第15話

       ◆


 夕日がシシリアン公国の公都を赤く染めていた。

 宿の前で「では」とセイルンが向き直った。

「今後のことですが」

「今後?」

 契約内容を思い出すが、今日だけの仕事だったはずだ。

 私の渋面に気づいた様子もなく、セイルンは言葉を続ける。

「三日後にまた、よろしくお願いします。その時には黒霜さんも戻っているでしょう」

「私がまた護衛をしろということですか?」

「嫌ですか?」

 嫌とは言えないのがこの仕事だ。だけど、正直、嫌だ。あの手強い四人組の暗殺者は退けることができたとは言え、際どい勝負だった。私の負傷も、死さえもこの稼業では黙認されるけど、セイルンが死んでしまうのでは本末転倒だ。

 用心棒とは対象を守ることが全てで、対象を守る自信がない、算段がつかない仕事を受けることは避けるのが鉄則の一つ。

 セイルンに、どう説明するべきだろう。

 私が答えられないでいる間に、彼は笑顔に変わっていた。

「迷惑はかけないつもりです。人気のないところに行かないようにもします」

 そういうものでもないんだけどなぁ……。

「応援を用意するかもしれませんけど」

 やっと私はそう答えた。一人では難しくても二、三人にフォローしてもらえれば、こなせなくはないだろう。その分、セイルンには料金が上乗せされる。もっとも私にはこの青年がそんな金銭の問題に否やを唱えるとは思えなかった。

 想像通り、セイルンは平然と頷いたものだ。

「お任せします。では、三日後に、そうだな、第二広場のグリフォン像の前で待ち合わせましょう。時刻は十時です」

 城で鳴らされる鐘の音で時刻を知る場合がほとんどだから、時刻を指定しても、大雑把なものだ。用心棒としては早めに現場に入り、安全を確認し、依頼人を待ち構える必要があるから時間指定はありがたい。

 十時というのはそれほど早くないし、人手のピークともずれている。

 こちらに配慮したのか、セイルンの気まぐれか、もっと別の理由かは、それはわからない。

「では三日後、十時に、グリフォン像で」

「よろしくお願いします」

 頭を下げ、会釈をするとセイルンは宿の中に入っていった。怪しまれない程度にそこに立ち尽くしてみたが、宿の中から声が漏れ聞こえるなんてことはなかった。セイルンを誰かが待っていたかは不明。

 誰かがいたとして、暗殺者に狙われたことを知らない、ということがあるか。

 私が念入りに監視を確認していたことを加味すると、セイルンの供のものという人物は、意図的に私たちを自由にさせていたのか、そうでなければ、私に悟られない程度に練度の高い監視者がいたのか。

 宿が静かなのは、状況の全てを把握していたからかもしれない。

 何にせよ、セイルンというのは不思議な人物だった。

 一つ息を吐いて、私はその場を離れた。病院へ行ったほうがいいだろうか、と思いながら首筋に触れる。傷は浅く、もう血は止まっているようだ。

 しかし脇腹からの出血はかなり激しかった。少し体が重いかもしれない。

 さっさと帰って、たっぷり食べて、早く寝よう。

 雑踏に紛れながらそう思った時、不意に目の前に男性が立ち止まっているのが目に入った。行き交う人たちは不思議そうな視線を向けたり、苛立った眼差しで男を見据え、避けていく。

 その人物はまっすぐに私を見ていた。

 上背がある。着ている服は目立たないものだが、どことなく上等に見える。

 腰に剣がある。

 私は彼の視線を受け止めたまま進み、ある一点で動けなくなった。

 強烈な気が足を止めさせる。

 これ以上、踏み込むことを私の本能が拒絶している。

 切られる。そう思った。

「奇妙な剣を使う」

 男がそう言った声は、大きくも小さくもなかった。雑踏の中でかき消されつつ、私には届く、絶妙な声量だった。

「どなたか存じ上げませんが」

 私は言いながら、自分の舌がうまく回らないのに気づいた。

 緊張している? 怯えている?

 ただの気を当てられただけで?

 不意に男性が懐から何かを取り出した。

 短剣だった。鞘に収まっている。

 見覚えがあった。

 当たり前だ。ついさっき、私とセイルンを襲った暗殺者が持っていた短剣だ。

 襲われた時、不思議に思った部分があった。それは四人ともが同じ短剣を用意していたことだ。両刃で、やや幅が広い。あまり見ない形の短剣で揃えられているのが不自然に思えたのだ。

 短剣がどんな短剣だろうと、当たらなければ意味がない。だからあの時は意識から外した。しかし目の前の男がそれを持っているとなると、揃いの剣にも意味があったのだ。

 組織として動いていることになる。

 暗殺者組合とも思えない。暗殺者組合は用心棒事務所に近いと聞いている。一匹狼の、単独行動で仕事をこなすものがほとんどだという。四人が同じ装備を持つという統一感とは、どこか相容れない。

 では、どこの組織だ?

「腕を試させてもらおう」

 男が石畳に短剣を落とす。

 反射的にそれを視線で追いそうになる。

 焦点がずれそうになる視界の中で、男の右手が腰の剣の柄にもう触れている。

 居合が来る。

 こちらは刀を抜く間はない。

 それでも左手で刀をつかみ、引き上げつつ、右手は柄を取った。

 男の踏み込み。

 懐に飛び込まれる。いや、斬撃に適した、絶妙な間合いだ。

 私には距離をとる余地はない。

 銀光が爆ぜる。

 甲高い音と同時に、衝撃。

 私は刀をわずかに抜いて、それで男の居合を受け止めていた。

 足が滑り、勢いと衝撃を利用して跳ねて間合いを確保する。

 通行人が二人に気づき、悲鳴を上げて逃げ出すものと、興味本意で私たちを遠巻きにするものに分かれていく。

 男が構え直し、平板な声で言った。

「お前の腕次第で、全てを明かす。本気で来い」

 答える言葉が出ない。

 震えそうになるのを、ぐっと奥歯を噛んで堪える。

 ゆっくりと刀を完全に鞘から抜き、構えた。

 強敵だ。それも今までに会った誰よりも強いかもしれない。

 道場ではアキヅキ師と常に真剣を向け合っている。しかしどこかに、アキヅキ師は私を殺さないというような前提が生じていた。私もアキヅキ師を殺そうとは思わない。

 しかし今、相対している男は、間違いなく私を殺しに来る。

 呼吸が細くなり、足が無意識に最適な位置に変わる。

 感覚が研ぎ澄まされ、音が遠くなる。逆に視野は広がり、色を失っていく。

 自分の体の感覚が曖昧になる。

 それなのに、まるで皮膚が焼けるような、かすかな痺れは止まらない。

 男が剣の構えを変えていく。

 私は動かなかった。

 切られるか、切られないか、その狭間にしか私の勝機はないのだ。

 体が冷えていく。

 もう、震えはない。



(続く)

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