第20話 夜会に招待されましたわ!


 ライル様と会えなくなってから一カ月以上が過ぎた。


 毎日迎えに来る朝の馬車に、今日こそライル様が乗っているのではと期待して落ち込むのを何度繰り返しただろう。ジークに送迎はいらないと言っても、ライル様からの指示だと返されるばかりだった。


 せめてわたくしの想いだけでも伝えられればと、手紙を託しているが返事は一向にこない。


「ねえ、ジーク。ライル様はどうしてわたくしに会いにきてくださらないの? 貴方ならなにか知っているのでしょう?」

「ハーミリア様……申し訳ございません。今はなにもお話しできることがないのです。ひとつ言えるのは、ライオネル様はなにも変わっていないということです」

「……そう。わかったわ」


 ジークとの変わらないやりとりも、これでもう十数回目だ。

 馬車の窓から見える景色は変わっていないはずなのに、今のわたくしにはなんの色もついていないようだった。


 道端に咲いている花も、風に揺れる木々も、澄み渡る空も、なにもかも灰色に映っていた。




「ハーミリアさん、おはよう。まあ、今日はより一層酷い顔になっているわね」

「シルビア様、おはようございます。そんなにひどいですか?」

「そうねえ、屋敷から美容部員を呼び出したくなるくらいにはひどいわね」


 きっと、昨日夜遅くまでライル様のことを考えていたからだ。こんなに長い間会うことすらないのが初めてて、少し心が折れそうになっていたのだ。

 結局、最終的にライル様を信じると結論づけたのは、空が白み始めた頃だ。


 早めに登校してクリストファー殿下が来るまでの時間を、シルビア様と話す時間にあてていた。


「ふふ、そんなわたくしに気付いてくださるのは、シルビア様だけですわ」

「友人を気にかけるのは当然のことですわ! それにこういう時くらいゆっくり来ても問題ありませんのに」

「それはわたくしが嫌なのです。シルビア様とお話しする癒しの時間がなれけば、今日という日を乗り越えられませんわ」

「また、そんなことを言って……」


 シルビア様は褒められるのになれていないのか、わたくしが好意的なことを伝えるといつも頬を薄紅色に染めて恥じらうのだ。その様子がたまらなくかわいらしい。シルビア様に婚約者ができたら、ぜひシルビア様の魅力について語りたい。


「話は変わりますけど、私ひとつお伝えしなければならないことがございますの」

「はい、どのようなことでしょうか?」

「私、ライオネル様のファンクラブを退会しましたわ」

「ええっ! どうして——」

「だって、し、親友の婚約者のファンクラブにいつまでも入っているわけにいかないでしょう!」


 今度は林檎のように頬を染めて、早口で捲し立てるシルビア様が本当にかわいらしい。そして、どうやら友人から親友に昇格したようだ。シルビア様の言葉に自然と笑顔になってしまう。


