第21話 わたくしは信じますわ!!


 とうとうマリアン様から招待状を受け取った夜会の日になってしまった。


 クリストファー殿下がドレスを送るだの装飾品を送るだの騒いでいたのを、なんとかスルーしてわたくしは今日もアイスブルーのドレスとアクアマリンの宝石を身にまとっている。


 これだけは絶対に譲れませんわ! わたくしはライル様の婚約者ですもの!


「……少しは赤とか金とか俺の色も入れたらどうだ?」

「なぜですか? わたくしはライル様の婚約者ですもの。本日はあくまで世話役としてのパートナーですわ」

「はあ、まあ、いいさ。帰る頃には気持ちも変わっているだろうから」

「どういうことですの?」


 わたくしの問いに答えることなく、クリストファー殿下は夜会会場へと足を踏み入れた。


 学院に入る前にデビュタントを果たし、何度か夜会に参加したことはある。いつも固い表情のライル様にエスコートされて、それでもキラキラと着飾ったライル様が素敵で夢のような時間だった。


 今日は王家の守護者と呼ばれる五家貴族、それに伯爵以上の高位貴族も軒並み出席しているようだ。当然わたくしのお父様とお母様の姿もある。


 タックス侯爵夫妻にも挨拶をしたかったけれど、クリストファー殿下にエスコートされていたので叶わなかった。


 重大発表とはいったいなんなのかしら? クリストファー殿下も参加されているのだから、なにか交易に関すること?


 そうだとしても規模が大きすぎるような気がするわ。まるで王族の婚約発表でもされるみたいだわ。

 わたくしのデビュタントの時は第二王女様の婚約発表があったけれど、それと同じ……まさか。


 自分の考えに嫌な汗が背中を伝う。


 婚約発表できる王族は学院に通っている王太子殿下かマリアン様だ。ジュリアス様ならもっと他国からも貴賓を呼ぶだろう。それならマリアン様の婚約発表? でも、いったい誰と?


 そこで国王陛下と王妃様、王太子殿下とマリアン様が入場された。わたくしはクリストファー殿下のエスコートによって、最前列で国王陛下の夜会開始の言葉を聞くことになった。


「本日は急な夜会開催にも関わらず応じてくれて感謝する。ここで開始の挨拶とともに、ふたつのめでたい発表がある!」


 重大発表に貴族たちは耳を傾けていて、会場内には国王陛下の声だけが響き渡っていた。


「まずひとつ目は、タックス侯爵家嫡男ライオネルと第三王女マリアンの婚約発表である!」


 ざわりと会場内にどよめきは起きる。ライル様と婚約を結んだのはもう十年も前のことだから、社交界には十分浸透していた。それが国王陛下の言葉で覆ったのだ。

 ここで学院に流れていたライル様との噂を思い出す。


『マリアン様とライオネル様のご婚約が、もう決まるそうよ』

『先日はタックス侯爵様が、国王陛下に謁見されたとお父様が言っていたわ!』

『マリアン様とライオネル様の婚約は、もうお済みだと聞いたけれど』


 まさか、あれが事実だったの? でもジークは相変わらずだったし、お父様からも婚約が解消されたなんて話はなかったわ。


 わたくしはふうっと静かに息を吐いて、心を落ち着かせる。


 噂に惑わされてはダメ。ライル様にずっと会えていないから、不安になっているだけよ。


 なにが真実か、どこにライル様の心があるのか、わたくしならわかる。例えマリアン様にお気持ちを向けられていたとしても、それならそうとわかるはず。


 ライル様は誰を見つめていた?

 ライル様が心を砕いていたのは誰に対して?

 会えなくなってから、心変わりの気配はあった?


 ライル様は、わたくしを愛してる?


 シャラリとブレスレットが手首で揺れる。


 あんなに不器用な方がわずか七歳で、国宝レベルの守護の魔法を込めたプレゼントをくれた。その時、どれほどの努力をしてくれたのだろう?


 きっと何度も失敗して、何度も挑戦して、やっと身に付けたに違いない。その想いを信じないで、なにを信じるというのか。


「続いて、ライオネル令息の婚約者であったマルグレン伯爵の令嬢ハーミリアは、なんと帝国の第二皇子であるクリストファー殿下と婚約されることになった!」


 さらなる重大発表に会場の貴族たちはざわめきたった。王族が上がる壇上に視線を向ければ、マリアン様がニヤリと醜く笑っていた。


 隣のクリストファー殿下を睨みつければ、同じように口元を歪ませて傲慢な笑みを浮かべている。


「これでお前は俺のものだ。マリアン王女はいい仕事をしてくれたよ」


 なるほど、これが目的だったのね……! しかもこのふたりが裏で手を組んでいたなんて!


 それならわたくしにも考えがあるわ。綱渡りの賭けになるけど、このまま黙って受け入れるつもりなんてない。例え不敬罪に問われても、こんな理不尽に屈したくない!!


