第33話
レオンは私の鼻にハンカチを当てながら、空いた片方の手で、私の髪を梳くように撫で付けている。
密室でこの距離で、冷たい色をした瞳から太陽のような暖かさを放たれたら、本当に心臓がもたない。
そんな風に思っていた時だった。
「どうでしょう。もちろん私は、あなたの顔が好みです。その愛らしい唇も、すぐにのぼせてしまい血を出す鼻も、蜂蜜のような瞳も、この燃え上がるようで柔らかな綿毛のような髪も」
レオンは言いながら、その部位一つ一つを愛でるようにして触れていく。
私の顔はきっと、この鼻血と同じように真っ赤に染まっている事だろう。自信がある。鼻血がなかなか止まらないのがその証拠だ。
「けれど私がリーチェが気になったのはそこだけではありません。あの日、公爵に抑え付けられながら震えていたのに、胸を張り、怯えた様子はおくびにも出さず、堂々と公爵に向かって啖呵を切ったあなたの姿が、今も目の奥に焼き付いて離れないのです」
ーー私は、人が恋に落ちる瞬間を描いた事がある。
レオンがマリーゴールドと出会った時、彼の瞳孔は小さく引き締まる代わりに、切れ長な目は大きく膨らむように広がる。
隕石でも自分の頭上に落下したかのようなインパクトを感じる一方で、時は止まったかのように静かだった。
そんな風に、お互いに一目惚れをした二人のシーンを描いていた。
「私も男です。もちろん外見を見て、綺麗だとか可愛らしいとか思う事はあります。けれどそれは一般的な、なんら特別な事ではない出来事です」
私の髪を梳いていた骨ばった大きな手が丁寧に私の髪をひと房拾い上げ、そこにキスをした。
「初めてでした。呼吸の仕方すら忘れるくらい、誰かに魅入ってしまったのは」
「……それは、何かの手違いです」
そうだ。そうに決まってる。
レオンがおかしな事を言うから、私は自分を律するのがとても難しくて、ハンカチに顔を埋めた。
けれどそれは失敗だったと思った。ハンカチから香る媚薬香水の匂いが、余計に私の感情をかき乱す気がした。
……これ試作品だって言ったけど、もう売りに出せるかもしれないな。
なんて、そんな風に思わないと理性を保てない。
「手違いとは、どういう意味ですか?」
顔を覆っていたハンカチをそっとズラされて、私は再びレオンと顔を付き合わせる事になった。
薄暗い馬車の中で、レオンの青い瞳は妖艶に輝いて見える。
「一時の迷いというものです。私にそんな告白をして、後々レオン様は後悔する事になりますよ」
「後悔などいたしませんよ。伝えた言葉は全て本心ですから」
今はね。なぜか今はそう感じてしまっているだけ。マリーゴールドに出会えば、私に告白した事を後悔する事になるのはあなたの方なのだから。
私にこんな告白をした事も、そしてその上、付き合ってしまったら場合、きっとあなたは苦悩する事になるだろうから。
簡単に人に心を許さないレオンの性格上、許した後に本命に出会ってしまったら……あなたはどう言って私に別れを切り出すつもりだろうか。
そして私は、どうやってレオンを手放せばいいのだろうか。
そう思うと、今は形だけの方がいい。いつでも後腐れなく別れられるような関係でいた方がいい。
それがお互いの為なのだから。
「私は人の気持ちを信じきれないところがあります。今はそう言っていても、きっと近い将来、レオン様は心変わりをされると思っています」
「……では、どうすればリーチェは私の言葉を信用してくださるのですか? 私は心変わりすることはありません。この先もずっと。私は私の事を誰よりも分かっているつもりですから」
私は、あなた以上にあなたの事を分かっているし、理解しているつもりだ。
それを言ったところで理解してもらえないだろうし、理由を聞かれたところで答える事もできないから、言わないけど。
「でしたら、賭けをしませんか」
私はゆっくりと体を起こし、レオンの隣に座り直す。そして真っ直ぐレオンと向き合いながら、言った。
「六ヶ月。もしレオン様の気持ちが変わらなければ、レオン様の勝ち。それ以降はレオン様の気持ちを疑う事はいたしませんし、レオン様の告白を受け入れます。ですがもし、その期間中にレオン様の気持ちが誰かに移れば、私の勝ちです」
半年あれば、その間にイベントが起きる。レオンとマリーゴールドが出会う事になる。
そうすれば彼も、私の言った事の意味を理解するだろう。
「わかりました。その賭けを受け入れましょう」
レオンは私を真っ直ぐ見据えながら、澄んだ瞳をキラリと怪しく輝かせた。それは、負ける事などあり得ないとでも言いたげに。
「では、もし勝者になった際のリーチェの願い事を聞いてもいいですか? 賭けなのですから、あなたが勝者になった暁には、私から何かを望んでいるのでしょう?」
「願い事はその時までの秘密です。その方が賭けとしては楽しいのではないでしょうか」
私がそう言うと、レオンはフッと笑みをこぼした。それは、夜空に輝く星のような煌めきを放つような笑みだった。
「いいでしょう。まぁ、私の願いは既にリーチェが言った通りなので、あなたにとってはサプライズなどありませんがね」
そう言ってレオンは私の髪に触れ、キスをした。
普段ならドキリと弾む心臓の鼓動。けれど今、私の胸のうちはとても静かなものだった。
気がつけば私の鼻から溢れ出ていた血は、ピタリと止まっていた。
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