第6話
――殴られる!
そう思って私は顔を背けて、目をギュッと閉じた。
……のに、いくら待っても、その痛みと衝撃はやってこない。
「女性に手を上げるなど、紳士の風上にもおけないな」
その声は、キールのすぐ後ろから聞こえた。キールの背後から彼の手を掴み、キールよりも頭一つ分高い位置から、彼を見下ろしている。
「放せ!」
「そっちこそ、彼女の手を放せ」
レオンはキールの手を締め上げるように力を加え、それによりキールは顔を顰めた。
「くっ!」
やっと解放された私の腕は、さっきとは別のところに赤黒いうっ血の痕が現れていた。
「大丈夫か?」
レオンは私のその腕を見て、眉尻を落とす。表情があまり豊かな方ではないレオンが見せたその顔は、かなり心配してくれている証だと思った。なにせ私の腕にはすでに、痛々しいほどのうっ血した跡が、二つもついていたのだから。
このクズ男のせいで。
「すぐに手当てをしたほうがいい」
「いいえ、その必要はありません。見た目のわりに痛みは少ないのです」
心配してくれるレオンを安心させるために言った言葉。それを素直に受け取ったのはもちろん、この男。
「ふんっ、痛みもないくせに、大げさな」
おい。お前に言ったわけじゃないんだけど? そもそもうっ血してんのよ? しかも二か所も。痛いにきまってるでしょーが!
どうやって噛みつき返してやろうかと考えあぐねいていると、間に立ってくれていたレオンがキールに向かって冷たい視線を投げた。
「痛みがないかどうか、一度同じ痣を受けてみればわかること。必要であれば俺が手伝ってやってもいいが?」
放たれた言葉にも、熱はない。レオン・ベイリー・バービリオン。キールとは違って、女性との噂は全く聞かず、そもそも近づいてくる女性を好まない。かといって別に残忍な訳でも、血が通わないほど他人に冷たいわけでもない。人に興味はないが、紳士的な男である。
私がキールとは対象的になるように設定した男主人公だ。
クールで冷徹感、だけど実際は優しい人。特にヒロインのマリーゴールドにはほかの令嬢とは一線を引くように、一途に優しい男。
……って設定だったと思うけど、私が思ってたよりマリーゴールド以外の人にも優しいんだな。
なんて、私がリアルなこの世界でレオンのことを分析している間、キールはあからさまな不快感をその整った顔の上に表した。
キールはキールで、なんともわかりやすい男だ。私が作者だからなのかな? 彼のことを知っているだけに、その表情を他者よりも読み取っているのもあるかもしれないけど、それでもやっぱり露骨だと思う。
「リーチェ男爵令嬢」
必死に抑えようとしている怒りを、奥歯で必死に噛みしめ、前髪を掻きあげた。
一連の動きも絵になるような美男子なのに、今はもう一ミリも心が揺さぶられない。
なんとも残念な気持ちにさせてくれる男だ。せっかく私の全霊をかけて作り上げた容姿だというのに。
「なんでしょう?」
キールをこのような性格に設定したのは私だというのに、それでも残念な奴というレッテルが拭いきれず、思った以上にそっけない返答になってしまった。
それに気づかないほどキールも馬鹿ではなかったようで、宝石のような瞳が、切っ先の鋭い刃物のような視線を投げてきた。
「次回また会えるのを、楽しみにしているぞ」
いや、こちらは全くもって、会いたくないんだけど。
寸前のところまで出かかっていた言葉を何とか食い止めたが、キールは相変わらず私を睨みつけていた。
「俺に恥をかかせて、タダで済むと思うなよ」
ポツリと捨て台詞を残し、キールは身を翻した。
コツコツと聞こえる足音すら、彼の怒りが伝わってくるようで、今更ながら頭に上っていた熱が下がってきた。
……とりあえず、キールが現れそうなパーティは出られないな。
でもアイツ、私をわざわざ探してまで参加する予定のなかったパーティに来たくらいだから、私が出席するパーティを選んだところで、避けることはできないかも……。
「トリニダード男爵令嬢」
名を呼ばれて、思わずハッと息を飲む。キールに呼ばれたときとは違う、優しい声色に逆に警戒してしまった。
「ひとまず、医務室に行った方がいい」
「あっ」
キールの手形がくっきりと残る私の腕。レオンが汚らしいものでも見るような目をしていることに気づき、咄嗟に腕の赤味を隠す。
「先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
ドレスの裾を少し上げてお礼を述べたのに、レオンはさらに顔を顰める。
……えっ、なんで?
「それは別に構わない。それよりも、うっ血してるのだから冷やした方がいい」
レオンは私の手を掴み、くるりと身を翻して歩き出した。
なんか、めちゃくちゃ心配されている……?
キールにも執拗に迫られていた状況も、このレオンの親切さにも、私は違和感を覚えずにはいられない。
そもそも原作で、私はリーチェとレオンが知り合うシーンなんて描いていない。それはリーチェが物語には必要不可欠とは言い難いキャラだからだ。ちょい役でキールを想い死んでいく令嬢が、なぜレオンと絡む必要がある?
そんなことを考えながら小走りで走っていたせいか、私の足はドレスの裾を踏んづけてしまい――。
「……きゃ」
倒れる……! そう思って目をギュッと力いっぱい瞑った。けれどやって来たのは、痛みの衝撃などではなく、むしろ――。
「……危ないところだった」
レオンがしっかりと私を抱きかかえてくれた。
侯爵という位を持ちながら、剣の腕前を買われ、帝国の騎士をも務めるレオンの力強い腕と、広くてちょっとやそっとのことではビクともしないであろう胸の中で、甘い甘い香りが私を包んでいた。
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