第39話

 しかしどうして、マリーゴールドはここにいるのだろう。

 キールがマリーゴールドに絡むのは、皇室のパーティでのはずだ。だからキールが主催するパーティにいるはずないのに、どうして……?

 もしキールの主催パーティに来てたのなら、マリーゴールドが今日のようにキールに迫られた時、レオンが助け出せない。だってレオンはそもそもパーティが好きではないから。

 そして今日も本来はパーティにいないはずだし……というか、本当に追い返されたからいないんだけど。


 一体どうしてこんな風にこじれてしまっているのだろう?

 モブ令嬢の私が生きているせい? 香水事業なんてはじめて、生存戦略をこころみたせい?

 それとも、そもそも私が本物のリーチェではなく、リーチェの中に転生してしまっているせい?

 ……いいや、どれがというわけではなく、全てが作用してしまったせいなのかもしれない。

 やっぱりパラレルワールドというものがこの世界には存在して、私はこの世界に別ルートというものを作り出してしまったのだろうか。


「……コーデリア公爵様の婚約者様でいらっしゃったのですね。大変失礼いたしました」


 たった一瞬、私が気を抜いて他の事に考えを巡らせている間に、マリーゴールドはしずしずとドレスの裾を掴んで頭を下げた。

 その言葉にハッとして、とりあえず考えるのは今じゃないと思いなおし、私はマリーゴールドに目を向けた。


「あっ、あのっ! 私と公爵様は先ほど知り合ったばかりで、ご令嬢がお考えになるような間柄ではありませんので……!」

「安心してください。私はあなたを疑ってなどおりません」


 疑うのはこの男のみだ。

 というか疑いなんていう疑惑はない。あるのは確信のみ。この男が嫌がるマリーゴールドに言葉巧みに迫っていたという事実だ。

 私がキールの婚約者だって言ったから気を遣わせてしまったみたいだけど、婚約者というのも本人の合意無し、皇帝による書面のみ、さらいに今さっき知らされただけの関係だ。

 正直キールと婚約者だなんてそんな呪いじみた事、本当なら言いたくもないんだけど。


 私はキールに掴まれていない方の手を必死に伸ばし、マリーゴールドの手を引っぱった。

 そして彼女が私のそばに近づいた瞬間、小声で耳打ちする。


「クズ男は任せて、どうか早くこの場から逃げて下さい……いっ!」


 私はそれを言うのが精いっぱいだった。再びキールに手首を引っぱられたせいで。


「何をコソコソと話している。俺の話はまだ終わっていないぞ」

「コソコソとしていらっしゃったのは公爵様の方ではありませんか? こんな人気のないところで見知らぬご令嬢と、一体何をしようとなさっていたのでしょうか?」

「はっ、何を勘違いしているのかは知らんが、体調が悪いと言っていた令嬢を夜風の涼しい場所に連れ出していただけだ」

「それは嘘で……!」


 キールの言葉に反論しようとしたマリーゴールドが、自分で自分の言葉を遮った。

 きっとキールの表情が悪魔の化身のように見えたからだろう。


 しかしこの男、腐りまくっても公爵家当主。前公爵当主は年配だったため他界し、兄弟は健康に恵まれず、キールが当主に就任した。けれど兄弟が病弱なのもこのクズ男が一枚かんでいる……というのが設定だ。

 生まれながらにしてキングオブクズのこの男が権力を持ってしまった事が、この世界の災厄とも言える。


「そうでしたか。ドレスの締め付けによるものでしょうか? ちょうど酔い止めの香を持っていますので、どうぞお使い下さい。なんなら瓶ごと差し上げますので、どうぞ私達を二人きりにさせて下さいませ」


 さっき持って来ていた扇子とバッグを従者に預けてしまったため手元にはないけど、お金の入った袋や香水瓶は腰に巻き付けてあるポケットに移動させておいた。

 ガウンペチコートの切れ込みからポケットに手を忍ばせ、その中から遮光瓶を取り出す。


「こちらの精油をお使い下さい。中はペパーミントですので、スッとした香りで気分が楽になるはずですよ」

「あっ、あの、私は……」

「一度蓋を開けて下さいませんか? いくつか瓶を持っているもので、これが正しいものか確認したいのですが、あいにく私の片手は誰かさんに掴まれたままなので使えそうにありません」


 本当は今日、これ以外に精油は持っていない。

 ポケットから取り出す時、蓋に付けていた精油の名前を書いたラベルは指で剝がしておいた。

 マリーゴールドは私の気迫に気圧されて、おずおずと精油瓶の蓋を開ける。

 戸惑っているマリーゴールドの様子は無視して、さらにこう言った。


「中蓋も外してみて下さい。体調不良の時はたくさん嗅いでみるのがいいと思いますので」

「わっ、分かりました」


 本当にマリーゴールドが体調悪いとは思っていない。けれど私の手は不自由だから仕方がない。マリーゴールドの助けが今は必要だった。


「……どうやらこれは、ペパーミントで間違いないようです」

「そうですか。では」


 そう言いながらすかさずマリーゴールドから瓶を奪い取り、その中身をそのままキールの目に向けてぶっかけた。


「がぁっ!」

「今よ! 走って‼」


 キールがひるんだ隙にこいつの手を振り払い、マリーゴールドの手首を掴んで駆け出した。

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