第18話
◆
ルーヴァインが顎に手をやりながら、淡々と言葉を発する。
「剣術としては独特だが、面白い技だ。それと、剣気には良いものがある。あれで全てではあるまい。手加減した感触だった」
一国の剣術指南役にそこまで言われるのは、剣士としてもっと嬉しがってもいい、恐縮してもいいはずだけど、残念ながらそんな気にはなれなかった。
剣術指南役は国家における最高位の使い手とされ、ルーヴァインがシシリアン公国の剣術指南役なら、その上に位置するのは統一王国の最高剣術指南役になる。当代で最も優れた使い手に贈られる「剣聖」の称号を併せ持っている人物だ。
私は統一王国でも有数の使い手に評価されているのだけど、全く実感がなかった。
勝負だけを見れば一方的な内容で、ルーヴァインに勝る要素は一つもなかった。かろうじて殺されなかった、という点が評価対象かもしれないが、どこまでも回避、防御に類する体の使い方に過ぎず、攻撃ではない。
相手の剣を凌ぐだけでは、勝てないのが剣術の道理だ。
ルーヴァインは私を無視するように言葉を続ける。
「最後の打ち込みの筋は悪くなかった。俺の剣を折るつもりだっただろうが、そこは減点だな。俺は剣気を最後まで隠したが、それでも剣気を察知する感覚は必要だ。それと高位の使い手を殺さずに退けようというのは傲慢だぞ。まさか俺が自分より弱く見えたわけではあるまい」
段々、この剣術指南役という人物が嫌いになってきた私だ。
勝手に立ち合いに持ち込まれ、勝手に評価され、最終的には仕官する気はあるか、などと、勝手じゃないか。
「マーガレット、聞こえていないのか?」
「聞こえています」
露骨に声に苛立ちが乗っていたが、ルーヴァインは気にした様子もない。余裕ぶっていて、嫌な奴だ。
「あなたが自分より優れた使い手だということは、分かりきっていました。しかし勝つ筋もあると見ていました」
「剣気で、か?」
「いいえ。あなたを観察し続ければ、いずれは勝てます」
「観察、か。事前情報にあった、シルバー流の手法だな」
知っているのか。ますます気に食わない。手の内を知っておいて立ち合うなんて、卑怯だ。
卑怯だけど、もし死んでいたら、そんな言葉も口にできない。
戦いには卑怯も何もなく、勝った方が正しい、生きている方が正しいのだから。
「では、マーガレット、いずれは俺を切るためにも仕官しないか?」
「しませんよ」
そっけなく応じると、初めてルーヴァインがちょっと目元を動かした。
「何故? シシリアン大公は剣術に理解のある方だ」
「何故も何も、私は用心棒の仕事が好きです。それと、剣術指南役殿は嘘がお上手ではない。お二人の顔を見れば、シシリアン大公には苦労させられる、とはっきり書かれています」
これにはルーヴァインがホーフマンを見て、やりとりを見守っていたホーフマンもルーヴァインを見た。二人ともが何かに納得した顔で、深く息を吐いた。
「いい主人なのだがなぁ」
ぼやくようなルーヴァインの言葉に、全くです、とホーフマンが続ける。二人の主人への評価は、言葉にはできないようだ。
「仕事の話ですが」
ここぞとばかりに私は話の軌道を修正した。仕官の話はあまりしたくない。
「私はこれから何をすればいいのですか?」
それはですね、とホーフマンが気を取り直して応じる。
「殿下は三日後、黒霜殿をお訪ねすると決めておられる。刀を打ってもらい、それを陛下に献上する。これは譲れないということです」
「殿下が直接、出向く必要はないのでは? ホーフマンさんでも構わないはずです」
「いいえ、それは、殿下が直接に刀を確かめたいとのことですから、できません」
さっきもそんなようなことを言っていた気がする。セイルン、シシリアン大公自身が確認することとは、なんだろう。値段でも切れ味でもないはずだ。いや、昼間、セイルン自身が言っていた「力」に関すること、だろうか。
ただ、セイルンはルーヴァインとは違い、剣術を極めているようではない。
詳しく聞いていいものだろうか。下手に知りすぎると、抜け出せなくなるかもしれない危険がある。
セイルンから聞けばいいか。いや、どうだろうか……。
私が答える前に、今度はホーフマンが話を先へ進めていく。
「殿下は三日後と決めておられますから、マーガレットさんには是非、殿下の護衛を。暗殺者はもう近づかないでしょうし、我々からも手のものを出して、お守りいたします」
「暗殺だけが問題でもないのですが……?」
「どうか、マーガレットさん、よろしくお願いいたします。殿下の顔を立てるということで」
もう何が何やらわからない会話だった。
ホーフマンが半ば強引に話を前進させ、報酬の上乗せ分を釣り上げていく。私は巧妙な誘導から抜け出そうとしたけれど、そこは大公の教育役を自称するだけあり、彼が一枚上手だった。どこか頼りないように見えて、抜け目ない人物だと評価を改めた。
なんやかんやと話が付け加えられ、セイルンにはこの場での話を内密にしてくれ、とまで言われてしまった。
「内密って、私に演技をしろと? 用心棒に女優をやれと?」
「今日と同じように振る舞っていただければいいのです。難しいことではありません」
それはホーフマンなら教育役から商人に化けることもできただろうけど。
「報酬に少し上積みしましょう」
報酬の問題ではない、と言いたかったけど、それさえももう面倒だった。黙って、知らん顔をしていればいいのだ。できないこともあるまい。きっと。おそらく。
打ち合わせが終わると、しきりに思案していた様子だったルーヴァインが顔を上げた。
「用心棒というのはいかにも薄給だ。近衛兵にでもなってみないか。一日や二日、体験させることもできる」
この人はこの人で変な人だった。
「申し訳ありませんが、お断りします。今の生活が気に入っていますので」
惜しいことだ、とルーヴァインは顎を引き、表情を改めた。
「もう聞きたいことはないか? なんでも聞くが良い」
「……いえ、あまり聞きすぎると危ない気もしますので」
「では約束はこれで履行された、ということで良いか」
「約束? 履行?」
そうだ、とルーヴァインが力強く首肯する。
「剣を向け合う前に約束しただろう。お前の腕次第で、全てを明かす、と。忘れたのか?」
忘れていた。
しかしこの剣士は、律儀なのか、バカ真面目なのか。
考えないことにした。そんなことばかりだけど。
「聞きたいことはおおよそ聞きましたから、もう大丈夫です、ええ、本当に」
なら良いのだ、と剣術指南役は横柄に応じる。やっぱり変な人だった。
こうして私はシシリアン大公のことを知ってしまった上に、当の大公殿下を三日後にまた接待しないといけなくなった。今度は間違いない、純粋な接待だった。
不安しかないが、逃れる術もない。
念を入れて去っていくホーフマンと、どこかまだ未練のあるようなルーヴァインのことは、すぐに忘れることにした。
警察の建物の表に出た時には、とっくに夜になり、街灯に明かりが灯っていた。
参ったなぁ。
接待など、どう考えても用心棒の仕事ではなかった。
これも経験、ということにしておこう。
(続く)
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