第19話
◆
グリフォン像の前に立ってしばらくすると、セイルンが一人でやってきた。
私は広場の周囲を念入りに確認して、その上でグリフォン像を背にしながら周囲に注意を払っていた。暗殺者に狙われるのはごめんだ。
暗殺者といえば、ルーヴァインはすべてを話す、などと言った割に、暗殺者の詳細については伏せたままだった。あの夜、寝る前になって気づいた。
セイルンがシシリアン大公で、街へ出ている。
そういう情報が手に入る立場の存在は限られる。まぁ、暗殺者自身は背景を知る必要はないとも言える。標的さえ知っていればいいのだ。その理屈は、用心棒が守るべき相手を知っていればそれで済む、に近い。
ともかく、この日、建国祭を二日後に控えた日にセイルンを黒霜に引き合わせる。それでこの仕事は終わりになる。
私に気づいたセイルンが呑気に手を振りながら近づいてくる。身のこなしは軽く、広場にいる人々の間を器用にすり抜けてきた。
「おはようございます、セイルンさん」
自然を装って声をかけると、「おはようございます」と嬉しそうに笑う。
この青年が本当にシシリアン大公なのだろうか。とてもそうとは思えない。
丸二日の時間があったので、情報を調べてみた。だが、シシリアン大公の実績についてはわかっても、その為人についての詳細は不明だ。
幼い頃から魔法に秀で、魔法学院を卒業した、ということはほぼ間違いない。
今の年齢は十七歳で、魔法学院では飛び級の上に飛び級だったことになる。異例の事態だ。それだけの才能、それだけの能力があったのだ。まさか自分の血筋を理由に課程を無視したわけもない。
「どうかしましたか?」
首を傾げるセイルンに、「いいえ、行きましょう」と答えてから、先に済ませることがあるのを思い出した。
「これをお返しします」
手に提げていた包みを受け取ったセイルンが中を覗く。
「ああ、この前、お貸しした上着ですか」
「ありがとうございました」
「差し上げますよ。大したものでもないですし」
いいえ、そのようなことは。
自分でそう言葉にしてから、セイルンが訝しげな顔になり、そしてすぐに何かに合点したようだった。包みを抱えると「行きましょう」と歩き出す。その横顔には何か企んでいる色があった。
早速、雲行きが怪しい。
広場を出たところでセイルンが私のすぐ横へ並んで、ひそひそと言った。
「僕がシシリアン大公だと知っているんですね?」
「シシリアン大公?」
目を丸くして驚いた演技をするが、セイルンは嬉しそうだ。
「聞いているのでしょう? ホーフマンからかな?」
「何を仰っているのですか、セイルンさん。シシリアン大公などと、ご冗談が過ぎますよ」
「口調が不自然ですよ、マーガレットさん」
彼が私をまっすぐに見る。いたずらを仕掛けている表情だ。
もう面倒だし、なるようになるだろう。
「ええ、存じ上げています、殿下」
そうでしょうね、とセイルンは全く普段通りだった。
「今は忘れてください、マーガレットさん。ここは城でもなければ、謁見の間でもない。あなたは用心棒で、僕はその客。それで良いでしょ?」
「無礼を承知で言わせていただけば、無理というものです」
「それこそが無礼ですよ」
セイルンはまだ笑っている。私をからかうのが楽しいのだろう。
「僕がするなと言っていることをしないわけにはいかない、というややこしい表現ですが、ともかく、僕は普通に接して欲しいんです。できませんか?」
なんとも厄介な王子がいたものだ。事前情報によれば、第三皇子だが、王位継承権は五位だか六位になるという。この人物が統一王になると、官僚たちは苦労するだろう。
今の私はもう開き直るしかなかった。
「わかりましたよ、セイルンさん。今日は黒霜もいるはずです」
「その調子です、マーガレットさん。はりきって行きましょう」
やれやれ……。
通りを進みながら、セイルンは愚痴のようなことを口にした。
