第10話
◆
私の言葉を、セイルンは黙って待っていた。
「剣術を学ぼうと思ったことはないんです」
言葉を口にしないことで、セイルンは疑問を示した。
「私の両親は小作人です。小作人が十人ほど寄り添って暮らす小さな集落の出身です」
セイルンが口を挟まないのは、私の話があまりにも不自然だからだろう。自分の身の上を他人に話す時、私自身も荒唐無稽な話をしているように思うものだ。
「十歳になる前に、口減らしの為に売られることになりました。兄が一人いて、つまり、働き手になる方を残したわけです。私を買ったのは小さな商家でした。そこで半年ほど下女として働きましたが、問題を起こして、全てが変わりました」
「問題?」
「下男の一人を、棒切れで打ち倒してしまったんです。死にはしませんでしたし、気を失っただけで、後はなんともなかったそうです。それでも私は商家を放り出されました。ただ、商家の前の主人で、隠居していた老人が私にシルバー道場の存在を耳打ちしてくれました」
やっぱりセイルンは口を閉じていた。私の話に飲まれている雰囲気だ。
「シルバー道場の存在は、その時に初めて知りましたし、どういう場所かは見当がつきませんでした。剣術道場だとは言われましたが、そこでも下女になるのだろうと思っていました。でも、道場主の老人は、私を下女にはしなかった。初対面の私を道場の真ん中に立たせて、竹刀で徹底的に打ち据えたんです」
「え? どういうことですか?」
「商家のご隠居が、剣術の素質がある娘だと先に通報したんでしょう。で、老人は倒れこんだ私を前に、悪くない、と言ったのです。そうして老人が私の師匠になり、私は師匠から全てを教わりました。剣術はもちろん、学問も、日常のあれこれもです」
わからないなぁ、とセイルンが呟くのが、私には可笑しい。
「私にもわかりませんね。偶然に偶然が重なって、今があるのです。小作人のまま日々を過ごし、結婚し、子を作り、老いていったかもしれない。下女として日々を送り、やはり結婚し、子を産み、育て、やはり老婆になっていたかもしれない。それが、口減らしと暴力という要素だけで、まったく変わってしまったのです」
「不思議なものですねぇ」
セイルンは心底から感心しているようだ。ちょっとした物語になるような経験ではあるけど、事実、物語のような現実だった。
一つでもどこかが食い違えば、今がないのはまさに不思議だ。
私たちは通りの一つを歩いていた。公都は中心部こそ古い時代からあるが、発展したのは最近のことだ。その新しい地区は区画が計算されて作られているため、格子のように通りが配置されている。
私は確認してみる気になった。私が自分の身の上話をした後なら、セイルンも素直に答えるかもしれない。
「セイルンさんは、普段は何をされているのですか? お仕事は?」
うん、とセイルンが何でもないように頷く。
「僕は自由人だから、これといって定職はない」
定職はない?
視線をチラッと向けると、こちらに笑みを向ける弛緩した顔とバッチリぶつかってしまった。さりげなく逸らすけど、誤魔化しようがない。
「遊び人と言ってもいいかな。あまり羽振りよくもできないけど、生活に困ったことはないね。苦労人のマーガレットさんには嫌悪されそうだけど」
そんなことはありません、と言葉を返したけど、セイルンにどう響いただろうか。
彼は軽い歩調で進む。気負いもなく、いっそ爽やかな歩みだった。
「そのような立場で、どうして刀が必要なのですか?」
「うーん、言わないとダメですか?」
理由はあるが、おいそれとは言えない、となるとどういうことだろうか。
言わないとダメか、と言葉にして、遠慮することを求めている、ということはある。
「お話しできないのなら、聞きません」
くすくすとセイルンが笑い出した。
「そういうところ、いかにも用心棒らしいですね。知りすぎて身を危うくすることを避ける、ということを実践しているんですね」
「刀を用意する理由を知ることが、知りすぎることですか?」
おっと、とセイルンが笑い混じりに声を漏らす。
「口が滑りました。忘れてください」
そうします、と私もこの時ばかりは笑っていた。
穏やかで、柔らかい気性の人物だった。最初に私が焦らしたこともすっかり忘れているようで、それが度量の広さ、人間性の豊かさかもしれなかった。彼を試した自分が恥ずかしい気もする。
しかし、刀が必要な理由とは何なのだろう。贈答目的、というところだとすれば、容易に口にしないのは、贈る相手のことを考慮しているのか。そこまでではなく、単純にセイルン自身の立場を私に教えたくないだけか。
こういうことを気にしても仕方がない。知っても仕方がないこと、知るべきではないことは、明確に存在するのだ。この仕事ではその辺りの加減、見極めも重要になる。
こちらです、と私は脇道を示した。すでに公都の外れの方に来ている。建物は新しいが、ほととんどが平屋の長屋である。街の急速な発展に伴って移住した人、拠点を移した人の住まいがここである。商売を営むものでも、公都の中央では店舗を借りているだけで、生活は長屋で送るというものもいる。
セイルンは周囲の光景をのんびりと眺めながら、私のすぐ後ろをついてくる。
尾行はないようだ。私の仕事は屋台への案内やお話を語って聞かせることではなく用心棒で、セイルンも私を雇う以上、何らかの危険や困難を想定しているはずだった。話に夢中になるのでは、本末転倒だ。
先へ進みながら、もう一度、周囲に気を配る。
怪しい気配は、ない。
それでも私は集中を維持したまま、足を進めた。
仕事をしているのだ。それを忘れてはいけない。
(続く)
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