第23話

 もしレオンが私と一緒にビジネスをすると提案していなければ、事業はもっと縮小し、大ごとにはしなかった。世にあるもので細々とやりながらコツコツと事業拡大を目指しつつ、お金を貯めていけたらと考えていたからだ。


「侯爵様はエッセンシャルオイルがどれくらいの量の花や草木から抽出できるのかを、ご存じでしょうか?」

「考えたこともないな」

「抽出する部位やもの、時期などにもよります。果実などは比較的安価に量を得る事はできますが、例えばラベンダー1リットルの精油を抽出するためには、150kg以上のラベンダーの穂先が必要になると言われています。 特に媚薬効果にも使え、さらに女性をターゲットに人気を博す香り――ローズに関しては、たった1滴を抽出するために、バラの花50個前後が必要になると言われているほどです」


 けれどこれも抽出方法によって差異はある。前世ではアロマの抽出方法として一般的なのが水蒸気蒸留法。大釜に植物を入れ、水蒸気を吹き込んで加熱し、蒸す。水蒸気の熱で精油を蓄えていた細胞が壊れ、中の精油が放出され揮発する。その後冷却されて、液体と精油が分かれる仕組みだ。


 柑橘系の場合は果実の皮を絞って抽出する圧搾法もある。他にも方法はあるけど、結局はどれも大量の植物から取れるのはほんのわずかという訳だ。

 この世界には魔法使いと錬金術師がいる。魔法使いは名前の通り、魔法を操ることができ、錬金術師は私のいた前世でいうところの化学者。ただし使うのは魔力であるマナだ。

 錬金術師が抽出すれば、余計な人員やコストは削減できるし、上質だ。それに、抽出に時間もかからない。今後の事を考えるなら、腕の良い錬金術師を抱えておくのは悪くないと思う。


 そしてなぜ私がこんなことを頼むのかというと……材料集めがめちゃくちゃめんどくさいからだ!

 商人であるマルコフのコネを使えば難しい事ではないけど、それはマルコフの顔色を窺わなければならないし、毎度彼にお願いしなければならなくなる。

 一度知り合った相手であれば、もちろん私がやりとりすることは可能だけど、なにせ相手が令嬢の私だからか毎度毎度舐めた態度で接してくるのをやり込めるのが面倒でしかたなかった。


 マルコフ相手だとヘコヘコしてるのに、相手が小娘と分かったら顔色変えるんだから! そんなこんなで、投資家でもありビジネスパートナーでもあるレオンにお願いに来たってわけだ。


「……なるほど、確かにリーチェの言う通り錬金術師を囲い込み、自社で生成させる方が安価で効率もいいな」

「はい。私もそう思います」

「ではすぐにでも腕の良い術師を探してみよう」


 レオンが視線を執事に向ける。それを受けた執事は静かにお辞儀をし、部屋を後にした。

 私はやっと肩の荷が下りた気持ちで、ホッとする。これで本当の意味で食事もお酒も楽しめるわね。

 疑いようのないほどレオンが固執している媚薬香水。未だに理由は分からないけれど、彼があれを本気で欲してるからか、この事業に関しての出資は糸目をつけなさそうだとは思っていたけど、でもやっぱりお金が絡むことをお願いするのって疲れる。


 前世のマンガ家って職業では出版社と契約をして仕事してたけど、ある意味で自営業というか個人事業主だった。でもこんなふうに事業を興した事もなければ、大きなお金を私が動かすことも無かった。

 アニメ化の交渉も金銭のやり取りも全て、出版社がやってくれてたわけだし。

 最後に運ばれてきたデザートのシャーベットに舌鼓を打っている時、レオンの青い瞳は真っすぐ私を捉えていた。


「どうだ、食事は口に合っただろうか?」

「はい、とても美味しいです」


 しまった。気が緩み切ってしまってた。今日は話さなければいけなかった二つを無事解決できて、ほっとしてしまってた。

 緩んでいた頬を、キュッと引き上げたところで、レオンはデザートに口をつけるようすはなく、ワイングラスをくるくると回しながら、私を見つめた。


「こっ、侯爵様?」


 いつになく優しい眼差しに見えるのは気のせい?

 まさかレオンともあろう人間が……酔ったとか? レオンはお酒にも強いはずだけどな……?

 そんな風に思っていた矢先、レオンはほほ笑むように口元を緩ませてこう言った。


「ところでリーチェ、いつまで侯爵様と呼ぶつもりだ?」


 ……はい?


「ですが、侯爵様は侯爵様……ですよね?」

「名前で呼び合う話をしたかと思うのだが?」


 ああ、そうでした。バービリオン侯爵にくらべたらレオン侯爵と呼ぶのは字面的にも発音的にも楽だったんだけど、万年の私のズボラさが出てしまい、さらに短く爵位のみで呼んでたわ。


「レオン侯爵様。これでよろしいでしょうか?」

「レオンでいい。俺もリーチェと呼んでいるのだから、それが公平ではないか?」

「では、レオン様?」

「様も省略していい」


 いや、それはいるでしょ。むしろつけさせて。

 年下の男爵令嬢が年上の侯爵相手に呼び捨てって、どーなの?


「あの、いくらビジネスパートナーとはいえ、完全に同等とはいかないかと思います。そうでなければ品位を疑われるのは私の方ですので」

「そうだな……では私がリーチェに合わせて敬語を使いましょう」

「ええっ、なぜですか⁉」

「これならば私とあなたは対等で、周りはリーチェ嬢の品位を疑う事はないでしょうから」

「そっ、そうですが……」


 推しが私に敬語使ってくれるのって……なんか、めちゃくちゃ良いな。

 そもそもイケメンが敬語使うのって良いよね。しかも相手が年も位も上っていうのがまた、グッとくる。

 レオンを呼び捨てにしたり、レオンに呼び捨てにされるよりも、私はこの方が胸が高鳴ってしまうわ。なぜか。

 そう思いながら、私は膝にかけていたナフキンを口元に当てるふりをして、鼻をそっと拭った。

 ……よかった。どうやら今のところ、鼻血は出てないみたいね。

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