第13話

       ◆


 速い。

 実に速い。

 抜いた刀で一人の短剣を弾き返した時には、三人はほとんど懐へ入ろうとしている。

 刀よりも短剣の間合い。

 なら刀の間合いを作るのみ。

 足をさばいて後退し、短剣の一つを跳ね返す。

 相手がさらに踏み込むところへ、今度は逆に私が踏み込み、横をすり抜ける。短剣の切っ先が耳を掠めて背筋が凍る音が間近に聞こえる。

 四人目がセイルンにかなり近かったが、セイルンを仕留めるより先に自分が切られるのを機敏に察して目標を変更、私へ横薙ぎに短剣を叩きつける。

 刀を立てて受け、そこに「縫い付け」る。

 男の目が見開かれる。

 彼は短剣が私の刀に触れたまま、押すことも引くこともできなくなったと錯覚したはずだ。

 力加減で刀と短剣の圧力を均衡させているのだ。

 私の意志で短剣を横へ流し、蹴りつけて仕切り直し。相手は自ら跳んで蹴りの衝撃を消している。骨も内臓も傷ついていない。

 こうして瞬く間に四人と一人の応酬があり、私は背後にセイルンをかばって、四人と対峙することになった。前後から挟まれる危険はなくても脱出は難しい。

 会話する余地は、なさそうだ。

 相手の正体が非常に気になるが、今は思考の邪魔。

 視線が自然と動き出す。

 四人の構え、目の配り、全てを観察する眼球がチリチリと痛む。

 見えなければ、それまでだ。

 真ん中の二人が同時に出てきた。

 短剣の片方を弾いたところで、もう一人の手元で閃いた刃が突き込まれてくる。

 問題はそこではない。

 左右から時間差でもう二人、迫っている。

 中央の二人の相手をしていては、護衛対象を守れないと判断。

 後ろに倒れ込むようにして、まず右手外側にいる一人へ。

 胸元を短剣が掠めて痛みが走る。当然、無視。軽傷だ。

 中央の二人を止める必要がある。足が跳ね、私の胸を掠めた短剣を蹴りつける。短剣がもぎ取られてすっ飛ぶ。

 視界の端にそれを見送った時には、右外の一人が私に目標を変え、短剣を振りかざしている。

 私の選択は最も早い振り。

 体を回転させる動きで加速。

 刀が旋回し、刹那で短剣を握る手首を急襲。

 相手は反応が遅れた。

 切っ先に手応えを感じ、休む間もなく強く石畳を蹴る。

 反対側、左外の一人が全くの自由になっている。

 この時ばかりは時間の勝負だった。

 鋭い踏み込みからの刺突には、中央の二人をまず止める意図。

 実際、二人は目の前を刀が走ることで、後退した。牽制としては十分だ。

 ただまだ、左外までは届いていない。

 もう一歩の踏み込みが、間に合わない。

 しかし、都合がいいとはこのことだろう。

 頭上からそれが降ってくる。

 視認から行動するまで瞬き一つの間もない。

 掴み、投擲。

 湿った音と、短い悲鳴。

 さっと四人ともが再び距離をとり、私は中央でやはりセイルンを背後にかばった。

 右外の一人は短剣を取り落とし、右手首を押さえている。私が浅く断ち切った場所。

 左外の一人は右肩に深々と刺さった短剣を引き抜いた。血が噴き出す。

 投げ捨てられた短剣の持ち主は、中央の二人の片方。やはり右手首が押さえている。蹴った感触では骨が砕けたはず。

 中央の一人だけがまだ無事だったが、もう余裕は消えている。

 私には、少しずつ彼らの動きが見えてきたところだ。

 負った傷は胸元に一筋だけ。

 唯一無事な相手が、他の三人に目配せすると、足元に落ちている短剣を蹴り上げ、手に取った。

 両手に短剣を持ったその男の背後に他の三人が下がる。

 二刀流か。

 今度は相手もこちらに合わせはしなかった。

 力強く、大胆な踏み込み。

 刀と短剣が衝突。

 風切音。

 半身になったが、首元を刃が走る。

 一瞬の冷気。

 致死の斬撃の気配。

 こちらからも踏み込み、短剣を絡め取ろうとする。

 相手は片手の刃を即座に逆手に持ち替え、打ち下ろしてくる。

 私の手が柄を離れ、死の落雷と化す短剣、それを持つ手首を受け止めて、強制停止。

 刀を相手の短剣が滑って私の手元へ走る。

 私はもう一方の手も刀から離した。手が寸前まであった空間を短剣が疾走。

 宙に浮いた形の刀を逆手で握り、足元へ突き込んでやる。

 膝を刃が掠めた相手が離れようとするが、彼の片方の手首はまだ私が掴んでいる。

 が、それは離さざるをえなかった。

 他の三人が動く気配がしたからだ。

 手首を解放し、私は逆手のままの刀を振るって牽制。距離を取らせる。

 相手も無理に押し込もうとはしない。

 改めて、間合いが出来上がる。

 私は胸元が湿っているのに気付いた。首からの出血だろう。危なかった。あとほんの少しでも深ければ、重要な血管を切られて死んでいてもおかしくない。

 相手の三人は構えこそ取っているが、両手に短剣を持つ一人を援護する構え。

 二刀流の男は、左膝から下が赤く染まっている。動きが鈍っているようではないが、制約にはなるか。

 制約はあまりよろしくない。決着を催促しているようなものだ。

 戦いにおいて重要なのは、余地を用意することだ。

 勝てない、と思わせることで撤退させる。

 だから、勝てなくとも戦うしかない、と思わせることは失敗だ。

 目の前にいる男は表情一つ変えないが、切羽詰まっているのは間違いない。

 もし何が何でもセイルンを切ると決めているのであれば、一人か二人を私と道連れにしてでも押してくるだろう。その判断材料を私が作ってしまっているのは、失態の中の失態だ。

