない。


「ほい、いっちょ上がり!」


 オットーはそう言って、瓶の蓋を閉じた。

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