第31話
「あの、全てはフリですよね?」
婚約するフリ。
婚約者のフリ。
それに伴い、恋をしているフリ。
これは私を助けるための、いわばビジネス的協定。
「婚約の話はそうですね。ですが、フリとは建前で、私はあなたとなら本当にそういう関係になってもいいと思っています」
至近距離から私を見つめる瞳は、ブレることを知らない。
瞳がブレ始めたのは、そんな青い色に見つめられている私の方だ。
「……それも、設定ですか?」
「ここには私とあなたしかいません。それなのにフリをする必要があるとお思いですか?」
「思いません。だからこそ戸惑っているのです。レオン様のおっしゃる真意が読み取れなくて」
素直に言った私の言葉に、レオンは小さくため息をついた。
「素直に言葉を受け取って下さい。それともリーチェから見て、私はそんなに軽い男に思えるのですか?」
「いえ、そんな事はありませんが……」
「これだけストレートに気持ちを伝えているにも関わらず伝わらないのであれば、私の日頃の行いという風に判断せざるを得ないのですが?」
グッと唇を噛んだ。確かにレオンの言う通りだ。
レオンの言葉を素直に受け取ってしまえば、彼は私の事が好きだと言う事になる。けれど私はその言葉を素直に受け取る事が出来ない。なぜならばマリーゴールドの存在があるからだ。
私は知っている。彼が愛する運命の相手は私ではなく、マリーゴールドなのだと。
レオンとは公式に付き合っているけれど、そこに本物の愛はない。少なくともレオンにはない。それなのに少しずつ違和感を覚えてしまうこの状況。
レオンの性格を知っているはずである作者の私だけど、彼の性格は私の作り上げたものとは少し異なる。
媚薬香水についてもそう。彼はそんなものに興味を示すようなタイプでもない。もちろん私という人間が介入した事によって、物語は少しずつ変化をせざるおえなくなったのは確かだけど。
「リーチェは私の事を、そんな風に見ていたのですね」
私の頰に触れていたレオンの手が、言葉とともにスッと離れた。
「そっ、そんな事はありません」
思わずガシッとレオンの手を掴み取ってしまった。そんな自分の行動に驚いて手を離そうとしたら、今度は逆にレオンから握り返されてしまった。
「これは私の本心です。言葉に裏の意味などありません。どうか素直に受け取って下さい」
……グイグイと詰め寄られる感じに、デジャヴ。そういえば私、こんなシーン描いたな。
もちろんその時レオンが手を握った相手は私ではなく、マリーゴールドのだけど。
「私はリーチェ、あなたの事が好きです」
ーーゴッ!
「……リーチェ⁉︎ 大丈夫ですか!」
思わず顔を仰け反ると、後頭部が馬車の壁に直撃した。
ぐおー! めっっっっちゃ、痛い‼︎
「だっ、大丈夫です……」
けれど私は勤めて冷静を振る舞った。さすがに後頭部を抑えつつ、瘤はないか確認しながら。
なんでこんなに痛いんだろうって思って振り向くと、壁と窓の間の桟が突起していて、そこにぶつけたみたい。どうやら瘤になってるのは確定のようで、ぶつけたそこに膨らみを感じる。
「見せて下さい」
そう言って、後頭部に添えていた私の手をそっと外し、レオンの大きな手が赤毛の間をぬって、瘤にそっと触れた。
「いっ……!」
「瘤になっていますね」
付けていた手袋を外し、再びレオンの手がそっと私の後頭部へと伸びる。ひんやりとしていて、気持ちいい。
そしてゴツゴツとした手が優しく触れるその様子に、私の心臓がドキリとする。頭の瘤よりも心臓の締め付けの方がむしろ重症な気がする……。
「冷やした方がいいのですが、あいにくこの辺りは何もないので……」
そう言ってレオンは窓の外に目を向ける。民家すら見当たらないその光景に、レオンの表情が曇る。
「大丈夫です、ペパーミントの精油を塗っておけば腫れもやがて引くでしょうから」
馬車酔い、コルセットの締め付けによる体調不良になった時用の応急処置として常備しているペパーミントのアロマオイル。
古代ローマ人はペパーミントで編んだ冠をかぶって悪酔いするのを防いでいたといわれているほどで、鼻の中を抜けるようなスッとした香りを持つペパーミントは鎮痛・鎮痒・冷却・防腐作用などがある。
だからよく湿布や軟膏にペパーミントが使用されているのだ。
扇と共に持ってきていた小さなハンドバッグ。その中に小さな遮光瓶ーーペパーミントを忍ばせていた。
その蓋を開けて、それを手のひらに数滴落とそうと思っていた矢先だった。
「私にやらせてもらえませんか?」
レオンからの申し出に、私の手はピタリと止まる。
「私のせいでリーチェが瘤をこさえたのです。ですから少しでも罪滅ぼしをさせて下さい」
そう言って、レオンは私の肩を抱き、ポスンと私はレオンの膝の上で横になった。
……ひっ、ひざ枕? 正気なの……?
推しの膝は筋肉質なせいかとても硬くて、寝心地が悪い。にも関わらず、私は天へと昇れてしまいそうなほどの幸福感。
そしてもちろん、羞恥心もザバーンと荒れ狂う波のように押し寄せてきた。
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