第3話

       ◆


 シシリアン公国の公都は「石の都」、「石都」などとも呼ばれる。

 それはほとんど全ての道が石畳になっているからだ。継ぎ目は直線で隙間なく石が並んで、一つの文様となっている。

 その石畳を踏んで、私は中心部に比較的近い建物の一つにたどり着いた。

 扉を押し開けて中に入ると、扉に取り付けられているベルが鳴る。

 室内は人気は少なく、まず三人の事務員が机に向かって仕事をしているのが目に入る。女性ばかり三人。

 彼らの領域と、扉に近い範囲を仕切るようにカウンターがある。カウンターのこちら側には待合のための椅子やテーブルが設置されている。ただ人がいることは少ない。

 カウンターに歩み寄ると、仕事中の女性の向こうでぬっと動き出した影ががある。

 かなりの巨体で、私から見ても頭の位置は見上げるほど高い。彼は片足を引きずるようにしていて、片腕の振りはぎこちない。この人物がシシリアン公国の公都用心棒事務所の上級管理者だった。責任者ということだ。

 禿頭を光らせながら、人懐っこい笑みを浮かべた彼、センジョウジキがカウンターに寄りかかる。

「仕事が終わったにしちゃ、えらい早いな、マーガレット。その様子だと揉め事か?」

「そんなところかな。でも仕事はこなしたから、ご心配なく。護衛対象は契約してあった場所へ送り届けた」

「お前が依頼主を殺して、どこかに捨てて、俺たちから金をかすめ取る、とは思っちゃいないが、仕事が終わったことを証明する書類はどうした」

 用心棒事務所はその仕事の完了を証明する書類を、依頼主からの署名入りで用意するようにとここのところ方針を転換しつつある。これまではザルのような仕事だったのだ。それでも問題はなかったのだけど。

 私はちょっと声をひそめた。

「ちょっと状況が混乱して、書類を作ってもらう余裕がなかったの」

「状況が混乱、というところをぜひ聞きたいね」

 私はぐっとカウンターにさらに身を乗り出した。センジョウジキもわずかこちらに耳を近づけた。

「暗殺者に狙われた」

「どこで?」

「市街の路地」

 私は記憶をたどって、おおよその場所を連絡した。私には把握できなくても上級管理者であるセンジョウジキには、傭兵組合や、他の組合の動向の情報も入ってくるらしいから、すぐとは言わなくても、いずれ、私の通報は役立つだろう。私とルルドを襲撃した誰かの存在に気付けるかもしれないし、気づければ今後の仕事に活かせる。

 センジョウジキは頭の中の地図を検証したか、しばらく無言になり、途端に相好を崩した。

「殺さなかったのは上出来だったかもな」

「ほとんど偶然だけどね。片方を切るのはできたとしても、もう一方も切れたかはわからない。私が切られていたかもしれない」

「お前が切られるのは大問題だが、相手が死んでしまうとその仲間も引っ込みがつかなくなるだろう。お前を恨むこともあり得る」

 恨みなんて、と思わず笑ってしまった。

 用心棒を始めてしばらく経つけれど、恨まれたことは一度や二度ではない。荷を奪われたのはお前のせいだ、という軽いものから始まり、お前のせいで家族が死んだ、という重大なものもあった。

 私にできたのは、頭を下げることしかない。

 死んだ人間は決して蘇らない。失われた命は戻ってこない。

 いくら金を積んでも、権力に訴えても、神に祈っても、そればっかりはどうしようもないのだ。

 私自身の命が狙われることもあった。意趣返し、ということになるのか、敵討ち、ということになるかはそれぞれだ。ともかく、私は誰かの何かをめちゃくちゃにして、誰かにめちゃくちゃにしてやりたいと思われている。

 心が弾むわけもないが、仕事だ。

「それで、マーガレット、それだけのことでここへ来たのか? 昼飯は食ったか?」

 ちらりと壁の時計を見ると、時刻は十四時だった。昼食は食べていないけど、空腹は感じなかった。

 それよりも、だ。

「件の暗殺者だけど、ちょっと、普通じゃないように見えた」

「普通じゃないって、そりゃいったい、どういう意味だ?」

 私は少し言葉を選ぶのに時間を使った。

「それは、思い切りが良すぎた。あとは、引き際があまりにも綺麗すぎる」

 ふむ、とセンジョウジキが大きな手で、大きい顎を撫でる。

「思い切りがいい、というのは、自分の技に相応の自信がある、ってことか?」

「そう見えた。見えたけど、その感じが闇組織とかの暗殺者とはちょっと違う。まさに技に自信がある、って感じ。自分の仕事に、じゃなくね。その辺りは、逃げっぷりからも来る印象だと思うけど」

「標的を殺すことをあっさり諦めた、と言いたいわけだ、マーガレットは」

「もし私が彼らの立場なら、片方が犠牲になってでも標的に肉薄するし、最後には死ぬとわかっても標的だけは殺す。そんな気がする」

 どうだかね、とセンジョウジキは薄く笑っていた。

「暗殺者だって人間だ。命が惜しいと思うこともあるさ」

「冗談でしょう?」

 思わず私は声を大きくしていた。

「暗殺者が標的を逃すのは、傭兵や用心棒が護衛に失敗するのと同じ大失態よ。命が惜しいというような心理状態になるものは暗殺者に向かないし、そもそもなれない」

 常識的な意見だ、と目の前にいる巨漢は笑っている。

 その笑顔を見ていてピンときた。

「もしかして、何か裏がある仕事だった?」

「それを聞いてどうする?」

 まったく、私はおめでたいったらない。

 口を閉じて、しばらく考えた。用心棒は非合法な現場に同行させられることが多い。そういう時、得てして状況が複雑化し、単純な「雇用主」と「用心棒」という関係だけではなくなってしまう。

 ある時には警察が商人を利用して裏取引を摘発しようとし、その商人が状況に説得力を持たせるために用心棒を雇う、ということがある。この時、警察と商人からの依頼を受けるのは用心棒事務所で、しかし事務所は場合によっては用心棒に何も言わず、ただの護衛仕事として出動させる選択をする。

 これは何も用心棒の演技力を疑っているわけではなく、情報の機密性を上げるためだ。用心棒がやることは単純な上に単純だ。言われた通りにすればいいわけだから、余計なことを知っていて、仮に全てがご破算になった時、万が一、情報漏えいの発生源になるのは用心棒事務所としては避けたという心理があるらしい。

 知っていれば生き残れる情報は与えられるはずだが、それが意外では決して知ることがない情報もある。

 私はじっとセンジョウジキを見据えた。

 元傭兵の大男は泰然としている。

 どこから切り込んでいくべきか、私は自分が知っていること、見たことを頭の中で整理した。

 やられっぱなしは、性に合わない私だった。



(続く)

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