第22話

       ◆


 刀はセイルンの頭を砕くことはなかった。

 紙一重で停止している。

 しかしそれは刀だけだ。

 練り上げた剣気はセイルンを打ち据えていた。

「び」

 よろめき、セイルンが声を発する。

「びっくりしたぁ」

 そういうセイルンの姿は先ほどとはまるで違う。

 背丈が低くなり、二十歳程度ではなく、十五歳程度の少年のそれになっている。

 髪の毛の色も変わっていた。白いが、どこかに青が差しているようにも見える不自然な髪色。

 瞳さえも黄金に輝くものと変わっていた。

 これがシシリアン大公の本当の姿ということか。

 刀が触れる寸前だった頭をしきりに撫でながら、セイルンが不満を漏らす。

「何も剣気で魔法を破壊しなくてもよかったでしょう、マーガレットさん。本当の姿を見せてくれ、とでも言ってくれれば、魔法を解除したのに」

 私は黙っていた。

 私の剣気は確かにセイルンの魔法を消し飛ばした。

 てっきり、ここにいるのは幻だと思っていたからやったことだけど、姿を変えているだけだったか。ちょっと、本当にちょっとだけ、少しくらい切りつけてもいいかな、と思っていた自分が恐ろしい。

 大公に傷を負わせたら、即座に首が飛んでしまう。

 冷や汗をかく私をよそに、丈の合わさない服をしきりに気にしつつ、セイルンが幼い顔を緩ませる。

「マーガレットさんも、意外に奥手ですね」

 ……とんでもない御仁だ。

「十七歳と聞き及んでいましたが、意外にも幼くていらっしゃる」

 こちらもからかってみるが、少年の黄金の瞳をより輝かせるだけだった。

「魔法学院で色々試した結果です。成長が止まってしまったんですね。髪の色もこんな風になったし、瞳も変わった。驚かないのはマーガレットさんくらいですよ」

「これでも驚いています」

「いきなり切りつけられた僕の方が驚いたはずですけどね」

 そう言ってから、さて、とセイルンが仕切り直す。

「僕は王都へ戻りますが、最後に一つだけ、いいですか?」

「なんでしょうか、殿下」

 私も居住まいを正すが、ここで膝を折るべきかは、悩ましかった。悩ましかったけど、面倒になって立ったままにした。ここにシシリアン大公はいないはずなのだ。いないはずの人間への無礼が咎められることもあるまい。

 セイルンはそんな私を気にした様子もなく、実に簡単に言葉にした。

「僕のところで働いてみませんか?」

 ……またその話か。

「仕官せよ、ということですか。実は一度、お誘いを受けましたが、断らせていただいたのです」

「え? そうなのですか? 誰からです?」

「ルーヴァイン殿から、です」

 ああ、彼か、とセイルンはちょっと顔をしかめた。魔法の使い手として、剣士、それも一流の剣術家は苦手なのだろう。そういう剣と魔法の派閥のようなものは市井に限らず、どこにでも存在するらしい。

「ですけどね、マーガレットさん」

 ずいっとセイルンが前に踏み出すが、上着の長い裾を踏みつけて転びそうになる。とっさに私は彼を受け止めたが、彼の視線はまっすぐに私を見ている。

「あなたは是非とも、我が国に欲しい人材です」

「殿下、この国にはもっと有能なものが大勢います」

「では、言い方を変えましょう。例えば、そう、妃として、僕のそばに来ませんか」

 考えたこともない言葉だったが、とっさに笑っていた。

「殿下はご冗談がお好きなようですね。素性の分からぬ用心棒の女を妃に迎えるものがどこにいますか?」

「ここにいますよ」

「ですから、それは一時の気の迷い、勘違いでしょう。冷静にお考えください」

 私は抱える姿勢だった細い体をそっと離した。セイルンは自力で立つと、ちょっとだけ顔を俯け、「考えてみることにしましょうか」と小さく口にした。それから私を見ると、人好きのする笑みを見せた。

「今日はありがとうございました、マーガレットさん。ではいずれ、また」

 いずれ?

 自分の失策に気づいた。冷静に考えろ、というのは、諦めろ、という意味だったけど、この子どもの形をした青年は、実際に考えるつもりなのだ。その上で、考えた結果を伝える気でいる。

 殿下、と言おうとした。

 それより先にセイルンが手を掲げ、「じゃあ」と声を発しながら背を向けた。

 そのはずだった。

 背を向けた瞬間、セイルンの姿は消えてしまった。

 そう、消えたのだ。跡形もなく。瞬き一度にも足りない時間で。

 魔法?

 元から幻だったわけがない。私の剣気で魔法は破壊したから。それとも、剣気に耐えるほど強力な魔法? いやいや、違う、空間を渡る超高位魔法を使ったのではないか。しかし、何の道具も使わず?

 私はただ、混乱して突っ立っているしかなかった。

 何もかもが想定を超えていて、思考が空転して漂っていた。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る