第42話
「あとなんだ。暴行罪と言っていたな」
レオンは私を抱きとめたままで、左手の手袋を外す。
「それに関してはこちらも言い分がある。キール・ロッジ・コーデリア公爵、決闘を申し込む」
そう言ったのと同時に、キールめがけて手袋を投げつけた。
その瞬間、この場にいる誰もが息を飲んだ。
「けっ、決闘だと……⁉」
「言っておくが、代理を立てるのは許可しないぞ。俺はお前と差しで勝負をするつもりだからな」
……それって、どうなんだろう。
レオンがキールに決闘を申し込んだ事も驚きだけど、そもそもレオンは騎士だ。帝国一と呼ばれるような騎士がキールに決闘を申し込むのは、あまりに一方的な気がする。
かといってキールに同情するつもりは毛頭ない。だけど……。
「レオンあの……」
「その頬」
レオンは私の頬にそっと触れる。そして今度はその視線を私の足元に向けた。
「その足も。その怪我を負わせた責任をきちんとその身で取らせます」
そう言った後、私の視界はグルンと回転する。
気がつくと視線がいつもより高い……って、これ、お姫様抱っこってやつじゃん!
「おっ、降ろしてください!」
「降ろせませんね。靴もなければ、傷だらけではありませんか」
頬に熱が集まり始めた時、目のやり場に困って視線を辺りにさ迷わせる。私の視界に映るのは、ヒソヒソと話を始める群集と困惑した様子の騎士や従者達。そして今にも火でも噴き出しそうな表情を見せているキールに、座り込んだままレオンをひたすら見上げているマリーゴールドの姿だ。
「……レオン、降ろしてください」
「ですから」
「コーデリア公爵様に話があるのです。どうか降ろしてください」
レオンの反論を挟ませないように、私はキッパリと言い切った。
さっきのように戸惑った様子も、恥ずかしがる様子も見せず、レオンの青い瞳を真っすぐに見据えて。
そんな私の様子に一瞬驚いたように目を見開いたレオンだが、私の意志の固さを感じたのか、ゆっくりと私の足を地に降ろした。
「おい、自分が何を言ってるのか分かってるのか……お前は騎士で、俺は違う。しかも位の高い騎士が一般人に決闘を申し込むなど、狂気の沙汰だぞ」
狂気の沙汰はお前も一緒だ。
勝手に婚約を進言し、皇帝の許可をもらい、挙げ句にその婚約者の相手を前にして別の令嬢を口説き口説き口説き……どう考えてもキールの方が狂気ではないか。
「いいや、狂気でも何でもない。騎士とはいえ、決闘を申し込んではいけないという法律はない」
「だが!」
「なんだ、怖じ気づいたのか? さっきまでの威勢はどうした? 虚勢を張るのは女性の前でのみなのか?」
「なんだとっ!」
キールの緋色の瞳の奥には、マグマのような熱を感じる。それほどの怒りを彼はレオンに向けていた。
私はその隙をついて、キールとの距離を詰める。そして――。
「コーデリア公爵様、あっ……」
そう言って彼の足元を指さした。すると不意を突かれたせいで、キールのみならずその場のみんなが私の指先――キールの靴先に視線を向けた、その瞬間だった。
「ーんパンチィィィィ……ッ!」
――ゴッ‼
という鈍い音がキールの頬の上で響く。
キールの靴先を指さしていた左手を胸に引き込み、空いた右手を握り込んで、そのままフルスロットルで振りかぶり、キールの頬を殴りつけた。
驚いた顔をしたまま、キールの顔が私のパンチによって変形する。
正義の鉄拳、ア●パンチ。
グーパンチも、人を殴る行為すらも前世踏まえて初だ。だから……。
「……いったぁ!」
人を殴るのって、こんなに自分にも痛みが返ってくるとは思ってなかった!
前世で読んだ少年漫画ではこんなシーン見なかったから、知らなかった。殴った方も痛いなんて教えておいて欲しかった。
「リッ、リーチェ、大丈夫ですか?」
まさか令嬢が人を殴るなんて思ってなかったのか、周りは呆気にとられていた。けれどそんな群集の中でいち早く我に返ったレオンが、私に近づいて肩を抱いている。
けれど何より、私の手の痛みより、渾身の一撃をお見舞いしたというのに、キールは何とか踏み留まったことだ。
レオンの時は思いっきり情けない姿で倒れ込んだのに、私ではそうはいかなかったのがなんともくやしい。
「きっ、貴様……今度ばかりは本気で許さんぞ!」
倒れはしなかったものの、私のパンチが効いたのは確かなようで、キールは頬を手で抑えている。
そんなキールが私に向かってくる様子を見て、レオンが間に立ちふさがってくれた。
けれどそんなレオンの体を押しのけて、私ははっきりとした口調でこう言った。
「キール・ロッジ・コーデリア公爵様、本気で許さないのは私の方です!」
キールに頬を打たれ、ドレスを破かれ、罵声を浴びせられていた時は、さすがの私も恐怖を感じた。
「先ほどあなた様はおっしゃいましたね。位の高い騎士が一般人に決闘を申し込むなど狂気の沙汰だと。それを言うのであれば、一介の令嬢に手を上げ手駒にしようとしたあなたは狂気を通り越し、異常者と呼ばずにはいられないのではないでしょうか」
私が恐怖を感じたのはキールにというよりも、女性よりも圧倒的に力を持つ男性という存在に対する恐怖に近かった。
力で押さえつけられれば自分が無力で、弱く、されるがままになってしまうそんな自分の非力さに、涙が溢れそうになった。
ヤツが本気を出せば、私はいつでも亡き者とされてしまう力の差に震えた。
だからレオンが駆けつけて来てくれた時は、どれだけホッとしただろう。
普段はクールな彼が、キールに怒りを露わにし、決闘を申し込んでくれた事に、どれだけ胸が高鳴っただろう。
「感謝して下さいませ。心の広い私は、今の一撃であなた様が私の頬を打った事はチャラにいたしましょう。よって……」
けれどそのどれもに、本来の私は感じてしまってはいけないのだという事を、再認識する結果となった。
「レオン様も、コーデリア公爵様に申し込んだ決闘は取り消してくださいませ」
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