第4話

      ◆


 そちらで、と私は切り出した。

「状況は把握しているのよね?」

「いいや」

 簡潔な言葉には、ちゃんと続きがあった。

「しかし、利用者の背景は知っている。それが何を意味するのかは知らなくてもな」

 管理された状況での襲撃、ということは、用心棒事務所も欺かれたのか、それとも管理の範囲内に襲撃があったのか。そこまではセンジョウジキも私には教えないだろう。

 そう怖い顔をするな、とセンジョウジキが頬を緩める。

「お前に無理なことをさせる気はない。お前に限らず、用心棒をやっている奴は貴重だ。それも相当の使い手となればな」

「お世辞で誤魔化そう、っていう作戦かしらね」

「いいや、俺の本音だよ。お前ほどの使い手は得難い。というか、お前は何で用心棒をやっているんだ? まだ剣術学院の件を根に持っているのか?」

 思わず黙り込んでしまう私に、センジョウジキは苦笑いしている。

 このフォンルン統一王国の王都に存在する、王立剣術学院。

 魔法使いが学ぶ王立魔法学院、そしてありとあらゆる学問の中心である王立大学、その二つと肩を並べる、統一王国の最高位の教育機関。

 私は十六歳で王立剣術学院の入学試験を受けた。予備選考と呼ばれる各地の試験を突破し、王都における一次選考、二次選考を辛くも抜くことができた時、残されたのは実技の試験だけだった。

 王立大学で学ぶ女性は一定数存在し、それは上流階級の血筋の者である。王立魔法学院でも魔法使いの素質を持つ女性の学生がある程度、いる。

 しかし王立剣術学院は、女子生徒の数が極端に少なかった。

 私がこの学校の試験を受けると打ち明けた相手の九割九分が、合格は不可能、と笑っていた。真剣に、別の道を選びなさい、無謀だから、と諭すものさえいた。

 そんな全てを実技試験さえクリアすれば見返すことができることに、私は緊張とやる気を感じていた。試験会場の剣術学院の稽古場に踏み込んだ時、気負いは自然と消えた。

 ここには敵しかいない、と思えたのだ。

 真剣を使う試験ではなく、竹刀を使うのはがっかりだったが、もちろん、それで何が変わるわけでもない。

 実技試験は五人と対戦し、その結果や試合の内容で合否が判定される。受験生は若いものが大半だが、それぞれが一流の腕を持っている。中には明らかに荒事に慣れている風貌のものさえいるほどだ。

 ともかく試験になり、私は相手を圧倒して五人抜きした。負け無しである。

 合格した、と確信した。

 試験が終わり、少しの待機時間の後、稽古場の壁に合格者の名前が一覧となって張り出された。そこにはこの年の合格者、三十五名の名前があり、私の名前は、なかった。

 見間違えかと思ったが、本当に名前はなかった。

 その日、自分がどうやって宿へ戻ったかは記憶にないが、気づくと王都の宿の一室で布団に寝転がって天井を見ていた。

 私はシシリアン公国へ戻る道中、自分の中にある怒りと憎しみ、攻撃衝動、破壊衝動を抑えるのに苦労した。

 五人抜きでも合格にならない。何故か。強すぎたのか。それともそもそも女を入学させる気がなかったか。あるいは血筋なのか。

 剣術学院は実力至上主義だと思っていた私は、ある時、ふと気づいた。

 学校は社会の中の一部に過ぎず、社会というものには動かしがたい上下がある。それは階級かもしれないし、血筋かもしれないが、とにかく、この社会は層をなしている。

 私は自分が立つ層を考えず、力だけで不相応な高い層へ上がろうとした。

 だから弾かれた。

 まさに分不相応だと、試験の結果という形で示されたのだ。

 公都に戻って、私は親代わりの老人に結果を報告し、その老人は鼻で笑っただけだった。

 すぐさまに私は、用心棒の仕事をする、とその老人に言葉をぶつけた。老人はちょっとだけ真面目な顔になり、「自暴自棄でやるものではない」と低い声で応じた後、「好きにせよ」と付け加えた。

