第15話 なにも変わっていないはずですわ
タックス侯爵家の紋章をつけた馬車は、滑るように学院の門をくぐっていく。
わたくしとライル様を乗せて、昇降口の前で静かに止まった。ライル様はすぐさま馬車から降りてわたくしをお姫様抱っこしようとしてくる。
「さあ、リア。僕にしっかり捕まって」
「ライル様、わたくし自分で降りますわ。もう呪いの影響もないですし、問題ありませんわ」
「……万が一リアが怪我でもしたら、僕は馬車を作った業者から調査を入れるよ? 馬車の設計に問題がなかったか、ステップの角度は? ああ、もちろん僕のエスコートも見直して勉強をやり直さなければ」
ライル様が笑顔のまま圧力をかけてくる。そろそろ馬車から降りるときのお姫様抱っこをやめてもらいたくて、訴えてみたけれど、とんでもないことになりそうなので断念した。
「わかりましたわ、でも、本当にもう大丈夫ですのに」
「では、僕がリアに触れたいだけだと思ってもらえないか?」
「それは……もう、ライル様ったら、仕方がないですわね」
そんな風に言われてしまえば、嫌だと言えない。むしろ喜んでしまうわたくしは、どうしようもないと思う。
「あらあら、朝から仲がいいこと」
金色の髪をなびかせて、笑顔を浮かべたマリアン王女が声をかけてきた。若干口元が歪んでいるので、どうやら機嫌が悪いらしい。最近は苛立っている様子をよくお見かけする。
生徒に分け隔てなく接しているようで、実は選民意識の強いお方だ。言葉の端々に滲み出ていたから、同じクラスになってすぐに理解した。
王女様とはいえ、あまりライル様に近づいてほしくないタイプだ。
「マリアン様、おはようございます。ライル様はとてもお優しいので、いつも気遣ってくださるのですわ」
「おはようございます、マリアン様。お騒がせして申し訳ありません。僕が心配性なだけなのです」
「仲がよろしいのは結構なことですわ。けれど、今日はお兄様のことでライオネル様に相談したいことがあるのですわ。お借りしてもよろしいかしら?」
お兄様というのは王太子殿下のことだ。ライル様は王太子殿下の側近だからそう言われてしまえば断ることなどできない。それでもライル様が渋いお顔で躊躇している。
「今ですか? 授業が始まるまであまり時間がないようですが……」
「ええ、そうなの。早くお耳に入れたいことがありますの。ハーミリアさんもよろしいかしら?」
「はい、もちろんですわ。ライル様、ではまた後で」
「ああ、リア。また後で……」
そう言ったのに、ライル様はその日教室に戻ってくることはなかった。
わたくしは学院に入学してから、初めてひとりで馬車に乗って帰宅したのだ。込み上げる焦燥感を抑えつけることしかできなかった。
翌日は学院がお休みで、わたくしは朝からボーッとしていた。
考えがうまくまとまらず、本を読みかけては窓に視線を移して考え事をしてしまう。刺繍をしては、手を止めてライル様の言葉を思い出す。
「また後でって言ったのに……こんなに後になるなんて聞いてませんわ」
わたくしの独り言は、静かな部屋に溶けていく。
いつもならお休みの日の前日の帰りの馬車で、週末の予定を決めていた。どこに行こうとか、どんな観劇を観ようとか、買い物に付き合ってほしいとか。
特別に約束はしていなかったけど、それがいつもの日常と同じようにやってくると思っていた。
「マリアン様と消えてからそれっきりなんて……来週会ったらライル様になんて言おうかしら? 思いっきりヤキモチ焼きましたわーって言ったら、抱きしめてくれるかしら?」
瞼を閉じれば浮かんでくるのは、優しく微笑んでわたくしを呼ぶライル様だ。青みがかった銀髪はサラサラと流れるように風を受け止めて、アイスブルーの瞳がとろけるように細められる。
わたくしだけに向けてくれるあの笑顔が、今はとても恋しい。
週末が終わり、また学院生活が始まる。
いつものようにタックス侯爵家の紋章をつけた馬車が、マルグレン伯爵邸に到着した。
さあ、朝イチでライル様に気持ちを伝えるのよ。この週末は本当に気持ちが沈んでいたのだから!
ガチャリと馬車の扉を開けて降りてきたのは、ライル様ではなく侍従であるジークだった。
「え、どうして……?」
「ハーミリア様、本日はライオネル様は火急の要件があるとマリアン王女様に呼び出されたため、先に登校しております。代わりに私がお迎えにあがりました」
「……そう、それなら仕方ないわね。よろしくお願いするわ」
「かしこまりました」
ジークにエスコートされて馬車に乗り込む。
久しぶりに座ったシートは、以前と変わらずふかふかでちっともお尻が痛くならない。
でもわたくしは、お尻が痛くなっても、心臓がどんなにドキドキしても、ライル様の膝の上がよかった。
学院について教室に入ると、ほとんどの生徒が席についていた。わたくしも席に向かうと、別の生徒が座っている。
「あの、わたくしの席はここではなかったかしら?」
「え? いや、ハーミリア様はもとのクラスに戻ったと聞いたのですが……」
「どういうことですの?」
周りを見渡してもライル様はいない。マリアン様に捕まって、まだ解放されていないようだ。そこで先生が入ってくると、わたくしに声をかけてきてくれた。
「ハーミリアさんは、まだ聞いてなかったのね。貴女は今日から元のクラスに戻ることになっているわ。荷物は運んであるから、すぐに向かいなさい」
「……かしこまりました」
どういうことか、わたくしは元のクラスに戻ることになっていた。ジークは馬車の中でそんなこと言っていなかったし、急遽決まったことなのだろうか?
そもそもライル様が手を回したことだから、これが正常なんだけれど……どうしてライル様からはなにも知らせがないのかしら。
元のクラスに戻ると、蔑むような視線が突き刺さった。ライル様の寵愛を受けていたかと思ったらこの仕打ちなのだから、憶測が噂になりわたくしがなんと言われているのか手に取るようにわかる。
席に着くと後ろからそっとシルビア様が声をかけてくれた。
「ねえ、大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですわ」
それだけ言って、前を向いた。わたくしはなにも悪いことはしていないし、なにも変わっていない。
ライル様が婚約者であることも変わっていない。ただ、クラスが元に戻ってライル様と会えていないだけだ。
——ただ、それだけだと自分に言い聞かせた。
その日からライル様と一緒に過ごす時間はなくなった。
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