第7話
◆
平凡な日々。
稽古と、用心棒仕事、また稽古という単調な日々。
建国祭が近づいて、シシリアン公国の中心である公都でも街がきらびやかになってきた。建国祭の前後は用心棒でありながら傭兵組合に駆り出されての警備の仕事があるので、ありがたいとはいえばありがたい。
私の住まいはアキヅキ師の厚意でちょっとした借り賃で間借りだし、門人への稽古を条件に食事もそれなりのものを出してもらえているから、銀はそこまで必要ではない。必要ではないけれど、いらないわけではない。
というわけで、久しぶりに大きな稼ぎになることを意識しながら、その朝も数少ない門人に稽古をつけていた。
真剣を抜いているのはお互い様だけど、私は受けに徹していた。
門人の名前はウダと言って、商人の三男坊だ。剣術の素質はあまりない。ただ瞬間的に大胆な、息を呑むような技を繰り出す。
傷を受けてでも相手の筋を精密に観測すること、そこから技が始まるのがシルバー流の真骨頂だ。その前に基本の型はいくつもある。ただ、その型にこだわるようでは、それは技ではなく、術でもなく、ただの演技になる。
ウダが繰り出す私を驚かせる技は、彼の本能的なもの、個性なんだろう。
そんな素質は、あるいはシルバー流には好都合かもしれなかったけど、他の部分の水準が上がらなければ、敵に一撃で斬り伏せられ、それで終わりになってしまう。
というわけで、私はウダをどう教育するべきか、試行錯誤しながら剣を向けていた。
彼の攻撃を回避し、受け流す中で、どこから崩せるか、どう崩せるかを想像させる。言葉や反復では意味がない。剣術を高めたものほど、全く同じ筋の技を使うことなどありえない。
剣術が最も嫌うのは予想だ。シルバー流が相手の技を即座に分析、解析することに特化するのは、その予想を、戦いの最中に精密、正確に行うことで勝利する、という理屈になる。
私はウダが同じ筋を攻めようとした時だけ、さっと切っ先を差し込む。大抵は腕か脇で、稽古着だけを着るように加減している。
ウダも恐怖のためにパッと距離を取るのだけど、反応は鈍い。稽古着は切れてしまう。場合によっては血が滲むこともある。
そんなことを繰り返して、ほどほどにウダの息が上がったところで稽古は終わりになった。
「あなたもなかなか、芽が出ないね」
汗を袖で拭っている私の言葉に、肩で息をしいるウダが「そんな言い方、ないっすよ」と笑っている。
「誰もが天才になれるわけではありませんから」
「天才だって生きているんだから、斬られれば死ぬでしょう」
「斬られないのが天才です」
なら私はアキヅキ師に散々に斬られているのだから、天才ではないだろう。アキヅキ師こそ、天才というべきだ。
そんな冗談をウダに返そうとした時、道場の表の引き戸が開いた。二人の視線の先には少年と言ってもいい若者が立っている。用心棒事務所で働く小間使だとわかった。
彼が私に一礼する。
「マーガレットさん、お仕事です」
うん、と頷いてゆっくりと近づくと、彼はちょっと困惑したように目を瞬かせた。
「あの、マーガレットさん、お急ぎください」
「どんな人?」
「え……、ご、ご依頼の方ですか?」
「そう」
少年は恐縮したようだったが、言葉を飲み込むほどヤワではない。
「あの、若い男性の方です」
「若い? 何歳?」
「二十歳くらいかと」
「公都の住民? それとも他所の人?」
「うかがってはいませんが、雰囲気からして、公都の方ではないかと」
「商人? 貴族?」
「どちらとも言えません、あの、マーガレットさん、ご依頼の方を事務所で待たせているので、お早く、用意を」
「わかっている」
ちょっと考えてから、人の悪い顔を作って見せた。
「できるだけ早く支度をしていくから、あなたはその旨を伝えに戻りなさい」
はい、と小間使は安心したように頷き、改めて深く一礼する。閉める動作さえも小間使らしく、丁寧で、品があった。
「お仕事ですか」
道場に残っていたウダがそう声をかけてくるのに、「ちょっと付き合いなさい」と私は言ってみた。これにはウダが仰天したようだ。
「俺を用心棒の仕事についてこいってことですか。いや、確かに俺は用心棒っていう生き方に憧れていますけど、まだ実際には」
「違う、稽古に付き合えということ」
私の補足に、目を白黒させてからウダは「はあ」と頷いた。それにしても、用心棒に憧れていたのか。知らなかった。趣味で剣術をやっているんだとばかり思っていた。
道場の中央へ戻り、「刀を抜いて、構えるだけでいい」と指示する。
「あの」
ウダが上目遣いになる。
「依頼人が待っているってさっきの少年が言っていたのは、俺の勘違いですかね」
「いや、そう言っていた」
「稽古は一段落していますし、仕事を優先するべきではないですか?」
「やり方がいろいろあるのよ。ほら、剣を抜きなさい」
ため息を吐いてから、ウダが腰の剣を抜く。
私もゆっくりと愛刀を鞘から一息に抜いた。
ウダが基礎の基礎、正眼の構えで私の前にいる。
私は上段の構えで、呼吸を整えた。
心気が太氣と混ざり合い、剣気へと変ずる。
目を閉じると、見えない暴風が吹き荒れ、その風の輪郭によって全てが把握できるような気がした。
私は立ち位置を変えずに、一息に刀を振り下ろした。
短くウダが悲鳴をあげ、尻餅をつくのが見えた。私は瞼を上げていた。
ウダの前に彼の剣が落ちている。その刃の一部が大きく欠けていた。
真っ青、というか、土気色の顔になったウダが、恐る恐る剣を手に取り、まじまじと確認する。
私の刀は彼の剣には直接は触れていない。
剣気がわずかに触れただけだ。
「今日は終わり」
私が声をかけると、怯えきった顔でウダが頷き、立ち上がる。剣も腰の鞘に戻した。
普段は口の軽いウダもさすがにいそいそと身支度を整え、道場を飛び出していった。
一人になった私が自分の刀の状態を見ているところへ、アキヅキ師がやってきた。
「大層な剣気だったな」
彼はその場にいなくても感じるくらいのことはする。
「確認です。彼には悪いことをしました」
私の言葉にアキヅキ師が短く笑い声をあげる。
「いきなり死ぬよりも、死ぬ気持ちを知っている方が救いになることもあろう」
そうでしょう、とも、そうでしょうか、とも言えなかった。
「仕事の依頼が入ったので、行ってきます」
そう告げると、アキヅキ師は「好きにせよ」と応じただけだった。
(続く)
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