あれやこれやと決済を求められ、ひたすら署名し続ける苦労。会議、会議、また会議で一日が終わることもあるという。ついでに一部の勢力に命を狙われる。
彼が口にすることで私に意外なのは、大公はもっと強権的に、独裁的に国を運営していると思っていたからだ。
「シシリアン公国は」
セイルンが斜め上を見る。空に向けられる視線。
「統一王国で最も優れた土地、と言われているそうです。公正に法が運用され、適切に徴税され、医療が手厚く、治安が良いため、だとか。そんな国を誰が実現したと思いますか?」
「殿下ではないのですか?」
「違いますね。文官たち、武官たち、商人たち、すべての民が、それぞれに努力した結果です。力を尽くし、耐え忍び、必要となれば他人に譲りさえする。僕がやったことは些細なことです」
隣を歩く青年の言葉に、私は少し考えを変えた。
シシリアン大公は強権的でも独裁的でもなく、大勢の力が持つ真価を知っている人物のようだ。
私のような用心棒でも、用心棒事務所へ行くと少しだけ安らぐ時がある。集団というものに触れるからだろう。仕事のための組織であっても、そこに仲間がいる、助け合える誰かがいるのだ。
「ホーフマンを始め、有能な者が大勢いますから、僕はこうしてフラフラしていられる」
大公の言葉に私はただ頷いた。ホーフマンも苦労するはずだ。私の想像以上に苦労しているだろうな、きっと。
街の中心を離れ、長屋の群ればかりになる。
金属が焼ける独特の匂いが漂う頃には黒霜の工房が見えていた。鉄を叩く音が聞こえてくる。
私が先に建物へ入ると、室内は蒸し暑い。奥を覗くと炉の一つを前に黒霜の弟子のカブが見えた。
鉄を鍛えるのは時間との勝負だと聞いている。途中で邪魔するのも悪い。
私は無言でセイルンに手で壁際を示した。長椅子があり、そこに二人で並んで座る。
しかし黒霜の姿がないが、まだ留守だろうか。
どれくらい待ったか、不意に開けっ放しの入口から体格のいい男性が入ってきて、私たちを見て目を細めた。私は立ち上がり、頭を下げる。
「お邪魔しています、黒霜さん」
「マーガレットか」
男、三代目黒霜は頷いてから、その視線が私の手元に向いた。彼の肉厚の手が無造作にこちらに向けられる。
「見せてみろ。おかしな気配がする」
言われるがままに刀を手渡した。
一息に鞘から抜き、刃を光に当てる刀鍛冶の目元がふと険しくなる。
「歪んでいるな。人を切ったようでもないが」
「ええ、その」セイルンが気にかかったが、黒霜に誤魔化しは通用しない。「かなりの使い手と斬り合いになりました。それで、激しく打ち合って」
「ただの打ち込みではないな。相手も剣気を使うのか?」
「そのようです」
フン、と黒霜が鼻息を漏らし、「凄まじい使い手だ」と唸るように言った。それからギロリと私を睨みつける。
「あと三回、同じことを繰り返せば、折れただろうな」
「すみません。油断してました」
「お前ほどの使い手が失われるのは惜しい。刀の出来栄えを試す、いい実験道具だからな」
……そんな言い方しなくても。
「明日までには歪みを戻して、研いでおいてやる」
言って刀を鞘に戻し、それでやっと黒霜はセイルンの方を見た。
しかしセイルンが何も言わない。横目で確認すると彼は惚けたような顔をしていた。黒霜も困惑したようで、私に視線を向け直す。
「こいつは誰だ? 何のためにここにいる?」
「あ、あの!」
私が肘で小突くとセイルンが意気込んで声を発した。
「刀が歪んでいることに、鞘から抜く前に気づいていたのですか?」
そりゃな、俺が打った刀だから、と黒霜が答えるのに、すごい、とセイルンが声を漏らす。
「ぜひ、刀を打っていただきたいのです! よろしくお願いいたします!」
深く下げられた頭をじっと見据えてから、私にまた鍛冶師は視線を戻した。
「で、こいつは誰だ?」
私が説明するのか……。
(続く)
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