 私が用心棒をしているのは、自分の剣の腕を示したいから、という単純なものでもないらしいと、最近は思う。

 私が用心棒をしているのは、この国に明確に存在する階級への反発なんだろう。

 上にいるお偉い連中を、下にいる取るに足らない私が守ってやるのは、恩を売っているのでもなければ、媚びているのでもなく、もっと下品に、見下そうとしているのに過ぎない。

 私がいなければ死んでいるぞ、と。

「マーガレット」

 センジョウジキの言葉で私は思考のうちから現実に戻った。

「お前の仕事には満足しているよ。今回の件に限らず、よく考え、学ぼうとする。しかし深入りしないほうがいい沼もあるということも覚えておけ。信用できない奴もいれば、騙そうとする奴もいる。利用しようとする奴も、生け贄にしようとする奴もな」

 生け贄、という表現に思わず笑ってしまった。

 ルルドのあの様子では、生け贄らしい生け贄は私ではなく彼だっただろう。

 もっとも、もっと上に立っている誰かから俯瞰すれば、私とルルド、二人ともが生け贄の可能性もあり、もしかしたら暗殺者さえもが生け贄だった場合もあり得る。

 こういうことを考えるのが、センジョウジキに釘を刺される私の性質なんだろう。

「深入りしないでおきましょう。それでいいでわよね?」

「オーケー、マーガレット。この件のことはもう忘れるといい。仕事は成功し、もう終わった」

「仕事は成功し、もう終わった。オーケー」

 よし、とセンジョウジキが頷き、カウンターを離れると奥の金庫から銀の粒の入った袋を持ってきた。そこへ事務員の一人が呼吸を測っていたように書類を差し出す。

 私は書類にサインして、報酬を受け取った。受け取った二つの銀の粒で、おおよそ十日は生活できる。

「次の仕事は早めがいいだろう? それとも少し時間をおくか?」

 そう確認され、即座に答えていた。

「できるだけ早めで。こんな収入じゃ心許ないから」

「お前のところの爺さんは、やっぱりまだ門人を取らないのか?」

「門人は取ってるし、今もいるんだってば。ただ寄り付かないだけです」

「ちゃんと金は貰っているのだろう? 月謝というか」

「うちは日払いでね。来ない奴からは収入無し」

 これは私の中では結構いいジョークのつもりだけど、センジョウジキにはあまり受けなかった。

 私は用心棒事務所を後にして、住まいへ戻ろうとして、ふと気になって足の向きを変えた。遠回りして通りを進み、何度か交差点を折れていくうちに見覚えのある通りへ出る。そこからさりげなく路地に滑り込んだ。

 他でもない、ルルドが襲われた路地だ。

 人気はまるでない。静かで、空気が冷たい。湿気がこもっている。

 ゆっくりと進みながら、路地の様子に注意した。

 私が叩き切った短剣の先が落ちているのではないか、と思ったのだ。あの時、暗殺者が回収する動きはしなかった。私もそれに関わっている余裕がなかった。

 路地には折れた刃など落ちていない。

 誰かが回収した、か。暗殺者の仲間がいたのだろうか。それともあの暗殺者自身が現場に戻った?

 どこかの無関係な人間が、何らかの意図で拾った可能性もある。例えば、ゴミを拾うみたいに。いや、それは、たぶんないか。

 結局、私は自然と路地を抜け、今度こそ住まいに向かって歩き出した。

 さすがに空腹を感じたので、頭の中で帰り道にある屋台の場所を確認した。今は銀も充分にある、少しくらい多く使ってもいいだろう。こうなると、ほんの短い時間の拘束と、わずかな働きで楽に稼げたな、と思ったりもする。

 用心棒の仕事の浮き沈みからすると、どうやら今は浮いている形のようだ。

 こんな仕事ばかりならいいのだけど。

 そう思って歩いていると、豚の肉を焼く香ばしい匂いが通りの向こうから漂ってきた。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る