第53話

「コホン」


 気を取り直すため一度咳払いをしたのち、再び私は口を開いた。


「ともかくそういう経緯があり、私はレオン様の好意を受けて契約に至ったのです」

「その好意とは、愛情を含んだもの……という解釈で間違い無いでしょうか?」


 マリーゴールドはレオンの表情を読み取ろうと、彼の顔を遠慮がちに覗く。そんな視線から逃れるかのように、レオンは顔を逸らした。

 そりゃ顔を逸らしたくもなるわよね。運命とも感じる相手が現れた中で、愛情を持って契約してるんでしょ? なんて、勘違いされたくない本人から言われてしまったら、流石のレオンも平静な顔を保てないでしょうよ。


「ここはレオン様と私が共同で経営するお店です。ですから好意というのはそういった類のもので、マリー様の思っていらっしゃるようなものではありません」

「そう、なのですか?」


 なにやら疑問が残ったようで、彼女は首を傾げている。相変わらず視線をレオンに向けながら。

 クリッとしたドールアイズを持つ、マリーゴールドの視線を受けているにも関わらず、レオンは気付かないとでも言いたげに彼女とは目を合わせない。

 そんなレオンに代わって、私が決めの一言。


「そうです。それ以外に理由は存在しませんので」


 私の心臓が見えない紐で縛り付けられたような苦しさをおくびにも出さず、私はハッキリとそう言ってのけた。

 私の言葉を聞いた瞬間、マリーゴールドの表情には明らかな喜びの色が見えた。

 名前の由来であるマリーゴールドの花は、朝日が昇るとともにその花を咲かせる。長い夜を終えレオンという朝日を受けて、彼女は溢れんばかりに美しく満開の時を見せているかのよう。


 一心にレオンに向かって花開くマリーゴールドに邪魔だてするなんて、気が引けてならないわ。私は彼女のように直情的に気持ちを向けることはできない。これは良心の問題でもあり、それが私ーーこの世界の創造主の道徳心でもある。


 何よりいつもなら私の言葉を否定しようと会話に割って入ってきそうなレオンが、今だけは沈黙を続けている。一切口を挟もうとしない彼の様子がまた、私の選択が間違ってないという証拠だわ……。

 そんな風に考えると、どんどん萎縮していく私の心臓は、更なる締め付けを感じて苦しみから悲鳴を上げた。


「……お二人はゆっくりとご歓談くださいませ。私はこの後に予定がありまして、この店の様子と錬金術師に挨拶をした後は、すぐに立ち去らなければなりませんので」


 彼らにお辞儀をし、隣を通り過ぎようとした私の腕を引いたのは、レオンだ。


「でしたら私が店内を案内し、錬金術師も紹介いたしましょう。彼なら今、奥で荷の整理をしていましたよ」

「いえ、本当に少し見回る程度で足を運んだので、わざわざレオン様のお時間をいただくほどではございません。せっかくですのでマリー様と一緒にゆっくりされてはいかがでしょうか?」


 さっきまでは無言を貫いていた人物が我に返ってしまったのだろうけど、わざわざ体裁のために私に気を使わなくてもいいのに。

 レオンの手を払いのけようとするが、うまくいかない。きっとまた、彼の中でスイッチが入ったのだろう。案の定彼は掴んでいる私の腕を引っ張り、体を近づけた。


「私がリーチェと一緒にいたいのです。そう言えば理解してくださいますか?」


 耳元で囁かれる言葉の威力。思わず顔が赤らんでしまうのを、どうすれば止めることができるのだろうか。

 ーーそう思った矢先、私の赤らんだ顔から熱がさっと引いていくのを感じた。


「リーチェ? どうかし……」


 首を傾げるレオンの言葉を無視し、私は彼の胸ぐらをグッと掴んで、胸元に顔を近づけた。


「リ、リーチェ……」


 珍しく慌てた声を上げるレオンに対し、私は縮こまった心臓が静かに硬くなっていくのを感じていた。

 もう心臓の音すら聞こえない。締めつけすぎて、石のように硬く、小さくなった私の心臓は、本来の活動を拒否していた。


 もう、胸を躍らすのも、期待するのもやめよう。これではまるで、一人で社交ダンスを踊るようなものだ。社交ダンスは二人で対になって初めて踊れるもの。それを一人で試みている私は、なんとも滑稽で、そもそもダンスにもなっていない。

 これ以上は慙愧に堪えない。


「……今日も、あの媚薬香水をつけていらっしゃるのですね」


 私と会う約束をしていなかったのに。そんな予定すらなかったというのに。

 そもそも私と会った時も、驚いていたほどだ。連絡してくれれば……という言葉が出た地点で、今日私と会うなどという予測は皆無だったはず。


 レオン自身から香るいつもの香りに加え、私があげたあの媚薬香水の香りが混ざり合う。

 もちろん昨日とは違う衣服に身を包み、公爵でありつつ帝国の騎士でもあるレオンは、例え戦がなかったのしても剣の腕がなまらないように毎朝のように体づくりと鍛錬を繰り返している。そんな彼がシャワーを浴びないわけがない。


 ……であれば、この香水の香りは今朝つけたものだ。

 間違いなくこれは、私を落とすためではない。けれど堅物な彼が誰彼構わず捕まえるために香水をふったとも想像し難い。


 ならばこれはーー運命の相手、マリーゴールドのためにつけたものになる。

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