第17話
◆
すっくとルルドが立ち上がると、深く一礼した。
私としては反応のしようがない。どうして彼がここに? どういう立場で? 警官は一礼して出て行ってしまったから、ルルドと二人きりだ。
ルルドが警官を買収した? まさか。
考えているうちにルルドが顔を上げ、「お座りください」と身振りで椅子を示す。部屋にあるのは六人掛けの丸テーブルで、座る位置に正直、迷う。
距離を取ると決め、テーブルを挟んだ向かいの席に私は腰を下ろした。もちろん刀をすぐに手に取れ、抜ける位置を加減する。
私のささやかな動作に気づいたのだろう、ルルドが微苦笑する。
「危険なことはありません。気になさるのも当然のことですが」
彼の言葉で、とりあえず、一つのことはわかる。私が危険な目にあったことを彼は知っている。男と切り結んだことを指していると取るべきだろうか。それより前、暗殺者のことも知っているのか。
どこで見ていた? 誰が見ていた?
全くわからない。
ルルドは元の席へ戻り、一度、咳払いした。あまり威厳はなく、疲れ切ったような咳払いだ。
「今回はマーガレットさんにご迷惑をおかけして、申し訳ございません。全ては我々の手ぬかりです」
なんだって?
「ま、待ってください、ルルドさん。手ぬかりとはなんですか? 我々とは誰のことですか?」
問いかける私にきょとんとした顔になってから、合点したようにルルドが頷く。
「暗殺未遂の件です。あれは危険すぎました。反省しております」
「反省って……」
「暗殺を企むものを炙り出す目的でしたが、紙一重でした。マーガレットさんの働きには、感謝しております。報酬にも大きく上乗せいたします」
会話になっていない。チグハグだ。
私は言葉を続けようとするルルドの前に手のひらを向け、無理やり制止する。
「ルルドさん、私にはよくわからないのですが、あなたは誰なのですか?」
目の前にいる疲れた表情の中年男性が、ただの商人ではないのは自明だった。喋り方は覇気こそないが、高い身分うかがわせる。今は服装も商人体ではない。どちらかといえば、役人?
私が見据える前で、ルルドは頷く。
「失礼を重ねてしまいました。まず、私はルルドという名前ではありません。偽名です」
「偽名……」
「いくつかの理由から、あなたを探るために商人に化けていたのです。本当の名は、ホーフマンと言います」
ルルド、じゃなくて、ホーフマンは穏やかに笑っているが、私としては神経を刺激されるところだ。私を探る理由とやらをぜひ聞きたい。
目が怖いですよ、とホーフマンが口元を引きつらせ、空咳をした。
「えっと、マーガレットさんは刀鍛冶への繋ぎとして、その、一連の事態に巻き込むしかありませんでして……。あの、怒ってますか……?」
怒るも何も、混乱するばかりだ。
「あなたが襲われたのは、芝居?」
「私が襲われたのは、まさに芝居です。しかし今日の暗殺は本物です。実際の暗殺未遂です」
実際の暗殺?
「あなたたちはそれを見ていた? 安全な場所から?」
いつの間にか汗まみれになりながら、ホーフマンが弁明する。
「見ていました。でも、あなたの力量はわかっていましたし、いつでも助けられる算段はついていたのです。あの、その、マーガレットさん、その目つきはなんとかなりませんか……」
自分が今、どんな目つきをしているか、鏡で確認したい気持ちだった。
恐怖で相手の心臓が止まるような目つきをしているだろう。
「あまり知りたくはないのですが」
こちらから切り出した時、ホーフマンはハンカチでしきりに汗をぬぐっていた。手元が激しく震えている。怯え過ぎでは?
