第15話

「さて、じゃあ気持ちの乗らない手紙の返事を書く前に、おいしい紅茶と元気になる香りでリフレッシュしましょう!」


 侍女が持ってきた熱々の熱湯。ゆらゆらと白い湯気が立ち上るボールを見下ろし、その中にビターオレンジのアロマを数滴落とす。

 すると、立ち上る湯気と共にさわやかなオレンジの香りが部屋の中に広がっていく。さっきまでどす黒い何かが心の中を支配している感じがしていたが、今は気持ちよく目覚めた時の朝のようなスッキリ感を覚えた。

 前世だったらディヒューザーとか使ってアロマを毎日のように焚いていたけど、この世界にはそういった機械がないのよね。世界の設定的に時代が古いからそんなものは描かなかったし。


 ただこの世界には魔法が存在する。異世界を描くならやっぱり魔法は必須でしょ! って思って描いたんだけど、残念な事に私が転生したリーチェはただの平凡な人間で、魔法なんて使えない。

 せっかく魔法が生きる世界に来たのに、なんたる無念……。魔法が使えればもう少し色々と便利だったかもしれないのに。

 そう思いながら私は再びソファーに座り、準備されているティーポットに手を伸ばす。そして同じくそばに置かれていたティーカップに紅茶を注ぐ。

 アールグレイの香りが、さらに私を癒してくれる。ゴクリと一口飲んだ後、窓の外を見つめながら……。


「さて、あのクソ男に返事を書かなくちゃ」


 気が重くないと言えば嘘になるけど、気持ちが落ちついたおかげでひとつ案が思い浮かんだ。

 キールの思い通りなんてなってやるものか。

 そう思いながら、私は便箋を二枚手に取った――。



   *



「改めて、先日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」


 私はそう言って頭を下げた。

 頭を下げた相手は私のビジネスパートナーであり、この世界の男主人公であるレオン。

 ここはレオンの屋敷、バービリオン侯爵家の客間だ。さすがは古くから続く名家、客間も豪華。絢爛煌びやかとまではいかないけれど、趣もあり、なにより優美な内装だ……と、私がたくさんの中性ヨーロッパ資料を読み漁って描いた客間なんだけど。


「そちらの件に関しては礼には及ばない。むしろ手土産を持参してくれてありがとう。早速開けてもいいか?」

「もちろんです。お気に召していたければ幸いにございます」


 丁寧に包装した包み紙の中、無地の箱を開けた先には、私がレオンの為に作った香水瓶が入っている。その瓶もレオンのイメージに合うように、淡いブルーボトルだ。


「これは、私が依頼したあの……?」

「いいえ、違います!」


 期待していたであろうレオンの気持ちが膨らみ切る前に、私はバッサリと一刀両断した。っていうか媚薬香水……本気じゃん。本気で欲しがってるやつじゃん。


「そちらはバービリオン侯爵様の疲れを癒す為にご用意した香りでございます」

「そうか」


 先日レオンが持っていた香水と似たようなブレンドのものだ。っていうか溜め息までついてさ、そんなあからさまに落胆しなくてもよくない?

 レオンは私が持ってきた香水瓶を手に取り、早速それを空中に向けてシュッとひとふり。すると香りが辺りを満たし始めた。


「確かに、今持っているものとは香りが違うな」

「はい。侯爵様の状況から察し、調合してみました」


 レオンが持っている香水はラベンダー、ローズウッド、サンダルウッドのブレンド。あれは一般的に販売するように調合したものだけど、今回のはもっとレオンの生活に寄り添った調合にしたつもりだ。


「バービリオン侯爵様はこの侯爵家の当主様であると同時に、帝国の騎士でもあらせられます。ですからデスクワークだけでなく、日々鍛錬も欠かさず行っていらっしゃるかと思い、筋肉の強張りからくるストレスにも焦点を当てました」


 トップノートにベルガモット、ミドルノートにカルダモン、そして最後のベースノートにはシダーウッド。カルダモンは男性向けのブレンドにもよく使用され、シダーウッドの香りは一般的に男性がよく好む香りだとも言われている。


「今回の香りの方が、男性が好むような香りを多く使用し、さらにストレスや自律神経のバランスを整えるという効果だけではなく、肩こり、筋肉痛、頭痛などにも効果的と言われるような組み合わせです」

「ああ、この香りもとても落ち着く。どうやら私の好みの香りのようだ」

「バービリオン侯爵様にそう言っていただき、作った甲斐がありました」


 私は品位を保つような笑みでほほ笑んだが、内心では拳を頭上に突き上げるほどのガッツポーズを取っていた。

 推しの助けになったのであれば、これぞ本望というもの。


「ところでその呼び名の事だが」


 その呼び名、とは? 突然の切り出しに、私は何の事だか分からず首を傾げた。


「ずっと気になっていたのだが、私の事はファーストネームで呼んではくれないか?」

「…………はい?」


 話の意図も、流れも全く分からなくて、私はただひたすらに目を瞬かせた。

 ファーストネームって事は、レオンって呼んでくれって事だよね? なんで急にそんなこと?


「ビジネスパートナーとはいえ、これから頻繁にやり取りをする間柄だ。いい加減バービリオン侯爵と呼ばれるのは堅苦しいからな」


 ……なるほど。確かにファミリーネームで呼ばれるのは堅苦しいかもね。仲の良い間柄であれば愛称で呼んだりするし、かといってそこまでの関係ではないからファーストネームで呼ぶのが妥当な気がする。


「それもそうですね。それではレオン侯爵様、私の事もリーチェとお呼びください」

「ああ、ではそうしよう」


 レオンはどこか満足そうな表情で、テーブルに置かれていた紅茶をひと口飲んだ。そんな姿すら上品で、様になるこの男はなんてイケメンなのだろう。私は改めてまじまじとレオンを見つめる。

 するとレオンは私の視線に気づいたのか、単に目の前に座ってる私に目を合わせただけなのか――とにかく彼の青く澄んだ瞳が私を真っすぐ捉えた。

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