第54話

 珍しく、レオンはあからさまにハッとした表情を見せた。


「これは……」


 言い訳の言葉を模索しているのだろうと予想がつくけど、そんな言葉は聞きたくない。むしろ言い訳などせず、普段のレオンらしくキッパリと真実だけを述べて欲しい。

 何度振り切ろうとしても、自分の意思に反して期待しようとしてしまう馬鹿げた自分の思考を、いっそのこと木っ端微塵に砕いてほしい。

 真綿で締め上げてじわじわ殺されるより、ギロチン台に乗せられた方が苦しみは一瞬だ。後生だから、どうか一息にカタをつけて欲しい。

 そんな風に思っていた時、レオンに掴まれている腕とは逆側が、ズシンと重くなった。

 何が起きたのかと見てみると、空いていた片腕にはじゃれつく子猫のように、マリーゴールドが抱きついていた。


「いっそのこと、三人一緒に行動すればよろしいのではないでしょうか?」


 えっ? って、思わず驚いてしまったら、そんな私の表情を見ておかしそうにコロコロと笑ってみせるマリーゴールドは本当に天使だ。可愛さが爆ぜている。


「リーチェ様はお忙しいのですよね? けれど私もバービリオン侯爵様も、リーチェ様とお話ししたいと思っているので、それでしたら一緒に回りませんか? 聞いた感じですと、このお店について現状詳しいのは侯爵様のようですし、説明を聞きながら見回る方が効率も良いかと思いますっ!」


 弾むように言い切ったマリーゴールドの顔が、どことなしかドヤ顔だ。それがまた可愛いと思えるから、やっぱり彼女は天使なのだと思う。


「クレイマス嬢の言う通りです。一緒に行きましょう」


 声の感じから、なんとなくレオンが嬉しそうに言ったように感じるが、その考えはすぐさま意識の外に飛ばした。

 天使とイケメンに挟まれているというのに、心がギスギスするのは勿体無い。今日からマインドトレーニングをする必要がありそうだ。

 以前はレオンのイラストを描きまくって、美形の顔に慣れるように頑張ったけど、今度はそのイラストにマリーゴールドを追加しよう。二人が見つめ合い、頬を赤らめ、抱きしめ合っている様子やその上……ああ、なんということでしょう。想像しただけで地獄じゃないか。今一瞬、血の池地獄や針の山が見えた気がする。

 ……だけどやるしかない。そんな風に私が意思を固めようとしていた時だった。


「ところで……媚薬香水って、なんなのですか?」


 思わずビクリと肩が跳ねた。

 純粋無垢な瞳で媚薬なんて言葉を口にされると、なんとも破廉恥なものを作ってしまったという良心の呵責に苛まれそうになる。

 いいや、決してこれはそういった類のものではないのだけど。自分を強く持つのよ、リーチェ。そもそもこれは、ゆくゆく販売するアイテムでもあるのだから。

 私はふぅ、と息をついてからマリーゴールドに微笑みを向けた。


「媚薬香水とは意中の相手を惹きつけるためのーー」

「ゴホッ! ゴホンッ!」


 ……えっとぉ〜?


「あの、レオン様?」


 なんともわかりやすく咽せた男。

 むしろなぜ? 一体なにに? そもそも、これまたキャラじゃないほどに焦ってる様子が、手に取るようにわかる。

 そんなにマリーゴールドに媚薬香水のことを知られたくないのかな? いや、知られたくはないだろうね。意中の相手を惹きつけるように調合された香水。それをつけた男主人公なんて、減点でしかない。


 側から見れば容姿端麗、公明正大、気骨のある騎士だと思われている男が、まさかの妙薬的な香水に手を出しているなんて、ファン心理からすれば幻滅でしかない。

 もちろんマリーゴールドがレオンに対する気持ちはファン心理とは違うものだけど、好意を持った異性が媚薬に頼ってどこの令嬢を手繰り寄せようとしているのか……と勘ぐりはするだろう。


 レオンも男だ。運命の相手を前にして、そんな勘ぐりはなんとしても避けたかったのだろう。


「失礼、どうやら外は乾燥しているようですね」


 いや、それは無理があるかと。本日はお日柄もよく、じめっております。


「えっ? 今朝は雨が降っていましたよね? 確かに今は天気が良いですが、乾燥はしていないかと……?」


 喉元まで出かかっていた言葉を私が必死に堪えたというのに、マリーゴールドはすんなり吐き出した。

 天然のツッコミだから全くもって悪気もない。なんとも居心地が悪く感じてしまうシチュエーションだ。

 けれどそんな空気すら感じていないように、んー? と空を見上げていたマリーゴールドはさらにこう言葉を付け加えた。


「……もしかすると風邪ではないでしょうか? 昨日もパーティで色々ありましたし、侯爵様はお疲れなのかもしれませんね」


 悪意を持って突っ込んだわけではない故に、フォローもしっかり入れてくれる大天使マリーゴールド様。私を挟んだ状態で、マリーゴールドは心配そうにレオンを見つめている。


「いや、乾燥でなければ一時的なものだろう」


 わっ、びっくりした。久しぶりに敬語を使わないレオンの言葉を聞いた気がする。

 そっか、マリーゴールドには敬語を使わないんだ。私と出会ったばかりの時もそうだったもんね。

 だったら、レオンはマリーゴールドにも敬語を使わないようにって言うのかな? 私に言った時みたいに。

 そして、名前や愛称で呼び合うようにーーそこまで想像すると、私の胃の奥にドスンと重たい何かが落ちた気がした。


「私、先に中に入りますね。ついてくるのなら好きにしてください」


 緩んだ隙をみて私は二人の手を払い、店の中へと足を踏み出した。

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