「セイルンという青年は、何者ですか? どのような立場ですか?」
ええ、それは、とホーフマンが居住まいを正し、今までで一番、威厳のある咳払いをして、胸を張った。
「あの方こそが、シシリアン大公です」
私はじっとホーフマンを見据え、視線を据え続けた。
自信たっぷりだったホーフマンが徐々に猫背になり、上目遣いに私を見て、またハンカチを動かし始めた。
「真実ですよ? マーガレットさん」
真実とは……また……。
「シシリアン公国を統べる大公が市井にお忍びでやってきて、暗殺者に狙われて、それを用心棒が救う? デタラメすぎませんか?」
「ええ、それは、十分に承知しております、はい、ええ……、すみません」
私はため息を吐くしかなかった。
シシリアン大公は遠くからしか見たことがない。顔の作りも見えないほど遠くから。声だって聞いたことがない。セイルンが本当にシシリアン大公かは、確認のしようがない。
「大胆なことをしましたね。暗殺されたら、一大事だったでしょう」
私の皮肉、嫌味に、「返す言葉もございません」とペコペコとホーフマンはしきりに頭を下げた。
「あなたはどういう立場なのですか? これは興味本位の質問ですが」
「私は、教育係というか、その、使いっ走りです」
大の大人が自分のことを使いっ走りと表現するのは、滑稽な感情より先に怪訝なものを抱かせる。卑下、自虐というよりは嘆きに近い表現のようだ。
苦労人らしいと見当をつけて、話を先へ進める私だった。
「それで、何故、大公殿下が自ら鍛冶屋になど行かれるのですか?」
「統一王陛下に、献上するためです」
そう言葉にしたホーフマンは、疲労を増して見えた。
「殿下が是非とも、名刀を献上したいと言い出しまして。公国の鍛冶職人組合に問い合わせたのですが、これというものに出会えませんで。それで、組合に属していない鍛冶屋に腕のいいものはいないか、と調べたのでございます。いくつかの候補があり、一人が黒霜という職人でした。ただ、いきなり出向いて、それで刀を打ってくれるようでもないという情報もありまして、では繋ぎが必要だと、愚考した次第です」
……どんどんホーフマンの腰が低くなっていくのは、私が悪いことをしているような気分にさせる。
「私は黒霜に話を通すのに最適で、ついでに用心棒として暗殺に対応できるから選ばれた?」
「誠に恐縮ですが、その通りでございます」
なんとも変な仕事になってしまったものだ。
少なくとも、用心棒の仕事ではない。
「どうしてそれを打ち明けたのですか?」
これを聞いて、あとは彼らに協力しよう、と思っていた。
ホーフマンが口を開いたとき、扉が軽く叩かれた。私とホーフマンが見ている前で「私だ、入るぞ」と声がして、返事より先に扉が開いた。
咄嗟に私は椅子を蹴倒して、左手に刀を手に立ち上がっていた。
部屋に入ってきたのは、私と切り結んだ例の剣士だった。
何故、ここに? どうやって紛れ込んだ?
彼は左手に剣を下げているが、もちろん、鞘に収まっている。
すぐに抜く気はないようだ。
「ああ、どうも」
声はホーフマンの口から出た。どこかホッとしたような調子である。
私の視線から逃れるようにしながら、ホーフマンが男を示す。
「彼はルーヴァインという方で、公国の剣術指南役です」
二重三重の驚きだったが、私は剣士の性で、微動だにせず、いつでも抜刀できる姿勢を維持した。
不機嫌そうな顔つきでルーヴァインという男が低い声を向ける。
「もう戦いは終わった。殺気立つな」
勝手なことを。
私が構えを解かない前で、ルーヴァインはホーフマンの隣の席に腰を下ろし、ホーフマンも坐り直す。
あまりにも二人が堂々としているので、私も馬鹿らしくなってしまった。
倒れていた椅子を引っ張り上げ、腰を下ろす。
どこまで話した、とルーヴァインが確認するのに、ホーフマンが応じている。
私は二人を観察した。分かったことは、二人ともが呆れている、ということだろうか。困惑し、慨嘆しているようである。
二人ともがセイルン、シシリアン大公に振り回されている、というところか。
二人の話が終わり、ルーヴァインが私を見た。
「確認したいのだが、殿下に仕える気はあるのかな」
飛躍しすぎている言葉だ。
それと……誰も仕えたいとは一言も、言っていない。
(続く)
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