第19話

 ただし私は、結婚する気がないわけじゃないんだけど。


「結婚は人並みに興味があります。ですが、父に勧められて結婚することを望んでいません。たとえそれが貴族社会の習わしだと分かっていても、私が選んだ人と結婚できないのであればそれを受け入れたくないと考えています」


 果たしてレオンは理解してくれるのだろうか? こんなにも現代的な思考をしている私の意見を。この世界での一般的と呼べる考え方とは違う事は、私が一番よく理解している。


「なるほど。だから資金調達をしようとしているのか。父親から流れてくるお金ではその理想を追い求めることはできないから」

「その通りです」


 本当に察しがいいな。会話がスムーズに進むおかげでノーストレスだ。


「だが、トリニダード男爵が本気になれば、リーチェ嬢のビジネスなど簡単に潰されてしまうのではないか?」

「ですから、侯爵様と手を組んだのです。ビジネスパートナーがかのバービリオン侯爵閣下だと分かれば、父も手は出せないかと思いまして」

「そうか、では俺はまんまとリーチェの手駒にされていたわけだ」

「……気分を害されてしまいましたか?」


 今更ながら契約条件が見合わないとか言うかな? 元々私にとって好条件の契約内容なんだけど、やっぱり後悔とかしちゃった? もしくは怒ったかな? せっかく紳士的に条件良くしてくれたのに、なんてしたたかな令嬢だとか思って……?

 そんな風に考えていると、レオンの薄い唇が弧を描いた。


「いいや、計算高い女性は嫌いじゃない」

「ひぃぇ……っ!」


 こらえきれず声が漏れ出てしまった。それもそのはず。レオンとの至近距離も心臓にかなりの負担を強いられているというのに、解放してくれない私の手のひらにレオンがキスをしたからだ。

 この間は手の甲にキスするフリをしただけだったのに、今回はあの形の良い唇が間違いなく触れた。ガッツリ触れた。しかも手の甲ではなく、手のひらにだ。

 それにより間違いなく私の二機目の命は爆発し、朽ちた。


「こっ、侯爵様! 先ほどから距離が近いように思うのですがっ⁉」


 ってかレオン、マジでキャラ崩壊してない? これじゃあただのチャラいヤツじゃん。ってかそれ、キールじゃん! チャラい男はキールひとりで十分なんだけど⁉ 私の理想の男は硬派でいて欲しいんだけどっ!


「何を言う。先日はリーチェ嬢の方から距離を詰めてきたではないか。私が同じことをするのはだめなのか?」

「距離を詰める? 私が?」

「ああ。俺から香りがすると言って、近づいて来たと思うが?」


 前回レオンと会った時のことを思い出す。距離を詰めたのは確か、香水をつけてないって言うレオンから良い香りがしたから、それを確かめる為に……。ってかあれ、今思うと香水というより、レオンの体臭だったのかな?

 かの有名な中国の美女、楊貴妃は見た目の美しさだけでなく、体臭も香しいものにする為、正●丸のように圧縮し、丸めたローズの香物を毎日飲み、汗や毛穴からにじみ出る体臭すらも香りの良いものにするようコントロールしていたと言うけれど、あれと同じ発想……?

 いやいや、硬派で女性嫌いなレオンがそんな事するはずがない……って、今目の前にいるレオンは、私の知るレオンとは違ってるから何とも言えないけど!


「あれは、侯爵様から香る匂いを突き止めたかっただけでして、決して邪な気持ちでは……」

「むしろ邪な気持ちで近づいてくれていれば、良かったのだがな」

「えっ?」


 なにそれ、どういう事? 私に邪念を持って近づいて欲しかったって事?


「なぜなら俺が邪な気持ちで近づいているのだからな」


 えっ、それってもしかして……。


「…………侯爵様、まだその媚薬香水の効果を私で試していらっしゃいますね?」

「ははっ、やはりリーチェは鋭いな」


 ――くそぅ。無駄にドキドキして心臓に負担かけたじゃないか。マジで心臓発作が起きたらレオンのせいだ。

 そしてさっきから簡単に笑ってくれちゃって……やっぱりドキドキさせられっぱなしで心臓もたないんだけど。


「俺はコーデリア公爵のように、無理やり女性をどうこうする趣味はないぞ」

「ですが、やってることは大差ないように思えます」


 隙をつき、レオンの手を叩くように切り離した。そのまま彼から顔を背けるが、レオンは腕を組んで足を組み直す。


「そんな言い方をされてしまうと、不愉快に思えるな」


 言いながらレオンは更に笑う。私の顔を覗き込むようにして首を伸ばし、小首を傾げながら。

 その様子がどこか少年のようなイタズラっ子を彷彿させる。やはりレオンのキャラとは違うように思える動作なのに、私の胸の奥では小さな小動物が鳴いたようなうめき声が上がった。


 ――あっ、しまった。


 下から覗きこまれるアングルは想定してなかったから、鍛錬をおこったっていた……。

 そう思った瞬間、ツーッと生暖かいものが自分の唇に向かって垂れていくのを感じた。


「あっ……!」


 やばっ! 本当に鼻血が出てしまった!

 慌てて両手で鼻を抑え、席を立つ――が。


「……侯爵、様?」


 レオンも立ち上がり、そのまま私をギュッと抱きしめた――。

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