第4話
辺りには人気がない。そしてすぐ近くには、貴族が休憩できるようにと空き部屋が用意されている。
どこのお屋敷にも空き部屋はたくさんある。こんなセリフが出るくらいだから、きっと近くの部屋が空いているということも調査済みなのではないだろうか。
だからこそキールはこの場で私に迫ったんだと思う。そういうところは本当に抜け目がない。というか、ゲスい。
そうこうしている間にもキールの顔がどんどん迫ってくる。吐息が私の鼻先に触れたとき、無駄だと思いながらも私は最後の悪あがきで手に力を込める。すると私の腕を掴むキールの手にも力がこめられた。
ピクリともしないどころか、まるで腕をへし折るつもりなんじゃないかと思えるほどの強さに、腕の痛みよりもこの状況にゾッとする。
平面で原稿上にしか存在しないキャラクター達が、立体になり、形になり、言葉を発し、私を力で押さえつけようとしているこの状況になるまで、どこか他人事だったということに、その時やっと気がついた。
顔はイケメンだけど……そもそも私、俺様って死ぬほど嫌いなんだった。
それを思い出すと頭に上っていた熱が一気に下がり、固まっていた口が開いた。
「だっ、誰か――っ」
蚊の鳴く様なか細い自分の声に、無力感を感じる。思った以上に、この状況に恐怖を感じていたことに驚きつつ、顔を逸らしながらギュッと目を閉じた。
「――こんなところで、何をしているんだ?」
低い声。それでいて美声。そんな声が、明らかに敵意を込めたような音を発していた。
ギュッと瞑っていた目をそおっと開けてみると、薄暗い廊下の陰から現れたのは、陰と同じ黒い髪を持つ鋭い瞳の美青年。冷気を含んだような青い瞳が、鋭くこちらに向けられている。
……まさか。なんで?
私は思わずゴクリと喉を鳴らした。
レオン・ベイリー・バービリオン侯爵。この世界の男主人公だ。
でもなんで? ここにレオンがいるのだろう? 社交の場が好きではない彼は、皇室の公式なものでなければ参加したがらない。
そして参加した日のパーティで彼は、ヒロインのマリーゴールドと出会うのだ。
「これはこれは珍しい。バービリオン卿がいるとはな」
レオンの登場のおかげで、キールは私の体を解放した。そのことにホッとしつつ、キールに掴まれていた腕をそっと手で覆う。そこは薄っすらと、うっ血していた。
今まではどこかマンガの世界だと舐めていたけど、なんか生々しくて……ゾッとする。
時にはパソコンモニターの上、時には紙の上に描いた二次元のキャラに、世界。自分を創造主と呼ぶにはこの世界はどこか現実味がなかった。
今、この瞬間までは。
「ええ、少し用事がありまして。まさかこのようなところで、公爵ともあろう立場の方が女性を辱めているとは思いませんでしたが」
レオンの言葉に、キールは敵意を露わにする。表情からは感情が読み取りにくいレオンに対し、キールはとても分かりやすい。
「失礼な言い方をしないでもらいたいものだな。女性に無理やりどうこうするほど、俺は女に飢えちゃいないんでね」
おおーい! 思いっきり無理やりでしたけど? 私は何度も拒んでいたと思うんですがー?
きっとキールの思考回路では、嫌よ嫌よも好きのうち。って思ってるんだろうけど。
……って、改めて思うとなんだそれ! 不愉快極まりないなっ!
「そうか、それは失礼。女性が悲痛な声を発していたのは気のせいで、今もそちらのご令嬢は暗い顔をしているように見えるのも、私の勘違いだったようだ」
「勘違いでは――っ!」
口を挟もうとしたのに、キールは私を背中に隠し、腕をグイッと掴んだ。力いっぱい掴まれたその痛みに、最後まで声を発することができなかった。
「女性嫌いで有名なレオン侯爵は知らないだろうな。これはプレイというものだ」
――は?
思わず開いた口が塞がらない。コイツ、なに言ってんだ? 少なくとも公爵家として、貴族として、なんの話をしてるのか。
キールの背中からでは、レオンがどういう顔をしているのかが見えない。私と同じようにポカーンと口を開けてるんじゃないかって気になって、その顔を見てみたいという衝動に駆られる。
だけどタイミング悪く、キールは後ろを振り返り、私に視線を向けた。
「そうだろ? リーチェ」
おい。なに突然、人のことを呼び捨てで呼んでくれてるのか。
憤怒して、ひと言くらい言い返してやろうと口を開いた瞬間だった。キールは私にだけ聞こえるように、小声でこう囁いた。
「……強情なのもいいが、ここでは俺に口裏合わせておいた方が身のためだぞ」
ルビーのような瞳が、怪しく光る。その目は完全に私を脅して、コントロールしようとする威圧的な目だ。
「今後、社交会に出られなくなっては困るだろ?」
ニヤリとほくそ笑むキールの顔。
キールと初めて会った時は、自分の思い描いたキャラが実際に動いてる姿に感動した。美男子に描いただけあって、不意に近づかれれば胸が弾んでた。
……けれど、今はそれすらない。
ハンサムには変わりないのに、それをかっこいいとも、素敵だとも思えない。私の胸はもう、静かに冷え切っていた。
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