「国王陛下、僭越ながら意見を述べてもよろしいでしょうか?」

「ハーミリアか。うむ、せっかくの祝いの席だ。申してみよ」


 わたくしは、凛と美しく見えるように背筋を伸ばした。


「わたくしはこの時をもって、マルグレン伯爵家と縁を切ります。これからわたくしが申し上げることは、伯爵家とはいっさい関係ございませんことをご理解ください」


 遠くでわたくしを呼ぶお父様の声が聞こえた。でも、たった今縁を切ったのだから反応するわけにはいかない。


「わたくしはライオネル様以外と添い遂げる気はございません。もしそれが叶わぬのなら、今この場で処刑してください」


 わたくしの言葉に甲高い悲鳴が上がる。お母様だとすぐにわかった。でもごめんなさい、この賭けに巻き込むわけにはいかないの。


「ハーミリア! どうして……黙って俺のもとに嫁げばいいだろう! 決して不幸にはしない!!」


 クリストファー殿下は叫びながらわたくしに詰め寄る。きっと彼はここまでことを大きくすれば、いくらわたくしでも話を聞くと思ったのでしょうね。壇上で真っ赤な顔で怒りに震えているマリアン様も同じだわ。


「いいえ、ライオネル様と添い遂げられない時点で、わたくしは不幸ですわ」

「……っ! そんなに……そこまで俺を拒否するのか!? この場にも姿を現さない奴だぞ!!」

「十年ですわ」

「な、なに?」

「わたくしとライオネル様は十年間、婚約者として互いを思いやり尽くしてきましたの。まあ、不器用な方ですから誤解もたくさんありましたけれど」


 手首で揺れるブレスレットにそっと触れれば、ライル様が真っ赤な顔で誕生日プレゼントだと渡してくれた記憶が蘇る。


 本当に不器用ではあったけれど、ライル様は一生懸命わたくしに愛を伝えてくれていた。


「十年間ずっと、わたくしの婚約者として、わたくしのためにライオネル様は努力してくれました。そんな深い愛を他に知りません」

「……それは能力が低いから、努力するしかなかったんだろう!」

「クリストファー殿下。貴方はわたくしをほしいと言いながら、そのためになにをしましたか?」

「なにって……ずっとそばにいたし、守ってきたではないか!」


 そこにわたくしの意志は必要なかった。わたくしが断れないとわかっていて、ご自分のやりたいようにされていただけだ。


「確かに、わたくしの忍耐の上でですが、それは感謝いたします。ですがマリアン王女と画策して、無理やりわたくしを婚約者にしましたね」

「そうだ! どんな手を使っても、俺はお前を妻にしたかったんだ!」

「ライオネル様ならこんな時ほど、ご自身を磨かれますわ」


 いざと言うときは、わたくしを守れるように魔法の腕を磨いたライル様。


「わたくしの気持ちが向くまで寄り添い、足りないところは学び、いつだってわたくしの理想であるように努力してくださいましたわ」


 わたくしが困っている時、ライル様はさりげなく手を貸してくれた。どんな時もわたくしを尊重してくれて、たまにその深い愛ゆえに暴走して、それでもわたくしを大切に大切にしてくれていた。


「決して、自分の思い通りにするような行動は取りませんの。だからわたくしはライオネル様が愛しいのです」


 そう、わたくしはもうライル様しか愛せない。それくらい深く純粋な愛に囚われた。


「クリストファー殿下、ほしがるだけでは貴方が本当にほしいものは手に入りませんわ。相手を思いやり与えて、初めて返ってくるものなのです」


 どうか伝わって。愛してほしいと望むのは誰でも一緒だと。貴方はほんの少しやり方を間違えただけなのだ。


「クリストファー殿下はもともとお優しいところがありますから、きっとすぐにたったひとりのお相手が見つかりますわ」


 クリストファー殿下は俯き拳を固く握りしめている。少しはわたくしの伝えたいことが届いただろうか?


「わたくしはライオネル様を信じています。ライオネル様を信じると決めた自分自身も、間違ってないと信じますわ」


 誰になにを言われても、わたくしが見てきたライル様が真実なのだ。




 会場内は静けさに包まれていた。

 国王陛下は苦い顔をしてわたくしを睨みつけている。


 たった今発表したばかりの婚約に異議を唱えているのだから当然だ。王太子殿下は侍従に何か指示を出していたから、この場を収めるために手を回したのだろう。


 ライル様の主人となる方にご迷惑をお掛けしてしまった。機会があれば謝罪したいけど、伯爵家と縁を切って平民となるわたくしとはもう会うこともできないだろう。


 シルビア様も、お父様もお母様も——ライル様にも。


「いい加減にしなさいっ!!」


 マリアン様の金切り声が静けさを打ち破る。ハッと我に返った貴族たちは、壇上に視線を向けた。ざわめく貴族たちの合間を縫って、息を切らしたお父様が最前列までやってきた。


「あの女は不敬罪で投獄するわっ! 今すぐ捕まえなさいっ!!」

「ハーミリアッ! やめろ、やめてくれ!!」


 怒りに震えるマリアン様が、近衛騎士たちに命令を下す。わたくしを助けようと手を伸ばしたお父様も、簡単に押さえつけられてしまった。


 ああ、残念。賭けには負けてしまったようだ。

 うまくいけば、平民に落ちるだけで済むかと思ったけど。


 近衛騎士に腕を掴まれたと思った時だ。




「僕の婚約者に触れるな」




 目の前に濃紫のローブが揺れる。


 世界でも数人しか着用を許されていないと言われる、最上級の認定魔道士のビロードのローブ。


 ふわりと鼻先をかすめる慣れ親しんだ柑橘系の爽やかな香り。光を反射してキラキラと輝く青みがかった銀色の髪。


 いつもは鋭く光るのにわたくしにだけ柔らかく細められる、アイスブルーの瞳。


 わたくしの愛しい人。


「ライル様……っ!」


 あっという間に潤んでいく瞳から、涙がこぼれ落ちた。

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