第32話


「レッ、レオン様⁉︎」


 まさかの状況に、脳天には衝撃が走る。まるで鈍器でドゴォ! とクリティカルヒットを食わされた気分だ。

 しかも横になっているせいで、鼻血が出てしまったら一発でレオンの衣類を汚す。しかも膝の上。そりゃダメでしょ。


「落ち着いて下さい。興奮しては余計に瘤が痛みますよ」


 誰のせいだと思っているのか。

 私とは打って変わって、彼は至って冷静だ。

 私の事を好きだとか言っておきながら、こんな状況を冷静でいれられるレオンは、本当に私の事が好きなのだろうかと疑問でしかない。

 やっぱりあれは何かの謎かけだったのだろうか。じゃあその謎の答えはなんなんだ? もう頼むから試すのはやめてくれ。答えを導き出すのは、とっくの昔にギブアップしてるんだから。


「あの……」

「今から塗りますので、動かないで下さい」


 有無を言わせぬ物言いに、私は氷のように固まった。というかこの状況に驚きすぎて、動けと言われてもちょっとすぐには動けそうにない。

 その間にレオンの手は私の瘤があるところに優しく触れる。甘い媚薬の香りと、ペパーミントの爽やかな香りが広がる。

 スーッとするミントの刺激に、私は少しずつ興奮が落ち着いてきて……マジでなんだこの状況……? と、脳が冷静な判断をはじめてしまった。

 冷静になった瞬間に襲ってくるのは、鉄の味がする赤い滝だ。私は思わず鼻を抑える。するとーー。


「終わりましたよ」


 そう言った後に、チュッと小鳥のさえずるようなリップ音が後頭部から聞こえた。


「こう、しゃく、サマっ……‼︎」


 慌てて飛びのこうとした私に、さらなる追い討ち。レオンは私の手を握りながら、私の頰にもキスを落とす。

 手や髪にキスされる事はあったけど、顔になんてーーああ、無理っ!

 そう思ったと同時に、私の鼻から溢れ出たのは羞恥心によるものなのか、喜びなるものなのか……綺麗にめかしこんだというのに、転生後二度目の鼻血ブー。

 それも推しの前で。

 というか、推しの前でしかした事がないのだけど。

 前世で徳を積まなかった事を、悔やむしかない。そしたらこんな辱めを受けずに済んだかもしれないのに。


「血は出しておいた方がいいかもしれませんね。リーチェの瘤の治りが早くなるかもしれませんから」


 そう言って彼は胸ポケットからハンカチを取り出し、それを私の鼻に当ててくれている。

 ……何なの、その理由。

 ってか、何これ。介護?

 頭ぶつけて瘤作った挙句、二度目とはいえ興奮して鼻血垂れる女に引くどころか、鼻血を拭いて優しく介抱してくれる、イケメン。

 ここはどこの高級介護施設なの?


「あの、余計に止まらなくなりそうですので、起き上がってもいいでしょうか?」

「どうして余計に止まらなくなるのかが分かりませんね。 なので、私が納得する理由であれば起き上がるのを許可しましょう」


 許可制?


「その、お恥ずかしながら、こういう事には慣れていないのです」

「こういう事とは?」

「ひざ枕……とか」


 盗み見するようにチラリと目だけでレオンに視線を向ける。するとレオンはフッと優しい笑みを零した。


「そのような理由であれば、棄却いたします」


 何でよ。

 鼻血が出ているというのに、私は思わず鼻で大きく息を吸い込んだ。その時にあれ? と小さな疑問が生まれる。


「あの、一つ聞いてもいいでしょうか」

「何ですか?」

「このハンカチにも、媚薬香水を振ってらっしゃいますか?」

「ええ、振りました」


 ……やっぱり。さっきより香水の香りが強く感じるなって思ったのよね。鼻が詰まってるような状態なのに、頭につけたペパーミントの香りより強く感じるなんて変だなって。


「侯爵様、ブレないですね」


 どこまでも香水の効果を確認しないと気が済まないの?


「そういうリーチェは、さっきから私の名前をお忘れのようですね?」


 そこについても、本当にブレないな。

 私はコホンと喉を整えてから、改めて言葉を紡ぐ。


「レオン様、本当にその、私の事が好きなのですか?」

「リーチェこそ、まだ疑っているのですか?」


 いや、疑いたくもなるでしょうよ。私とレオンが出会って間もない上、出会いもなかなか最悪だったし(クズ男キールのせいで)、どこに惚れられる要素があるというのか。


「疑い……というよりも、疑問でしょうか。私のどこに魅力を感じてくださってるのかが、分からないのです」

「どこって、全部ですよ」

「全部⁉︎」


 こんな、事あるごとに鼻血垂らす女なのに?


「一目惚れだったのかもしれません」


 ひっ、一目惚れ⁉︎ 嘘でしょ!

 驚きの事実に、あんぐりと、バカみたいに口を開けてしまった。

 いや、待て待て。だったのかもって言い方したよね? 濁したって事は、確信がないって事だ。

 確信があるにしろないにしろ、一目惚れって言ったら……。


「という事は、レオン様が私を気に入った理由は、顔ですか?」


 まぁ美人顔ではあるわよね。作者目線で見てるせいってのもあるけど、愛情込めて描いたリーチェの顔。たとえモブで一瞬しか顔を出さないキャラでも、念入りに外見を作ったから。


 でも顔で言えば、絶対マリーゴールドには負けるけど。レオンの本当のパートナーだから、そこは断言できる。そして君はそんな彼女に一目惚れをするのだから。

 私に一目惚れしたなんて言ったのは言葉のあやだとでも言いたくなるほどに、レオンはマリーゴールドと恋に落ちるんだ。


 ……そう思うと胸の奥がギュッと締まるような気がしたけれど、私は唇をキュッと噛んでその感覚を誤魔化した。

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