 圧倒的に強ければ、こんなことは起こりえない。

 自分の力不足を悔いるのは、生き残ってからにしよう。

 じりっと相手が足の位置を変える。

 私は動く余地はない。セイルンを守らなければならない。

 私が死ぬとすれば、四人の最後の一人を倒してからになる。

 それが用心棒の鉄則だ。

 護衛対象より先に死んではならない、という矛盾。

 刀の構えを変える。

 相手は左手側へ移動しており、他の三人とは距離ができた。負傷者とはいえ、その三人も相応に使う。連携されれば、あっという間に潰される。

 ここまで一人きりでなんとか優位に状況を進めても、不利なのは変わっていない。

 人気がないのも問題だった。通行人がいないでもないが、気づくと逃げ去ってしまう。公都には警察組織があるが、通報が入ったとして、即座に対応するとしても状況の決定に間に合うことはないだろう。

 四人で私とセイルンを消す方が、警官が招集され、駈けつけるよりはるかに短い時間で済む。

 事ここに至っても、私は自分が死ぬとは思わなかった。

 恐怖に囚われている場合ではない。

 今、私の剣術が試されている。

 全身の傷跡の真価が、実戦の場、生死の瀬戸際で試されている。

 何かが飛んだ。

 視界の隅。

 三人のいる方。

 反射的に刀が動き、弾く。

 飛刀。

 二本だ。

 一本は弾いたが、一本が肘の辺りを掠める。

 痛みはない。

 動きを確認する間もなく、二刀流の一人が突っ込んでくる。

 刀は滑らかに動いた。

 短剣の一つを受け流し、刃が光を反射して翻る。

 もう一本の短剣は、考えないことにした。

 男が驚愕の顔つきになるのが間近に見えた。

 そこまで至っても声を漏らさないとは、立派。

 手元に確かな感触。

 男が背中から倒れ込むようにして逃れる。

 私はそれに止めを刺そうとし、甲高い笛の音を聞いた。

 均衡が崩れる。

 四人が脱兎のごとく逃げ出し、通りへ警官隊のものだろう、複数の足音が近づいてくる。笛を吹いた先行の警官が二人、通りの方に見えた。

「こっちへ!」

 急な声と同時に腕を引かれる。引いているのはセイルンだった。

 私はまだぼんやりしていた。ぼんやりしたまま、護衛対象に引っ張られて現場を離れた。警官の声が遠くでするが、それさえもあやふやだ。

 路地へ飛び込み、通りへ出ると通行人が驚いた顔をする。それもそうか、私は血まみれだ。また路地へ滑り込み、公都に知悉している私でもすぐには自分がどこにいるか分からない。そのうちに通りへ出ることで、把握はできるようになった。

 路地の一つでやっとセイルンが足を止め、大きく息を吐く。その時もまだ彼の手は私の右手首を握っていた。

 右手には、抜き身の刀がある。全く失念していた。

「ああ、すみません」

 セイルンが慌てた様子で私の手首を放す。私の手首には彼の手の形で痣ができていた。

 ゆっくりと刀を鞘に戻す。

「大丈夫ですか? マーガレットさん?」

「ええ、大丈夫です」

 そう答えてから、やっと自分の状態を確認する気になった。

 胸元と首筋に傷があり、血が流れている。飛刀が掠めた肘にはほんの小さな切り傷。

 脇腹に触れると、着物がじっとりと湿っている。

 最後の場面、暗殺者の片方の刃を無視した時の傷だ。

 致命傷になるかは、五分五分だった。もしあの男が自分が負傷することを恐れずに短剣をさらに突き出せば、私も重傷を負っただろう。当然、その時は彼も重傷を負う。

 際どい賭けだったが、形の上では私の勝ちだ。

「大丈夫ではなさそうですね」

 脇腹を押さえる手がみるみる赤く染まるからだろう、セイルンが低い声で言う。

「治療しましょう」

「治療?」

 いいから、とセイルンが私の脇腹に手を添える。

 私は言葉を続けようとしたが、黙ることにした。

 かすかな熱が、彼の手から伝わってきたからだ。

 それは、優しい温もりだった。

 セイルンの手も私の血で汚れていくが、彼はいつにない真剣な眼差しでそれを見ていた。

 私はそんな彼を、ただ見ていた。

 痛みが頭の奥を刺激する。

 その痛みの感覚は、まるで鼓動のように弱くなり、強くなり、弱くなりを繰り返した。

 路地に踏み込んでくる人はおらず、喧騒からも遠く、静かだった。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る