「違いますのよ! いえ、違わないのだけれど、私だって王太子殿下の婚約者候補ですから、そろそろお遊びは卒業しなければと思っていたのですわ!」

「そうですね、国内のご令嬢から選ばれるならシルビア様一択だと思います」


 王家に忠誠を誓うモラクス公爵家のご令嬢で年齢も二歳差、学業も魔法も学年で五本の指に入る優秀な学生だ。真っ直ぐな心根は公正な国政を進めるのに相応しい。


 補佐につく家臣をしっかり選べば、あとは強かな王太子殿下の采配で

うまくやれるだろう。


「シルビア様が王太子妃として活躍されるのを、わたくしは楽しみにしてますわ」

「気が早いですわ、殿下が卒業されるまで誰が婚約者になるかわかりませんのに……」


 そんな会話をしていたわたくしたちに影が落とされた。視線を上げれば、燃えるような赤髪に挑戦的な琥珀色の瞳のクリストファー殿下がニヤリと笑っている。


「ハーミリア、おはよう」


 わたくしとシルビア様の朝の平和なひと時が打ち切られ、スンと笑顔を消して塩辛い態度に切り替えた。シルビア様は完璧な淑女のご挨拶をして、自席に着く。


「おはようございます、クリストファー殿下。まだ帝国にはお戻りにならないんですね」

「ああ、お前を俺の婚約者にしたら即刻戻るつもりだ」

「それではいつまでも帝国に戻れないでしょうから、いい加減諦めた方がよろしいですよ」

「悪いが狙った獲物は逃したことがない」


 心なしかいつもより機嫌のよさそうなクリストファー殿下に気が付いたけれど、そんな些細な変化を感じ取ったと思われるのが嫌で口をつぐんだ。


 その日もいつものようにクリストファー殿下にビシバシと厳しい言葉を浴びせていたが、まったく挫ける気配がない。


 ランチタイムをいつものように食堂で過ごしていたが、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

 こうなった原因がわかれば対処方法が見つかるかもしれない。


「クリストファー殿下。なぜ小国の伯爵令嬢でしかなないわたくしに、ここまで固執するのですか?」

「ああ、言っていなかったか? 初めて会ったあの海辺で、お前の強気な態度と他人のために怒りを露わにする姿に惚れたんだ」

「え?」

「これでも第二皇子だから、声をかければ擦り寄ってくる女ばかりだった。婚約者がいても恋人がいても、そんなのはいなかったように媚びてくる。だから本気で愛することはなかった」

「…………」


 なんということだろう。

 それが本心なら、今までわたくしが取ってきた行動は、物珍しさに拍車をかけただけなのでは?


「一途に婚約者を想うお前を見て、俺もこんなふうに愛してほしいと思った。だから俺はお前をなんとしても手に入れたい」


 その言葉にクリストファー殿下の本心が垣間見えた。

 自分を愛してほしい——その気持ちは痛いほどよくわかる。わたくしもずっとそう思ってきた。


 でもそれは横から奪っても手に入れられるものではない。自分で築き上げていくものだ。


 ライル様は態度こそ冷たかったけれど、行動には優しさがあふれていた。今ではそれが当時のライル様の精一杯だったと理解できる。そして、それがあったからわたくしはあきらめずに努力し続けられた。


 わたくしがあきらめなかったから、呪いにかかった時に想いを打ち明けられたのだと思う。


 どちらかだけの努力では、愛は続かない。互いに与え合うから育まれていくのだ。


「クリストファー殿下、わたくしはライル様だから一途に愛せるのです」

「だから、その婚約者がいなくなれば、俺を愛せるだろう?」

「そうではなくて——」

「ごきげんよう、クリストファー殿下、ハーミリアさん」


 突然割り込んできたのは、マリアン様だ。

 その手には王家の封蝋が施された手紙を持っている。


「ごきげんよう、マリアン様」

「なんだ、俺とハーミリアの時間に無粋だな」

「まあ、それは申し訳ございません。ですが、こちらの招待状をどうしてもおふたり一緒の時にお渡ししたかったのです。どうぞこの場でご覧いただけますか?」


 そうして差し出されたのは、夜会の招待状だった。王家主催のもので、重大発表があるから招待状を受け取った貴族は絶対参加と書かれている。これはわたくし個人宛となっていた。


「ハーミリアさんのご家族にも同様のものが届いているはずですわ。私はこの場で渡したのは、ライオネル様がいらっしゃらないから、エスコート役をクリストファー殿下にお願いできないかと思ったのです」

「そういうことか! もちろん俺がハーミリアをスコートしよう」

「ありがとうございます、クリストファー殿下。私はお兄様のパートナーとして参加しますので、当日お会いできるのを楽しみにしてますわ」


 わたくしの意見などまったく聞かずに話が進んでしまう。

 このままではいけないと、不敬を覚悟で口を開いた。


「恐れ入りますが、マリアン様。わたくしは婚約者がいる身ですので、クリストファー殿下のエスコートを受けるわけにはまいりません」

「あら、それは問題ないわ。ライオネル様がご不在なのは王家でも把握してますから、これだけで不義だと追求しません。それよりも帝国の第二皇子であるクリストファー殿下が、おひとりで参加される方が問題でしょう? クリストファー殿下の世話役でもある貴女が適任よ」

「…………」

「では当日、よろしくお願いしますわ」


 わたくしがうまく反論できずにいると、マリアン様がニヤリと口角を歪めてこれで終わりだと押し切った。


 この夜会でクリストファー殿下のエスコートを受けたら、わたくしにとって嬉しくない状況になるのはわかりきっているのに、断る術がなかった。

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