第55話
地獄の三丁目って、今まさに私がいる場所のことなのかしら。
好きになってはいけない人を好きになった地点で、私は地獄への切符を受け取ってしまった。
でもなにが一番地獄かって、表向きとして付き合ってるのは私なのに、相手の心は私にない。それなのにこのふざけたお芝居を続けようとする男と、そんな男を好いている上、実は両思いというのに、私がいることで拗れて両片思いというシチュ。
これがマンガで私が読者だったなら、大好物な物語なのに。すれ違う二人にヤキモキしながらああでもないこーでもないと届くはずもないマンガ目掛けて叫びつつ、胸がおどっている自分を自覚して課金して、邪魔する拗らせキャラに奥歯ギリギリさせてるはず。
ーーそう、それは全て第三者だから楽しめることであり、当事者になっては決していけない。何せ全く楽しくないから。
毎朝髪をセットしてくれる侍女に頭を触られるたび、円形脱毛してないかってドキドキしてしまう。それくらいにはストレスを感じているくらいだ。
「リーチェ、こちらが錬金部屋ですよ」
店に入ったのに、全然店内に目も向けず呆けてしまっていた。そのせいでレオンがすぐそばに立っていることにも気づいていなかった。
白を基調とし、大きな窓から差し込む光。ところどころに観葉植物を置かれて、自然を取り入れつつシンプルで清潔感に溢れた店内の奥を、レオンは指差していた。
「ぼうっとしているようですが、どうかしましたか?」
レオンが私の手を引き、そこにキスをする。視線は私に向けて挑むように。
その視線の意味はなんなのか、と考えるとの同時に、私はマリーゴールドがどこにいるのかと目を泳がせる。彼女はどうやら店内に置かれた香水やアロマのサンプルに目を向けているようだ。
なんとなくホッとした自分と、だからこそこういった行動をとるのだろうかと推察してしまう自分の思考にも反吐が出そうになる。
そもそも手の甲にキスはあいさつだ。まぁ今は、あいさつするタイミングではなかったのだけど。
「いいえ、なんでもありません」
そっけなく言葉を返し、私はレオンが指し示していた部屋の奥、白い扉に足を運ぶ。
扉の前に立ってわかったが、うっすらとキラキラ輝く陣が見える。まるで太陽の光を浴びた水面のよう。
けれどそれも遠目からは見えないし、この店内の雰囲気を壊さないように配慮されているように感じる。
「ああ、気にしないでください。この陣は錬金術師に頼まれてかけてある魔法です。害はありませんよ」
魔法を見るのはこれが初めてだ。魔法で出来た何かとか、魔法でどうこうした話とかはたくさん聞いたけど、我が家に魔法使いはいない。
今更ながらファンタジーの世界に足を踏み入れたような感覚がして、思わず胸が踊ってしまう。
前世の私の幼少時代、将来の夢はと聞かれたら魔法使いになりたい! と言っていたほどのマジカル脳だった。大人になった後はさすがに世間の目が痛すぎて言わなかったけど、その分マンガの世界にファンタジーを構築していた。
この青愛のマンガが生まれたのも、私のファンタジー脳のおかげである。
「これはどういった魔法がかけられてるのですか?」
私の素朴な疑問に対し、レオンは薄い唇の端をほんのり引き上げた。
「中に入ってみればわかりますよ」
そう言ってレオンが扉のノブを回し、私のために扉を押し開けて待ってくれている。中は見るからに薄暗い。そんな部屋の中に足を踏み入れた瞬間、扉の内と外との間には目に見えない間仕切りでもあるのか、さっきまで薄暗く見えていた部屋の中には輝かんばかりの光が差し、まるで妖精の住む国にでも迷い込んだのではないかと思えるほど、部屋の中はジャングルのように見えた。
この店のサイズから考えて、いくら奥行きがあったとしてもこれほどまでに部屋が大きいわけがない。そう思えるほど広大な自然が目の前に広がっていた。
「……どう、なっているの?」
「この扉を介して空間を別の場所に繋げているのです」
私の後ろから部屋に入ってきたレオンが、そう教えてくれた。
「ここならばある程度の植物は自然と取れます。もちろん無いものは届けるように別の者に伝えてありますが」
それでも精油を抽出するためには大量の植物がいる。それをどうやってこの広い場所から集めるつもりなのか。そんな素朴な疑問を口にしようとした時、レオンは私の背後に向けて指差した。
「あそこにいるのが私たちが雇っている錬金術師です」
レオンのゴツゴツとした指先を追って振り返ると、そこには木製のテーブルと椅子一脚、そして本棚には無数の瓶が敷き詰められて、大自然のこの場所に溶け込むようにして置かれている。
テーブルの上には無数の本と、前世の化学実験室で見かけそうなフラスコやらビーカーやら、それ以外にも何に使うのか想像もできないような機材が置かれている。
その机に向かって何かをしている白いローブを着た男性。きっと彼がレオンが言う錬金術師なのだろう。
「おい、オットー」
オットー? それが名前なんだ?
レオンの言葉に反応して、フードを被った頭がぐいっと持ち上がった。フードから覗く紫色の髪に、真っ暗な闇を宿した瞳。どことなく虚なその目がレオンに向いた後、隣に立つ私に向けられた。
「どうも、初めまして。オットー・ノアールです」
ニコッと笑ったつもりなのだろうけど、なんていうか……怖いんですけど?
フード被ってるせいで最初はよくわからなかったけど、よくよく見てみると、目の下のクマがすごい。
ここの大自然が醸し出す、マイナスイオンすらも跳ねのけそうなほど不健康そうな人物。なんだかすごく残念な気持ちにさせてくれるのは、自然と調和できていないミスキャストのせいなのかも。
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