第36話

「……本人の承諾無しに、事を進めるなんてどこまでも紳士の風上にも置けない行為ですね」

「何を言う。婚姻とは本来両家とを結ぶ事を言うのではないか。当人の気持ちなど二の次だ」


 クックックッと笑うキールの顔。どうだ参ったか、お前は俺の手のひらで転がされていたというのに……とでも言いたげな表情がまたムカつく。


「両家とを結ぶ婚姻であれば、父の了承が必要なはずです。その工程を飛ばして皇帝陛下に申し出する事自体に疑問を呈しているのです」

「お前の父親には了承を得ているぞ?」

「……はぁ?」


 思わずこぼれたカジュアルな言葉。公爵相手に言うセリフではないけれど、今はそれどころではない。キールも気にする様子はなく、お腹を抱えて笑っている。

 どうやら私の反応がそれほどまでに面白いらしい。


「冗談だ。男爵にはまだ伝えていない」


 いや、それ。本当に何の冗談なの?


「順番は前後するが、何か問題でもあるのか?」

「もちろんだ。リーチェにはすでに俺という婚約者がいるのだからな」


 怒りを露わにしたレオンが、今にもキールを切ってかかりそうな勢いで会話に加わった。

 公爵家でのパーティ。騎士とはいえど今日は貴賓としての参加だ。さすがのレオンも剣を持ち歩いていない。

 ただし従者の剣を借りてでもキールに切りかかりそうな雰囲気だけど。


「そもそも噂によると、お前達はまだ婚約を結んでいないのだろう? それにこれは皇帝陛下直々の文書だぞ。陛下が縁談を結ぶようにと言っているのだから、バービリオン侯爵とリーチェがつき合っていようと、トリニダード男爵に伝えてなかろうが優先されるのはこの書面だという事を忘れるな」


 ……私の手に剣が握られていたならば、今キールを三回は切りつけてたわ。もちろん技術的にも状況的にも、本当にできる訳ないんだけど。

 あくまで気持ちの問題だ。ゲス野郎は斬り捨て御免だ。

 なにが一番私のハラワタを煮え繰り返させるかって、キールが言うことが正しいという事実だ。


 どういう流れで皇帝に直談判し、私との婚姻の許可をわざわざ得たのかは分からないけど、皇帝が認めたのであればその書面に書かれている事は絶対だ。

 だからこうして、隣に立つレオンも殺意を露わにしながらキールの言葉をこれ以上突っぱねられないのだと思う。


 というか、なんでここまでするんだろう? キールのプライドや神経を逆なでした事は自負してるけど、わざわざ皇帝にまで進言する? ただの一介の男爵令嬢を手に入れるために?

 私とキールとの間には身分の差だってあるんだから、キールが言えば本来私に婚姻を断る選択肢などないことは、皇帝も理解しているはず。いくらキールに具申されたとしても突っぱねる事だってできたはずだ。


「これで分かっただろ? リーチェは俺のだという事を」


 キールは私の手を掴んで、力いっぱい引っ張った。その様子に反応したレオンだが、同時にキールは空いた手でパチンと指を鳴らした。


「すまないが俺の婚約者の周りを飛び回るハエには、出て行ってもらおうか」

「レオンッ!」


 剣を構えた騎士数人に阻まれ、レオンは身動きが取れない。レオンの手を取ろうとしたけど、それさえもキールとキールが従える騎士に阻まれてしまった。


「今日の来賓は招待状を持った者のみなのでな。悪く思わないでもらいたいものだな」


 こうなったら……そう思って私は再びキールの足をヒールで踏みつけてやろうとしたけど。


「きゃあ!」


 キールに太ももを掴まれ、持ち上げられる。それはキールを踏もうとしていた方の足だった。

 ドレスの裾から露わになる生足。前世ではショートパンツだって履いて生足を披露していた時代もあったというのに、郷に入れば郷に従うというものだろうか。夜風をダイレクトに受けた生足に、私の頬は高揚する。


「そう何度も同じ手を食らうと思ったか?」


 私はドレスの裾が上がらないように、両手で必死になって露わになった太ももを隠す。

 キールが空いた片手で私の腰に手を回しているせいで私はこれ以上身動きが取れない。太もももがっちりと掴まれたままだ。


「リーチェ!」


 声のする方へと視線を向けると、レオンは騎士に囲まれて大人しくしながらも、その青い瞳に怒りの炎が燃え滾っているのが見えた。


「……すぐに戻ります。ですからどうか、無理はなさらず。今だけ少し耐えて下さい」

「はっ、すぐに戻るだって? 俺の言葉を理解していない阿呆のようだな。卿がこの家に足を踏み入れる時は……そうだな、俺とリーチェの結婚式には参列できるよう招待状を送ろうか」


 あっはっはっ、と声高々に笑うキールには目もくれず、私はレオンの瞳を真っすぐ見据えた。ブレない瞳が、彼の信念を感じさせる。どうやって助けだそうというのか分からないけど、レオンはきっと何か考えがあるのだろうと思った。

 私はその言葉をただ信じるのみだ。

 レオンと目くばせをしながら、私は一度だけ首を縦に振った。それを皮切りに、彼はクルリと私達に背を向けて、騎士に連れられるままコーデリア公爵邸を後にした。

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