第52話

 普段は冷徹男で、何を考えてるのか分からないような男だと言われる彼が、昨日出会ったばかりのマリーゴールドの前で笑って見せたのだ。

 緩んでいた空気が、一瞬でピンと張り詰めたのを感じた。それはこの場の空気ではなく、私の中にあるもの。気を緩めてはいけない。ちゃんと状況を把握し、理解し、自分の置かれている立ち位置を見直さなくてはいけない。

 そういった類の思考が私の背筋をシャンと伸ばす。


 ……そうだ。レオンがどういうつもりでマリーゴールドと一緒にいるのかなんて、考えるな。私は私のすべきこと、歩むべき道をいくまで。

 レオンとマリーゴールドがいるなんて思ってなかったけれど、不意を突かれたから何だっていうの? 二人の出会いが早まっただけで、この先二人の姿を見る機会も、二人の惹かれあっていく表情を見ることも、多々出てくるはず。


 ーーチクン、と刺さる棘に一瞬顔を顰めそうになったけれど、私はそれでもグッと顔を上げる。

 私はこの世界でモブ令嬢だけど、これは私の人生だ。この世界の主役ではなかったとしても、私は私の人生の主役だ。

 私が私らしく生きられるように、今は最善を尽くすまで。


「ところで、お二人はどうしてここへ?」


 店はまだオープンしていない。お店で売るほどの香水を用意していないからだ。


「私は店の様子と、奥にいる錬金術師の様子を見に来たんです」


 店の奥にあるスタッフ用の扉を開けると、そこは調合室になっている。私が毎日ここに来て調合する必要はないけれど、精油を抽出するための錬金術師がここで作業をすることになっている。


「私はちょうど買い物でこの辺りを物色していたところ、この店が気になって覗いていたところ、中に侯爵様がいらっしゃったので、昨夜のお礼も兼ねてご挨拶をしておりました」

「そうでしたか」


 本当に? とツッコみたい気持ちはあるが、それ以上言葉を繋ぐ代わりに私は笑顔で口元を引き結んだ。


「そういうリーチェこそ、店に顔を出すと一言教えてくださったのなら、私が迎えに行って差し上げたのに」

「そんな、お忙しいレオン様のお時間を割くわけにはいきませんので」

「リーチェのためであれば、いくら時間を割いても構いませんよ」


 ーーカチリ。と、レオンのスイッチが入った音が、聞こえた気がした。

 リーチェを口説き落とす、スイッチ。さすがは男主人公。一度決めたことはどんな拷問を受けようとも変えない。

 むしろこの場でいえば、拷問を受けているのは私の方だけど。


 マリーゴールドというレオンの番の相手がいる前で口説かれようものなら、斬首塔に上るよりも、鉄の処女の腹の中に入れられる事よりも、苦痛で仕方がない。

 何せレオンは義務感と自分が言い出した言葉の責任を取るための責務感から口説くだけで、内心では本音と戦っている事を知っているのだから。

 そして他の令嬢を口説くレオンの姿を見せるのも、レオンが好きで慕っているマリーゴールドにとっては苦痛だ。


 ……驚くほどに、誰も幸せになれない状況ね。


「ありがとうございます。レオン様の優しさは存分に承知しております」


 私はドレスを指でつまみ、足をクロスさせてお辞儀をしてみせる。


「ですが、私達は。お互いの利益の上で成り立った関係ですので、レオン様がそこまで時間を割く必要も、私の面倒を見る必要もありません」


 私はあえてマリーゴールドに向けて言うように、説明を付け足した。


「リーチェ、私はーー」


 私の言葉を否定するかのように、レオンが割り込んで来るだろうことも想定していた私は、彼の言葉に被せるようにしてさらに言葉を紡ぐ。


「マリー様は昨夜の一件の被害者であり私と同じ不運を共有した、いわば運命共同体なので言ってしまいますが、実は私とレオン様は契約で結んだ関係なのです」

「契約で、ですか?」

「はい。話せば長くなるのですが、あのクズ……もとい、コーデリア公爵様が私にゲスい事を……いえ、私があの方の反感を買ってしまい、脅迫……ではなく、パーティに招待されたのですが、パーティに着くなりアイツ……じゃない、公爵様が無理矢理……といいますか、皇帝陛下に進言して私と婚姻を結ぼうとしていたので……」


 くそぅ、私の本能レベルでキールを拒絶しているせいか、つい本心が出てきて話しにくいったらない。

 昨日は緊急事態だったからついつい口汚い言葉をマリーゴールドの前で使ってしまったけれど、令嬢たるものそんな言葉吐いてはいけないし、目上の地位に当たる伯爵令嬢の前で、そんな言葉を使うわけにはいかない。


「……なるほど」


 そう思っていたのだけどーー。


「要約すると、リーチェ様があのクズ男にゲスい事をされ、挙句に脅迫により昨夜のパーティに参加された矢先にあのカス野郎が、嫌がらせのために無理矢理リーチェ様と婚姻を結ぼうとしていたところをバービリオン侯爵様が助けてくださった……という事でしょうか?」


 にーっこりと微笑む無邪気なマリーゴールドを見てると……あれ? 今毒吐いてたような気がするけど、気のせいよね? って、脳内で自己処理を始めそうになった。

 きっと後光を背景に天使が笑顔で口汚く罵ったとしたら、一瞬その下世話な言葉だって浄化の言葉じゃない? って思えてしまうような、そんな状況だ。


 ってか私、カス野郎なんてフレーズは使ってないと思うんだけど……。

 マリーゴールドってば、私の罵りに上乗せしたよね……?

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